Concert Report#474

フェドセーエフ80歳記念ツアー/チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ
2012年10月17日(水) @サントリー・ホール
Reported by 伏谷佳代 (Kayo Fushiya)
Photos by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)

ウラジーミル・フェドセーエフ(Vladimir Fedoseyev;芸術監督/指揮)
チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ(Tchaikovsky Symphony Orchestra of Moscow)

スヴィリードフ:交響組曲「吹雪」〜プーシキンの物語への音楽の挿絵〜より
 冬の道/ワルツ/婚礼の儀式/軍隊行進曲/ロマンス/ワルツ・エコー
リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲op.34
<休憩>
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調op.93
<アンコール>
チャイコフスキー:『白鳥の湖』より「スペインの踊り」

1930年に設立され、名実ともにロシアを代表するオーケストラであったモスクワ放送交響楽団は、1993年に正式名称をチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラへと改めた。旧ソ連時代より国が威信をかけておこなっている一大イヴェント、チャイコフスキー国際音楽コンクールの本選でバックをつとめるのもこのオーケストラであったが、名称にチャイコフスキーを冠したことで、以前にもまして文化の国際親善大使としての期待を寄せられているのだろう。激動の歴史そのものの、磐石の重みをもつ音の連続。これだけの大所帯で一糸乱れぬ緻密なサウンドを維持していることは、冒頭の一秒からしてたちどころに明らかとなる。そして、この類まれな集中力をもつプロ集団を38年間にもわたって率いているのが、今年傘寿を迎えた名匠ウラジーミル・フェドセーエフである。20世紀の旧ソ連・ロシア史の生き証人のようなこの組み合わせで実現した今回の日本ツアーは、全8公演のすべてが全ロシア・プログラム。東京の3日連続公演のうち、最終日を聴いた。


ナノ・レヴェルの繊細さをもつ極上のピアニッシモ

スヴィリードフの「吹雪」、全9曲中よりフェドセーエフが選曲して新たに組み直した6曲が奏される。圧倒的に研ぎ澄まされた静寂の美ではじまる第1曲「冬の道」。一瞬これは録音ではないのか、と思わせるほどのコントロールされた遠近感だ。無駄なものが最大限度に削ぎ落とされた、ただならぬ凛冽さを空気がまとう。しっとりと積み重ねられてゆく弦のヴィブラート、その反復のうねりは、表層をミクロならぬナノ・レヴェルの繊細さと清明さにまで張りめぐらせては、均してゆく。気圧されんばかりの孤高で幽玄なるピアニッシモ...まずこれに心打たれぬひとはいないだろう。一転して「ワルツ」や「行進曲」などの舞曲では、そうした緊迫から一気に躍動感がはじき出る。音符が翻るさまが見えるかのようだ(元は映画音楽であることが思い出される)。とりわけ最後尾横一列にずらりと配されるコントラバス・パートは、その統制の妙を極めるアンサンブルとともに視覚的にも圧巻である。ピッツィカートでは舞い上がるような楽しさを増幅させ、バスを担うときには、さながらブルドーザのごとくグルーヴの重心の手綱を握る。フェドセーエフの指揮は、無駄を排したミニマルな所作でありながら、まさにその微細な動きのひとつひとつがサウンドの迫力の肝であり、オーケストラから無尽蔵の音色のうつくしさを引き出す契機となる。例えば、メタリックで水平な方向へ凝集していたサウンドの板が、急激に深いカーヴを描いて鋳型を造りあげるような変幻をもたらす。指揮者が内蔵しているものの計り知れなさが身体の振動ひとつひとつからこちらに伝わる。厳かなるエネルギーの共振。圧巻は5曲目の「ロマンス」で、ピアノとコントラバスではじまるデュオに、チェロやフルートなどがつぎつぎにメロディを重ねてゆく。各々のソロイストが達者な役者ぶりをみせ、民謡調のメランコリックなメロディは濃厚に増幅されてゆく。打楽器に徹した一見無機質なピアノが、終始無慈悲ともいえるような哀しさを漂わせムード満点。あくまで「クラシック音楽」としての枠を崩さず、こうした大胆な感情表出ができるところに、オーケストラの格がうかがわれる。

