やっと、Pooさんが日本に来られる事になった。
ここ数年の彼の健康状態の知らせにはヒヤヒヤしっぱなしだったし、今だってそれは変わらない。ブルーノート東京での2日間、館林にある西の洞でのソロ2日間が決まったと知ってとても嬉しかったが、それと同時に実際にPooさんに再会するまでは、まだ本当に来られるのか定かではないかもしれないという一抹の不安もあった。ブルーノートでの初日演奏前に久々に会ったPooさんは、失礼かもしれないが意外なほどに元気そうだった。その旨を伝えると、「元気そう、なんだよなぁ」と一言。単純に元気そうだと言われてもそこは複雑なんだろうし、今になってから考えれば多くの人が訪ねてくる中での健気だてだったのかもしれない。
今回のライブで演奏された、TPT trioの音楽の内容そのものについてはあまり多くを語るのも難しいし、またそれをする必要もないだろうと思う。なぜなら、どんな説明よりもシンプルに深く、この音楽はまさにPooさんの生き様そのものだ。それを惜しげもなく全力でみせてくれる、数少ないミュージシャンでありアーティストである。ライブレビューとしては、これ以外にあーだこーだ言いたくない。なので、これ以降ライブレビューというよりは、内容が別のものにシフトしてしまっているかもしれないが、どうかお許し願いたい。
新しい事をやりたい、と繰り返し言われているように、音楽的に前人未踏の領域を目指して、深遠な音世界の中で信じた音を弾く。あるいは、たった今放たれた音を同様に聴く。これが高次元で連続的に展開されてできあがってゆく音楽のうねりは、一つの現在進行形で制作されては消えてゆく芸術作品だけに、一聴するとかなり難しく聴こえるかもしれない。しかし、それと対面してジッと絵画を見つめるように集中して聴いていると、魂が揺さぶられる瞬間が訪れてその背後に音楽が成してゆく自然なフォースが見えてくる。こうなると、聴き手にもプレイヤーと似たような楽しみを与えてくれる。と私は思っているが、こういうところが、Musician's Musicianとニューヨークのミュージシャン達から言われる所以でもあるのだろう。もはやジャズやらクラシックやらなんやらとカテゴライズできない、Pooさん自身の音楽だと思う。
こういう音楽は、自分以外の誰かとアンサンブルすることが非常に難しい。フリーインプロヴィゼーション(Pooさんはcollective improvised ensembleと言っていた事がある)と言っても、もちろんPooさんの演奏や考えを理解していないと音楽にならない。私がニューヨークにいた頃、何度かPooさんのロフトでデュオセッションしてもらった事があるが、ものすごいスピード感であっという間に置き去りにされてしまった。この早さには一緒に演奏するまで全く気づかなかった。この時に、実際にアンサンブルの中で起こっている感覚を痛感したし、またその感覚で次へ次へと行けるように、頭で聴いたり考えていたのでは完全に遅すぎるということも身を持って分かった。
このトリオのメンバーである、ベースのThomas Morganは、そういう意味ではピカイチのベーシストだろう。まず、当たり前の事だが楽器がうまい。ピッチの正確な左手と、無駄な動きが少なく芯のある音をだしてくる右手。そしてとても耳が良い。今回のブルーノートでの演奏を聴いて、Pooさんとの相性は以前にも増して良くなっているように思った。ギターのTodd Neufeldも同じく稀有なギタリストだ。今回のライブではどちらかというと、PooさんとThomasが何かを作り上げているところにガットギター特有のエッジの効いた音色で切り込む場面が多かった。彼のフレーズはなんとなく新しいというか、良い意味でギターらしからぬ幅をもっていると思う。
結局、ヒマがあったのも幸いしてブルーノート東京の2日間で4セットと、館林西の洞でのソロピアノ2日間、全てに行けた。Thomasから聞いた話では、このトリオでライブをやるのは今回が初めてだったらしい。ニューヨークでも、Pooさんのロフトで演奏する以外にはやっていなかったから、やっとライブができて嬉しいと言っていた。インプロだから当然だが、4セット全て違っていて、中には曲をやっていたセットもあった。黒いオルフェと、ブルーモンク、そして2日目の最後のセットのアンコールでソロ・ピアノのネイチャーボーイ。黒いオルフェは館林のソロの時もやっていた。Pooさんのバラードはインプロも曲も絶品だった。魂にくる「何か」がものすごい。こればかりはちょっと言葉が思いつかない。
