Concert Report#480

松本和将ピアノリサイタル〜原点回帰〜6年の時を経て、ドイツの巨匠たちを弾く
2012年10月31日(水) @東京文化会館小ホール
Reported by 伏谷佳代 (Kayo Fushiya)

松本和将(Kazumasa Matsumoto;pf)

シューマン:アラベスクハ長調op.18
       :こどもの情景op.15
ベートーヴェン:ピアノソナタ第17番ニ短調op.31-2「テンペスト」
<休憩>
ブラームス:6つの小品op.118
ベートーヴェン:ピアノソナタ第21番ハ長調op.53「ワルトシュタイン」
<アンコール>
シューマン:トロイメライ

どの分野であれ一握りの卓越した才能の持ち主というものは、抜群の吸収力とユニークさをもっており多芸だ。松本和将が日本のクラシック界にあって異彩を放つのも、その多角的にアンテナが張り巡らされた感性の鋭さだろう。ピアニストとして高校生でホロヴィッツ国際コンクール第3位、19歳で日本音楽コンクールを制し、各特別賞も総ナメにした早熟の才ながら、決してクラシックの枠内に収まる優等生ではない。ロックバンドでギターを、オーケストラではヴァイオリンを弾く。音楽の経験値の次元の高さは、甚だ欧米的である。2000年にベルリンに渡った彼は、2001年ブゾーニ国際で第3位、2003年にはブリュッセルのエリザベート王妃国際で第5位に入賞している(エリザベート国際がショパンなど他のコンクールと比較して日本人入賞者がすくないのは、現代音楽の新曲審査もその原因のひとつだろう。あたらしい課題をその場で手渡され、コンテスタントたちは数日間練習室にこもりきりになって仕上げる。初見の能力はもちろん、適応力や即興のセンス、何よりも「自分の音楽をもっているか」が試される。裏を返せば松本和将にはぴったりの審査方法ということになろう)。近年はソロやオーケストラとの共演はもとより、和太鼓や尺八などの邦楽方面など、ジャンルの垣根を排した活動をおこなっている。ドイツ音楽に取り組むのは、ベートーヴェン3大ソナタと「ハンマークラヴィーア」という膨大なスタミナを要するプログラムを組んだ2006年以降6年ぶり。ショパン・ツィクルスを経ての、ドイツ音楽「原点回帰」と銘打たれた公演である。


脳と指先、その直截性...空間浸透力抜群のサウンド

シューマンの「アラベスク」。指の筋肉をひとつひとつ解してゆくようなピアニシモは、ひたすら柔和だが、取ってつけたような抒情は排している。ペダル効果もほとんど感じない、素顔の音だ。並外れた10指の運動性は、自然な指の落下のみでかくも馥郁たる、まろやかな音色を創り出すものかと感心する。深い呼吸と呼応したダイナミックなフレージングとともに、霧の晴れ間を縫うような、濃厚な気配があとを曳く。この紛れもない「シューマンの音」は、『子どもの情景』に突入してからより一層研ぎ澄まされてゆく。たとえば第2曲「ふしぎなお話」などで鋭い跳躍をみせる音も、その内にヴェルヴェットのような素地をふくむ。頭のなかでみごとに交通整理された音列を、身体がなぞり、敷衍している感覚だろうか。指先と脳の直截な関係が、聴き手にまでダイレクトに、しんしんと伝わる。音のエッジの細かな処理など、幾重にも折り畳まれた複合的なピアニズムは、「トロイメライ」に至ってまるでオルゴールにも似た哀愁と憧憬を漂わせる。打鍵という一見シンプルな運動性に込められた、ヴェテランの入魂。第9曲「木馬の騎士」では一気にポリフォニックなフォルティッシモが炸裂する、その夥しい音の容積の拡がりに感服した。終曲に向かうにつれ、ホールの音響との交感が増したのか、音で空間と対話し、場の空気を牽引してゆくような自在さを生んでいた。天井から降り注ぐやわらかで饒舌なサウンドは、聴き手にも心地よい。


記譜に命が吹き込まれる、鮮やかなライヴ感覚

ニュアンスの宝庫ともいえるタッチと瞬発力も巧みな「テンペスト」、ブラームス「6つの小品」と聴きすすんでいくうちに、誰もが期待してしまうのが「ワルトシュタイン」である。このヴィルチュオーゾ・ピアニストの手にかかると、とりわけ第1楽章冒頭の同音連打などどうなってしまうのか、と。予想を裏切らぬ圧倒的な仕上がりである。シューマンに比してずっと直情的な音色に切り替わる。テンポは相当速めの設定。一音一音の乾いた均一性、一瞬たりとも手綱が揺るがぬテンションは、駿馬が駆け抜けるがごとく、否、カラシニコフ銃のような容赦なさ、と言ったほうがよいかもしれない。ドラマーに匹敵するビートである。特筆すべきは、そのフォルテの質であろう。各場面で要求されるのがいかなるタイプの強音であれ、決して平板な響きにならないのである。鉄の一枚板ではなく、厚みのある鐘のような底力と柔軟性、包容力をもっている。ピアノという巨体の、絶えず核心へと斬り込む、ストレートで、フォーカスの効いた音色。語りたいことにブレがないが、単純化とは無縁。第3楽章のロンド主題では、手を変え品を変え立ち現れるリフと、表情ゆたかな強弱の妙が一体となって、保温力と強度も長ける、厚みのあるタペストリーを形成していた。おそらくは松本の弦楽器体験が糧となっているのであろう、とりわけピアニシモ部分で見せる身体を共振させたメロディ性は、弦楽器での歌い方に近い。それと対を成すかのように、フォルティッシモになると縦刻みのパーカッシヴ性が増す。その時空の縦横ジグザグの刻み込みが、音楽をエラスティックに伸縮させ振動させる。身体全体から絞りだされる音は、すべて呼吸と軌を一にしている。記譜に命が吹き込まれる...松本和将の演奏の魅力は、色褪せることのないそのライヴ感覚にある。それは、作品が手の内に入れば入るほど瞬間へ賭す度合が増す、生まれながらのミュージシャン魂であろう。(*文中敬称略。2012年11月1日記)

追記:クラシックを聴きなれない聴衆も多かったのか、拍手のタイミングや過多な雑音などが気にかかる瞬間もあった。クラシック音楽受容の裾野を広げる際に、ついて回る問題ではあるのだが...。演奏の質に比して少々残念。

【関連リンク】
http://www.kaz-matsumoto.com/top.php

写真提供:東京音協



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