リムスキー=コルサコフでは、しっとりとした弦のテクスチュアだけでなく、そのアクロバティックな弓の昇降が、音楽にふくらみと飛翔感をもたらす。たしかにスペインらしいモチーフが散りばめられた作品であり、それらは色彩豊かに実現され、拡充されてゆくが、単なる異国情緒に聴こえないのがこのオーケストラの凄いところだ。「本物」に対峙したとき、人は実はエキゾチズムは感じないもので、ただ臨場感に呑まれる。コンマスのミハエル・シェスタコフ(Mikhail Shestakov)を筆頭に、各々のソロが単なるオーケストラのいちポジションを超えた灰汁の強い個性を剥き出しにする。実物のロマのヴァイオリン弾きも真っ青の押し出しの良さではあるまいか。こうした、個々の奏者を最大限に自由に泳がせるところこそが、フェドセーエフの厳格な手綱繰りの逆証明となっているのであるが。フィナーレにかけてのパーカッション部隊の発動の良さも特筆もので、さながらフェドセーエフはつぎつぎと大掛かりな仕掛けを施してゆく花火師のように映る。


終わることなきマエストロ・フェドセーエフの物語

後半のショスタコーヴィチでは、細部の緻密さが粛々と進行しながらも、大きな波として楽しめるような、充実した仕上がりとなっていた。ショスタコーヴィチ独特の音名象徴がもたらす不穏な音流の蛇行はことさら感情的にはフォーカスされず、各楽器のソロや合奏部分のクオリティの高さが自然の帰結として納得される。各楽章にわたり金管楽器とパーカッションがすぐれた能力を発揮していたが、やはり弦の小回りの良さが楽曲全体の造形をヴィヴィッドなものとしている。オーケストラ全体を巨大な生命体に喩えたときに、血液の流れを担うのがこの弦パートであるような気がする。長大な第1楽章や華やかなフィナーレも聴きごたえがあったが、第2楽章のアレグロが闊達で起爆力に富む。4分の2拍子は、弦とパーカッションというこのオーケストラの最強部隊が二重にビートを担うことにより、迫力満点の旋回ぶりだ。ヴァイオリンはごく狭い音程間を行き来しているのだが、反復の塗り重ねの執拗さ、その溜めと跳ねが、胸をかき乱すようなエネルギーの爆発を生む。恋人の名前をモノグラムしたことでも知られる第3楽章・アレグレットなど、閑寂と喧騒のコントラストが激しい楽章も、このオーケストラに通底するぴんと張りつめたテンションの高さを味わうのにうってつけだ。各楽器が、個々のモチーフが、最高水準で全うされることによる起伏の連鎖。リズム的な活きの良さ、場面切り返しのキレの良さ、イメージ喚起力に富む音色のニュアンスづけ、喜怒哀楽の激しさとその暴発による混濁の余韻が、驚くべき執念による極度に知性的な営みの積み重ねとして感知される。稀有な聴覚体験である。高精度のインストゥルメンタルから、歓びと悲哀がいちどきに滲み出るさまを、何と表したらよいのか...キャリアのみがもたらす味、練達を超えた先にある真の開放、etc...。魂に食い込む音楽である。マエストロ・フェドセーエフが生涯をかけて打ち建てる壮麗なる音の建造物は、容易に完成のオーケーが出ないぶん、オーケストラとの蜜月は続いてゆく。アンコールに奏された「スペインの踊り」でみせた一丸となっての大ハッスルに、それを暗示する祝祭的な気分の高揚を見た思いがする(*文中敬称略。2012年10月18日記)。


【関連リンク】
http://www.fedoseyev.com/en/
http://amati-tokyo.com/tour/20120505.html









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