Concert Report#446

ルーカス・ゲニューシャス ピアノ・リサイタル
2012年7月6日(金) @紀尾井ホール
Reported by 伏谷佳代 (Kayo Fushiya)
Photos by 林 喜代種 (Kiyotane Hayashi)

ルーカス・ゲニューシャス(pf)

ショパン:
幻想ポロネーズ変イ長調op.61
ピアノソナタ第3番op.58
ラフマニノフ:
前奏曲集op. 23より1,2,3,4,5,6,7番
前奏曲集op.32より1,4,11,12,13番

*アンコール
ショパン:
ノクターン第21番嬰ハ短調
ムソルグスキー=ラフマニノフ:
フォックス・トロット
ディシアトニコフ:
フォックス・トロット
ショパン:
エチュードop.10-1

「一音」にすべてが沈み込む

強烈な手癖が至芸といえるまでに完成されている例を見ることは、そうあることではない。22歳という若さではなおのこと、である。ルーカス・ゲニューシャス...彼のピアノは、鍵盤を押す行為のことごとくが、一瞬にして場の空気を変えてしまう妖気をはらむ。空気は動き、見えないヴェールに覆われる。音色は色彩ゆたかながら内省的、思慮深さを幾重にも折り込みながらも多くを語る。テンポ・ルバートは、クラシック音楽としてみたときに破格なほど自在であり、ときに「一音」にすべてが沈みこみ静止する。


ショパン・コンクールで一躍脚光を浴びたゲニューシャスであるから、プログラム前半のショパン2曲には否が応にも期待が高まるが、ここで音色の神秘はたっぷりと披瀝される。それ自体潜在性に秀でる一音の集積から、音楽のうねりに合わせて、その時々にもっとも適合する一色が抜きんでてくる。その選色にブレがまったくないため、音楽はひじょうにタイトでダイナミックなものとなる。とりわけパーカッシヴな打鍵の箇所などは、ポリフォニックかつ強圧的でほれぼれする。「ソナタ第3番」でもこの美質はさらに豊穣さを増すが、この曲では魔性ともいえる左手の動きに感服した。敏捷で狡猾、ボルトを徐々に締め上げてゆくかのようなバネの制御が効く。音の綾は微細に入り組みつつも、響きの層はくっきりとしており、各々は融け合うが混濁することはない。ゲニューシャスの音色は、とてつもなく色彩豊富なのであるが、音の流れとしてみたとき、方向性に秩序があることが特色だろう。どの音もまっすぐに高く速く飛ぶ。ソナタのなかでもっとも彼らしさが凝縮されたのが、第3楽章のラルゴだ。静謐のなかで、ミクロな部分が拡大されていく幻視的世界。ふだんは看過されがちな小さな一音の磁力が、長く記憶に刻みつけられるがゆえに衝撃である。どうやらゲニューシャスの個性は、テンポの速い派手な箇所ではなく、ゆったりと粘りつくような湿度のもとでこそ花開くようだ。こうした特性と実年齢とのギャップが、そのまま彼のスター性となっている。


ミクロ・レヴェルの幽玄が記憶に留まる衝撃

さて、後半のラフマニノフである。音の気配を濃厚に漂わせることにかけては手管のピアニスト、しかも自国もの...ということでつい聴き手が予想しがちなエキゾチズムは、しかしながら鳴りを潜める。意外に手堅い、ドライな仕上がり。奇抜さの痕跡を見せぬあたりがさすがである。ここでは音量の推移が面白かった。音の隆起や陥没は、何か見えざる手に操作されているようで、「虚を突く」感じにふと訪れる(オーディオのボリュームのつまみをランダムに調整しているさまを想像されたい)。二手の交錯から、さりげない含みとしてメロディやポイントが浮き立つ。なかには、ぞんざいにむしり取られることによってはかなさを際立たせるパッセージもある。多弁な音色の集積と磨き上げられた強打音との同時性が痛快なop.23-2などは、ダブ(dub)を思わせるような現代的なテクスチュアだ。こうしたミクロ・レヴェルが拡大される美しさは、いよいよop.32の前奏曲集で全開となる。音楽は曲単位ではなく、パッセージ単位として対比され、認識されてくるのだ。ここではゲニューシャスのリズミックな側面がユーモラスに強調されていた。しばしば彼のプレイにみられる大胆かつ神妙なぺダリング...残響を大胆に伸縮させてリズムの一部にとり込んでしまうそれはop.32-4でも楽しめた。鍵盤をこねくり回すような独自の吸引力をみせるタッチは、いかに音楽がドラマティックに展開しようとも不思議な座りの良さをみせ、楽曲に最良の貫録を与えるのであるが、時おりガクッと筋肉を脱臼させる動きをみせては流れに窪みをつける。そのタイミングがとても洒脱だ。エンタテイナーとしての押し出しの良さも、生来のものといえそうだ 。(文中敬称略)


追記:プログラムが終わってのアンコールのあいだに、ファンの方が花束をもってステージの裾へ行かれた。アンコールとのタイミングの調整などもあったのかもしれないが、会場サイドがそれを阻止したのは何とも残念な思いがした。結局、一旦会場係が花を受け取り、アンコールの状況をみて再びファンが花を渡す状況をつくる、ということで落ち着いたが。見ているほうも興ざめである。奏者が花粉症でもないかぎり、花束を渡す行為を阻止してはならないだろう。ファンの思いを大切にしてほしい、と感じた人は多かったのではないか。

【関連リンク】
http://www.jazztokyo.com/live_report/report312.html









WEB shoppingJT jungle tomato

FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


Copyright (C) 2004-2015 JAZZTOKYO.
ALL RIGHTS RESERVED.