Concert Report#433

東京フィルハーモニー交響楽団 第816回 オーチャードホール定期演奏会
ショハット:歌劇『アルファとオメガ』(コンサート・スタイル・オペラ)
2012年5月20日 @オーチャードホール
Reported by 佐伯ふみ
Photos by 林 喜代種

作曲:ギル・ショハット、1998年
台本:ドリ・マノール、アナ・ヘルマン(エドヴァウルド・ムンクのリトグラフの物語に基づく)

指揮:ダン・エッティンガー
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団

【キャスト】
アルファ(テノール):ヨタム・コーエン
オメガ(ソプラノ):メラヴ・バルネア
蛇(メゾ・ソプラノ):エドナ・プロフニック
動物たち(男声):青山貴、児玉和弘、原田圭、畠山茂、大久保光哉

【オーケストラの編成】
フルート2、ピッコロ、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン、クラリネット22、E♭クラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、打楽器(大太鼓、小太鼓、ボンゴ、タンブリン、タムタム、シンバル、トライアングル、ウッドブロック、むち、カスタネット、ウィンドチャイム、グロッケンシュピール、ヴィブラフォン、チャイム、シロフォン)、ハープ、ピアノ、弦楽5部

 何かと話題の多い作品である。ギル・ショハットは1973年、イスラエル生まれの俊英。幼いころから神童とうたわれ、作曲をルチアーノ・ベリオに師事。ピアニスト、指揮者、作曲者として多彩な音楽活動を展開している。この作品は25歳の作曲で、イスラエル・オペラの委嘱。初演(2001年)の指揮を務めたのが、東フィル常任指揮者(2010年〜)のダン・エッティンガーである。
 物語の基になったのは画家ムンクのリトグラフ連作『アルファとオメガ』(1908-09、ムンク40代後半の作品)で、若い世代の2人の詩人が共作でまとめたヘブライ語の台本。よって、主要キャストはイスラエル・オペラで活躍する歌手たちである。オーケストラは標記のような大編成。センセーショナルな題材や、作曲技法の面でも、リヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ』や『サロメ』を彷彿させる作品である。
 物語は、「現代版アダムとイヴ」と称される。旧約聖書の「創世記」に描かれた人類最初の男と女、アダムとイヴの物語から、蛇の誘惑に女が負け、「禁断のりんご」(善悪を識別する智恵の象徴。本来は神だけがもつ智恵を人間がもってしまったことを暗喩する)を食べたことで人間の原罪が始まる、という大筋を借用、それをさらにグロテスクに、人間(女)の罪深さをこれでもかと示して見せたストーリーである。

 アルファ(男)とオメガ(女)は地球上最初の人類。多くの野生動物が住む美しい島に住む。物語はこの2人が愛し合うようになるところから始まるが、あっというまに暗転する。
 森の中で蛇がオメガを誘惑する(りんごどころでない。セックスである)。嫉妬に狂ったアルファは蛇を殺すが、誘惑の魅力にとりつかれたオメガは森の動物と次々に交わる。熊、虎、ロバ、豚、ハイエナ……オメガと交わった動物たちは、それぞれ自分がオメガに与えたオーガニズムをあけすけに自慢しあう(ここの部分を日本人歌手が担当)。オメガは、島のすべての動物を所有できないことにうんざりし退屈して、ある晩、鹿の背中に乗って海を渡り、島から逃げる。取り残されたアルファに、オメガが産み落とした半獣半人の子供たちが「お父さん」とまとわりつく。打ちひしがれるアルファ。ある日、島に戻ってきたオメガを、アルファは海辺で殺す。死体の顔が、森の中で愛し合っていたときの顔と同じだと感じ、アルファは身震いする。オメガの子供たちと相手の動物たちが背後からアルファに襲いかかり、殺す。「ろくでもない連中が、新しく島を満たした」(ムンクの連作の最後に記された言葉)。締めくくりに、殺された蛇の霊が聴衆に語りかける。「私たち人類はこの子供たちの子孫。人間の顔をしているが、獣なのだ」。

 オーケストラも合唱も、熱演であった。エッティンガー指揮のもと、大編成のオケはよく制御され、弱音から最強音まで、メリハリのきいたパワフルな演奏だった。歌手たち――特に、全編歌いっぱなしのアルファ(コーエン)とオメガ(バルネア)――も、力演である。プログラムには、ムンクのリトグラフの連作が(そこに書き添えられた散文詩のようなストーリーも)全編、収録されていて、作品の理解を助けてくれる。さらに、このオペラについての初演の情報、演出家の言葉、ムンクの原典と台本を担当した詩人たちの文章など、読み応えのある資料が満載され、行き届いた編集である。コンサート・スタイルの上演だが、ステージにはそのシーンごとにムンクのリトグラフ作品が映写され、字幕もわかりやすかった。

