Concert Report#444

ルドルフ・ブッフビンダー/Rudolf Buchbinder Project in Triphony Hall 2012
2012年6月16日、6月19日 @すみだトリフォニーホール
Reported by 悠 雅彦
Photos by 林 喜代種

第1夜:リサイタル〜6月16日、すみだトリフォニーホール
 ピアノ・ソナタ第8番ハ短調 op.13「悲愴」(ベートーヴェン)
 ピアノ・ソナタ第23番へ短調 op. 57(ベートーヴェン)
 交響的練習曲 op. 13 (5曲の遺作を含む)(シューマン)

 ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)

第2夜:協奏曲〜6月19日、すみだトリフォニーホール
 ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op. 83 (ブラームス)
 ピアノ協奏曲第1番ニ短調 op. 15 (ブラームス)

 with
 クリスティアン・アルミンク(指揮)
 新日本フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)

 ソロ・リサイタルを聴き終えた瞬間、何やらホッとした気分に包まれた。
 どう言い換えたらよいか。感傷というのでもないし、昔の恋人を垣間見た瞬間に胸を打った動悸のようなものとも違う。たとえば、ニューヨークやパリやベルリンのようなモダンな都会にばかり足を向けてきた旅行者が、あるときふと立ち寄った昔ながらの伝統の香りを秘めているひなびた街の美しいたたずまいに触れたときの、母の懐に抱かれたような安堵感、といえば何となく分かってもらえるだろうか。ブッフビンダーのリサイタルの第1部、ベートーヴェンのソナタを2曲聴き終えたあとの短い休憩の間じゅう、音楽で解きほぐされた自分の心のうちが普段と違うわけを咀嚼しながら、その思いをあちらこちらへと馳せ続けた。そうか、ふと脳裏をよぎった。ザルツブルグの町に初めて足を踏み入れたときの柔らかな居心地のよさ! ブッフビンダーのベートーヴェンに私が包まれたアットホームな温かさこそ、まさにそれだった!
 第1部のベートーヴェンは第8番「悲愴」と、一般的には「熱情」で通っているヘ短調の第23番。プログラムでは「熱情」のタイトルは消えている。出版社が勝手につけた名前だとして吐き捨てる、いかにもベートーヴェンの研究家としても楽譜収集家としても名を馳せるブッフビンダーならではの注文だと分かって、あらためて感心した。この超有名な2つのソナタを並べた意図はよく分からないが、第2部にシューマンを配し、協奏曲の夕べをブラームスで飾ったことで、ウィーンに花開いたドイツ=オーストリア音楽の精華を日本で賞味できる例外的な演奏会となったといってもあながち言い過ぎではない。敢えてプロジェクトの名を冠した主宰者の意図もそこにあったと思う。
 さて、前半の8番と23番。聴き馴れた曲がどちらも極端にゆったりしたテンポとピアニッシモの打鍵のせいか、出だしこそ多少面食らったものの、第1楽章の最初の主題に入った後は、特に「悲愴」の第2楽章など、私の勝手なイマジネーションゆえかもしれないが、ウィーン郊外の田園地帯を散策するとでもいうような心地よさに浸ったまま、ゆったりした時の流れを楽しむことができた。このピアニストは1音たりとも誤魔化しを許さないし、ときに独特の強弱の使い方をして表現性を際立たせることはあっても、不自然さや違和感をともなうことはない。例えが突飛かもしれないが、ハイドンがベートーヴェンを弾いているかのような錯覚にさえとらわれた。形式性をきちんと踏まえながら、優雅に歌ってどの声部もバランスよく洗練されていて、抒情味もパッションも品よく韻律の弧を描く。
 薫りを楽しむ演奏があるとすれば、彼のベートーヴェンとシューマンはまさにそれ。一昔前に聴いたグルダのモーツァルトの感動が違う形で甦った気がしたのも、最近は風味で聴かせる演奏が少ないからか、あるいは最近いやというほどロシアのピアニストを集中的に聴いたせいか。シューマンの「交響的練習曲」も例外ではなく、香り立つウィーンの明るい華やかさにドイツ的重厚味がプラスしたブッフビンダーならではの思い入れの強いシューマン。バックハウスの響きからスコダのニュアンスが一条の光のように漏れでてくるような演奏を堪能した。今回は5曲の遺作を含む完全版で、普段聴いている「交響的練習曲」の親近感が薄いせいか勝手が違うことを除けば、逆に滅多に聴けないブッフビンダーの献身に胸打たれた演奏ではあった。
 間に3日おいて演奏されたブラームスの協奏曲。この夜は6月としては珍しく日本に上陸した台風4号が、ちょうどこのころ関東地方を通過するとの警報が出ていた。だが、会場は多くの人々で盛況だったし、演奏も台風を吹き飛ばすかのような熱気の横溢する快演。65歳のブッフビンダーと41歳の指揮者クリスティアン・アルミンクとは親子ほどの年齢差があるが、いわば酸いも甘いも噛み分けたブッフビンダーの演奏に、アルミンクと新日本フィルが硬軟使い分ける文句のつけようのないサポートで応え、最上のブラームスと聴いた。彼がアーノンクールとロイヤル・コンツェルトヘボーのコンビと組んだ第2番を聴いたことがあるが、新日本フィルの渾身の献身ぶりを目の当たりにした共演だったせいか、それを上回る感動を得た思いだ。互いにウィーン育ちで、当地では数回の共演経験があると分かった上で言っても屈指のブラームスだった。
 ここでもブッフビンダーらしく、円熟した傑作の第2番から演奏し、休憩を挟んで25歳のブラームスが初めてオーケストレーションをつけた楽曲としても知られる第1番で大団円を導いた。激情的な第1番の冒頭には作曲者の思いのこもったオーケストラによる長い導入部があるが、彼はソナタのときと同様に第2番では極端なくらいゆったりしたテンポで開始し、あたかも実の熟すのを待って収穫する農夫よろしく、アルミンク、新日本フィルとの時宜を得た最良の共同作業を完成させることに奏功した。第2番でのホルンの活躍とか、オケのついては特出すべきことはいっぱいあるが、余白も尽きた。独奏者と指揮者とオケとが一体となった入魂のブラームス演奏であった。帰途は強風と激しい雨粒に叩き付けられたが、この上なく満ち足りた気分だった。(2012年6月25日記)   









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