Concert Report#432

イェルク・デームス ピアノリサイタル〜ドビュッシー生誕150年記念
2012年5月19日(土) @東京・東京文化会館小ホール
Reported by 伏谷 佳代 (Kayo Fushiya)
Photos by 林 喜代種 (Kiyotane Hayashi)

イェルク・デームス(Joerg Demus;pf )

J.S. バッハ;パルティータ第1番変ロ長調
モーツァルト;クラヴィーアのためのアダージョロ短調
ベートーヴェン;ピアノソナタ第31番変イ長調op.110
<休憩>
ドビュッシー;「月の光」
        月の光に降り注ぐテラス/
        そして月は荒れた寺院に落ちる/
        月の光
       ;「3つの映像」
        水の反映/葉末を渡る鐘の音/金色の魚
フランク;前奏曲、アリアと終曲

<アンコール>
ショパン;アラベスク
ドビュッシー;沈める寺

イェルク・デームスの音楽を初めて聴いたのは一体いつだっただろうか。四半世紀も前に筆者がピアノを習い始めたとき、よく聴いていたのがイェルク・デームスやフィリップ・アントルモンによるピアノ名曲集であり、デームスの弾くバッハのカンタータを愛聴していたものだ。その当時ですでに円熟の境地にある大ピアニストであったが、こうして現在もなお健在で、第一線で活躍しつづけていることにまず感謝せずにはいられない。今年で84歳を迎えるにも関わらず、そのピアニズムは肉体的な衰えを全く感じさせないどころか、新たな発見に満ちている。彼の手からこぼれ落ちる、あたたかな音楽の裏側の、非常に理知的な側面を垣間見たような一夜であった。


「あるべきところにある」音色-----音の生命を熟知した響きの塑像

ドビュッシー生誕150年記念、という副題が付いたコンサートではあったが、ドビュッシーへと向かうデームスのピアニズムの行程は、前半のバッハや古典派で充分に解説がなされていた。とりわけバッハとベートーヴェンは秀逸であった。デームスの音楽には、ひとことでいえば細部と全体が同時に息づく共生感覚がある。それは、音楽が始まるや否やたちどころに感知されることで、音の粒子はそれぞれが独立した輪郭を見せながらも、パッセージや塊になると見事に柔和な一筆書きに化ける。無理のない身体使いの反映といえばそれまでだが、フレージングの悉(ことごと)くが繊細にして雄大だ。例えば、パルティータのコレンテなどでは、低音部は軽快な伴奏に徹しているのだが、その弾(はじ)きの質で空間をヴィブラートさせ、単なる安定以上のスパイスの効いた持続力を発揮する。大仰ではなく、つねに細かなさざ波のような変化で楽曲を塑像してゆくのだ。パルティータが進むにつれて深く納得されるのが「音のクオリティ」についてである。高い垂直性を保ちつつやわらかに拡散される音質。そのような立体性に秀でた音として、一音ずつが「あるべき莢(さや) 」に収まっていることの稀有さ。弾き込み・年季・自家薬籠・手の内に収める・etc… とは異なる、高次元での自在さなのだ(自動書記的、というと陳腐か)。思うに、あらゆる打鍵の運指はとことん精査されたうえで規定されているのではないか。その熟成の成果なのではないのか...と、類推したくなる。どの音も、あたたかではあるが、数学的で割り切りの良い響きをもっている。

ベートーヴェンは、紛うかたなきウィーン流である。大きな構えのなかで、ゆったりと謳い上げられる音楽は、空気をふわりと抱き込んでは舞う。アゴーギクは大胆で、音色が清澄で甘めであるのと帳尻を合わせるかのように、アレグロや強音の箇所でリズムが端折られる。また、聴き手の期待と正反対の強度を採り、エネルギーを空洞化するところもあるのだが、それらはごく自然に「デームス流」として説得力をもつ。デームスのピアニズムを年輪という言葉で捉えてみたとき、その究極の至芸とは、自らが造りだした音に対して無私でいられることである、と感じる。だからこそ、単音の魅力が大きくモノをいうフィナーレの「嘆きの歌」とフーガが、あれほどまでに俊敏で輝かしくも、寿命をもつもの特有の儚さに満ちているのであろう。


流れは自然と整理される

それ自体が陰影であるかのような音色による後半の印象派作品は、期待どおりの充実ぶりであった。『映像』という、着想からして突飛ともいえるような夢想的な楽曲においても、デームスはあくまで冷静沈着、着実に物語性に沿って音楽を進めてゆく。感情を控えめにすることで、還って素材そのものの香気が引き立ち、すべては先鋭な一音一音へと還元される。こうして居所をわきまえた音列は、音楽を鮮やかに彩りつつ、流れにすっきりとした道筋をつけてゆくのだ。締めのフランクは、デームスの豊麗な音色のニュアンスと、見通しの良い音楽構築が見事に呼応し合った快演。名オルガニストでもあった作曲家を偲ばせるすぐれた低音の舵取りはさすがの貫録で、聴きごたえ充分であった(*文中敬称略)。  









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