 ただし、である。作品については、かなり不満が残った。不満というより、憤りと言ってもいい。東フィルが公演の実現に向けて傾けてきたであろうさまざまな努力と、実際の演奏のクオリティの高さを思えば、あまりネガティヴなことは言いたくない。が、つまるところ、率直に言って、あまり聴きたくない部類の音楽であった。
 常任指揮者の意向で実現した公演と推測される。ヘブライ語の現代詩による大曲の日本初演、に挑戦した楽団の意気は買う。しかし、特に東日本大震災を体験したあとの日本の聴衆としては、コンサートという場で、聴くべき音楽、やるべき音楽というのはやはりあるだろう、と強く思い、憤りとも悲しみともつかぬ思いで、居たたまれなかった。作曲者はプログラムで、イスラエル・オペラから委嘱がきてこの作品の構想を話したとき、最初は拒否された、イスラエルのオペラ界は保守的だから、と書く。保守的などという問題ではない、と筆者は思う。

 まず、基となったムンクの作品について。このリトグラフは、恋した女性に裏切られ、精神のバランスを崩して病院にいたころの作品だという。有名な『叫び』からして、この画家がもともと深い精神病理を抱えつつ、危ういバランスのなかで仕事をしていた芸術家であることは容易に察せられる。『アルファとオメガ』は、入院せざるを得なかったほどの精神的危機のなか、ある種の癒しの過程として、自分の中にある毒を吐き出すようにして生まれた作品と言っていい。まさに病的な(個人的怨恨の強い)女性嫌悪、生きることに対する救いようのない悲観がその基調にあり、「芸術家としての人類への警鐘」などといった普遍性に結びつけるのは、そもそも無理がある。

 物語じたいが一貫してこのような色調に塗りつぶされているためか、音楽も全体に一本調子と感じられた。幸福な蜜月を描いた最初の十数分以外は、比較的静かな部分と、絶叫と大音響とが交互に現れるような、パターン化された音楽という印象が残る。主要キャスト3人はいずれも朗唱のようなシンプルなつくりの歌で、オケに負けじと朗々と声を張り上げるのだが、最後はオケの大音響に埋没していく。弱音の歌の得も言われぬ美しさとか、重唱の絡み合いの妙、といったオペラならではの場面はあまりない。現代音楽にありがちなことではあるが、大編成のオケによる、文字通り耳をつんざく最強音には、何度か辛い思いをした。

 

 さて、もっとも大きな疑問として残ったのは、こうした物語を題材として選んだ作曲者のセンスである。
人間の愚かさ・醜悪さを徹底して描くのも、芸術の1つの側面、役割であろう。しかし、気高さや、愛や思いやり、美しさへの希求といったものもまた、人間が確かに持ち合わせている真実であろう。それをかけらも持たない音楽を、ひとは聴きたいと思うだろうか?
 リヒャルト・シュトラウスの作品がすでに古典的なレパートリーとして聴きつがれているのは何故だろう。どうしようもなく人間は愚かである、そして、どうしようもなく人間は愛おしい。それを作曲者や台本作家たち自身がよく了解しており、物語にも音楽にもきっちりとその両面が書き込まれているからだ。

 25歳での出世作だという。いろいろな意味で、若さの産物であろうと思った。
 原典は世界的に(大衆的に)著名なムンク。現代イスラエルの詩人によるヘブライ語の台本。リヒャルト・シュトラウスを彷彿とさせる、聖書に題材をとったスキャンダラスな作品、古典的でドラマティックな音楽づくり。キャッチーなキーワードに満ちていて、才気も野心もあふれんばかりの若者が世に打って出るには、なるほどというプロジェクトである。こんな見方は、意地が悪すぎるだろうか。

 突飛な連想だとは思うが、お許しいただきたい。地震と津波による原発事故によって、被災した人たちを想う。原発をめぐるあれこれは、確かに、人間の罪の深さ、どうしようもなさを見せつける出来事である。しかし一方で、瓦礫のなかから涙をふいて立ち上がり、微笑みさえ浮かべて前に進もうとする市井の人たちがいるのだ。私はそこに、人間の限りない崇高さ、気高さを見る。
 そういう人間に対し、それでも敢えて、「あなたたちはしょせん、獣の子孫」と言い放つ勇気があるか、どうか。それを芸術家の使命として、我が身に引き受ける覚悟が本当にあるのかどうか。問題はそこなのである。
 音楽は一体なんのためにあるのだろう? 聴衆をホールに呼び集め、お金をとり、一定の時間を拘束して聞かせる音楽で、いったい何を伝えるのか。若い作曲家だからこそ、ぜひ、音楽をつくる意味を問い直してほしい。そう思った。







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