Concert Report#471

田崎悦子 New Yorkデビュー40周年記念ピアノ・リサイタル〜
Homage to Debussy ドビュッシー生誕150年
2012年10月6日(土)  @東京文化会館小ホール
Reported by 伏谷佳代 (Kayo Fushiya)
Photos by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)

田崎悦子(Etsuko Tazaki;pf)

ドビュッシー:前奏曲集第1巻(全12曲)
 デルフィの舞姫/帆/野を渡る風/夕べの大気に漂う音と香り/アナカプリの丘/
 雪の上の足跡/西風の見たもの/亜麻色の髪の乙女/とだえたセレナード/
 沈める寺/パックの踊り/ミンストレル
<休憩>
リスト:巡礼の年第2年「イタリア」(全7曲)
 婚礼/物思いに沈む人/サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ/
 ペトラルカのソネット第47番/ペトラルカのソネット第104番/
 ペトラルカのソネット第123番/ダンテを読んで「ソナタ風幻想曲」
<アンコール>
ショパン:ノクターン嬰ハ短調(遺作)

田崎悦子を聴いた。1960年代に単身ニューヨークへ渡って武者修行、かの地でサー・ゲオルグ・ショルティに見出され、日本人として初めてシカゴ交響楽団の定期演奏会にソリストとして連続出演したことはあまりにも有名だ。この日は、名実ともに日本を代表するピアニストとして円熟の境地にある田崎の、ニューヨークでの楽壇登場40周年を記念するリサイタル。

田崎というと、バッハやブラームス、バルトークといったドイツ寄りの作曲家をまず思い浮かべてしまうのだが、ドビュッシーの生誕150周年にもあたる今年はドビュッシーとリストの新譜もリリースしたばかりだ。この日のプログラムもそれに一部重複する内容となっていたが、新鮮な驚きと同時に、音楽の精髄にふれたときの、ふかい歓びをもたらすものだった。


祈りにも似た作曲家への寄り添いがうむ、高精度の音風景

田崎の音楽が、とてつもない集中力と没入のうえに成り立っていることは今さらいうまでもないが、そこで展開される世界は、何と誠実でピュアで、人生がまとった成熟のすべてが総動員されての、飾らない暖かさに満ちていることか。そこでは巷にありがちな、ピアニスティックに華麗で色彩感あふれる、軽妙なドビュッシーとは趣を異にする。うつくしい彩りをもつ音色ではあるのだが、すっと肌になじむ、草木染めのような素朴な風合いであり、内に秘めたる芯のつよさが真実味を湛えて止まない。「デルフィの舞姫」に指がおとされるや否や、ピアノは木造であるという素材感がストレートに広がる。しんしんと心に降りてゆく音色であり、じわじわと、しかし実際には急速に聴き手は田崎悦子の世界に浸食されてゆく。日常とは別次元の恭しい沈黙がそこにはある。

ドビュッシー特有の挑発的な調性の妙は、ひたすら透明に徹した作曲家への共感と深い洞察のもと、じつにすっきりと、凛としたうつくしさで再現される。ソノリティは近寄りがたいほどの屹立した高貴さだ。スコアにかぎりなく忠実であると同時に田崎の音でしかない独立性。複数のコードとメロディが同時に鳴り響くとき、意識裡をおおきく跨いだ乖離感のような、離人症的なふしぎな感覚がおそう(「雪の上の足跡」など)。それぞれの音が完結しているのだ。あまりに直截的で思考の余地さえ挟まなかったのが「西風が見たもの」である。作曲家が何を表現したかったのか、がこれほど露わに、むき出しに迫ってくる演奏は稀である。風を表したもの、ではなく「風そのもの」が眼前にある。色彩のブレンドなどという生易しいものではなく、弱強のマグマが、突風が、峻厳とそこにある。主義主張を一旦消滅させながらも、田崎悦子でしかない風景が...。全12曲それぞれの、始末の在り方(残響の部分)もヴァラエティに富んでいる。必ずしもすべてが「自然に」消えてゆくのではなく、ときにぎらつくような逆光を感じさせるときもある(「野を渡る風」)。


皮膚に吸収されてゆく、熱狂的な消失の音楽

リストでは音色がぐっと濃厚になる。しかしながら、虹彩が広がるように感じられるだけでなく、単なる「きらびやか」に終始しない高い精度を内包する。イタリアの陽光の陰影をふんだんに盛り込み、各曲のコントラストは神々しいほどの厳格さを保ちつつも、電流のように隙間を流れおちるパッション。特筆すべきは、作曲者の情念の化身であるそうしたエナジーが、耳から耳へすりぬけてゆくのではなく、ことごとく聴き手の皮膚のなかへ吸収されてゆくことだ。熱狂的な消失。「物思いに沈む人」での、窒息せんばかりの締め上げ感をみせた左手の破滅的魔力も迫真ながら、「ダンテを読んで」ではあり余らんほどもつ技巧的ヴィルチュオズィティや流暢さは背後へまわし、ときに武骨に、じっくりとリストという男のロマンティシズムを謳い上げる。行間で語るがごとく、音間に滲む円熟と憂愁、しずかな歓喜。天才作曲家との交感において、田崎悦子はますます充実の時をむかえているようだ(*文中敬称略。2012年10月9日記)。


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