館林でのソロでは、トリオの時の音楽とは趣が異なった。もっと現代的なクラシック音楽のようなハーモニーとインターバルは、Alban Bergのピアノソナタを思い出させるところもあった。2日目の最後のインプロなんぞは、まるでフルオーケストラがうねりを上げているかのようなエネルギッシュな演奏だった。
ピアノという楽器は、小さなオーケストラなんですよなんていうお決まりの解説があるが、そこからティンパニのようなサウンドまで聴こえてくるなんて誰が想像しようか。演奏後に、あれはフルオケがうねってるみたいだったとPooさんに伝えたら、最近気に入っている新しい奏法が功を奏しているらしく、その弾き方の時じゃないかと。この奏法も、とある手の不自由から生まれたらしい。ミュージシャンとして本当に勇気づけられる。(7/17/2012)
最後に、すでに見た人も多いとは思うが、ブルーノート東京のサイトにも貼られていたyoutubeのPooさんのショート・ドキュメンタリー「out of bounds」から抜粋したPooさんの発言の日本語訳を残したい。
音楽は精神的な修練か?との問に対して
「もちろん。でも、あなたの人生だって同じ事でしょ?それが俺たちが探している事だと信じてるがな」
前よりも良くなったと言うが、なぜそう分かるのかとの問に対して
「そう、自由で、どこにでも行けるね。なぜなら自分の事を信じ始めたからだ。そしたら自分の選択や迷いに対して質問を重ねる必要がなくなった。」
「正しく生きたか、十分に生きたかといった事を考えてきたが、そういう類のゴールはもう気にしていない。もし少しの進展が見えれば、それは素晴らしい事だ」
Pooさんがバラードを弾いた後に、今のは美しかったがなんでそういう演奏はしないんだ?という問に対して
「自分自身を磨かなきゃいけない」
それは別の誰かの音楽だって事か?との問に対して
「そうだ。俺は誰かの歴史の一部にはなりたくない。自分のものだと信じられる音楽を引き出したい。」
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以下おまけ:
須川崇志
1982年2月、(昭和57年)群馬県伊勢崎市(旧境町)生まれ。11歳の頃にチェロを弾き始め、18歳でジャズベースを独学で始める。2001年に日本大学文理学部を中退、その後アメリカへ渡り、2006年にバークリー音楽大学を卒業。
2007年に活動拠点をニューヨークに移す。同年7月、Jake Hertzog (g)のカルテットでスイスのモントルージャズフェスティバルに出演。2008年にはOri Dakari (g)のCD, “Entrances” (Tzadik Records) に参加。この間に、多くのミュージシャンと日々のセッションを重ねる。また、ピアニスト菊池雅章氏との出会いをキッカケに、氏の音楽観から多大な影響を受ける。
2008年9月に日本へ帰国し、現在は東京在住。2010年3月から日野皓正カルテットのメンバーとなる。9月に日野皓正AFTERSHOCKのレコーディングに参加。また同年秋、Aaron Choulai Quintet "Sisia Natuna"でオーストラリアをツアーし、ブリスベン、ワランガッタ等のジャズフェスティバルに出演。2011年には八木美知依ダブルトリオ(MYDT)でドイツのメールスフェスティバル、日野皓正AFTERSHOCKバンドで東京ジャズに出演。他のレギュラーバンドに奥平真吾The Force, 他の共演者に、(以下敬称略)Peter Brotzmann, Barney McAll, Leo Genovese, 太田恵資, 山中千尋, Mike Nock, Todd Nicholson, 山口真文, 伊藤君子, 本田珠也, Tommy Campbell, Gene Jackson等。
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