Concert Report#497

ジ・アート・オブ・アルド・チッコリーニ ピアノリサイタル
2012年12月1日(土) @すみだトリフォニーホール
Reported by 伏谷佳代(Kayo Fushiya)
Photos by 林 喜代種(Kiyotane Hayashi)

<出演>
アルド・チッコリーニ(Aldo Ciccolini;pf)

<プログラム>
デオダ・ド・セヴラック;
「春の墓地の片隅」〜組曲『ランドックにて』より

『休暇の日々から』第1集
T.シューマンへの祈り
U.おばあさまが撫でてくれる
V.小さなお隣さんたちが訪ねてくる
W.教会のスイス人に扮装したトト
X.ミミは侯爵夫人の扮装をする
Y.公園でのロンド
Z.古いオルゴールが聞こえるとき
[.ロマンティックなワルツ

「リヴィアのキリスト像の前のラバ引きたち」〜『セルダーニャ』5つの絵画的練習曲より
演奏会用の華麗なワルツ「ペパーミント・ジェット」
<休憩>
クロード・ドビュッシー;
『前奏曲集』第1巻
1. デルフィの舞姫たち
2. 帆(ヴェール)
3. 野を渡る風
4. 音と香りは夕暮れの大気に舞う
5. アナカプリの丘
6. 雪の上の足あと
7. 西風の見たもの
8. 亜麻色の髪の乙女
9. とだえたセレナード
10. 沈める寺
11. パックの踊り
12. ミンストレル

*アンコール
スカルラッティ;ソナタK.380
グラナドス:アンダルーサ

87歳の名匠にいざなわれる、至福の別次元

昨年に続いて、87歳を迎えたチッコリーニが元気な姿を見せてくれた。昨年は生誕200年に当たっていたリスト、今年は150周年を迎えたドビュッシーを引っ提げての登場である。しかも、プログラム前半にはデオダ・ド・セヴラックを取り入れるという、ほぼ生涯をフランスで過ごし、若い頃に録音ものこしているチッコリーニにとって愛情もひとしおの選曲であろう。

チッコリーニのオーラというのは独特だ。弾きだすまえからステージ全体がやわらかな靄につつまれるような、現実とは別次元の時が流れはじめる。奏者が放つ磁力がここまで強いことは稀有だ。「春の墓地の片隅」、『休暇の日々から』第1集、「リヴィアのキリスト像の前のラバ引きたち」を経て「ペパーミント・ジェット」へ至る一連のセヴラック作品を通じ、音量は極めて控えめだ。ほぼピアニッシモの範囲内での、まばゆいばかりの音の舞が連続する。音色は決して華やかではなく、朴訥とした味わいを保ちつつも、ひたすら音本来がもつ透度へと沈みこむ。クリスタル・クリアとも異なる、芯へ芯へと降りてゆく没入と、楽器の奥深くから匂い立つ自然な陰影。メカニカルな痕跡は消え、すべてはチッコリーニという名匠自身から絞り出される音として各々が独立した生命力を放つ。どんなに解放弦の度合が増しても、語りたい「うた(節)」だけが、すなわち核心のみがぬっと浮き出る、強靭なフィーリング。それが楽器のあらゆる機能を上回る。余白でも気配としての音楽が制す。曲の合間の拍手なく一気にメドレーのように弾き進められた第1部、洒脱な演奏会用ワルツである終曲へ至るころには、観客は完全にチッコリーニの節回しのうえに乗せられている。とりわけその左手が、視覚的にも白い蝶のようなおおきな翻りをみせるときは、ピアノの中・低音域がいぶし銀の渋さで音を詠み始める合図だ。気がつけば、聴き手はすでに別次元に採りこまれている。


押し寄せる音のきらめき、甘やかなる戦慄

後半はさすがドビュッシー弾きとして鳴らしたキャリアが溢れ出るものであった。当日のプログラムにもあるとおり、ドビュッシーの前奏曲集は決して標題音楽ではないのだ。ドビュッシー自身が「あえて言葉にすれば..」と控えめに記したにすぎぬというタイトルの数々。われわれも曲名から想像たくましく身構えて、現出される風景を待ってしまう癖がないとはいえないだろうか。チッコリーニによって紡ぎ出される音の連続こそ、まさにそうした聴き手の「凝り」をほぐしてくれるプロセスそのものである。ごく自然に、衒いなく音がある。古代ギリシャの神殿都市に想を得ながらも、威容とは対極にある苔生した風景を彷彿とさせたり(「デルフィの舞姫たち」)、音の輪郭がぶれるに任せながら、その実水面下で直線的な方向性を用意したり(「帆」)、無機質な装飾音が、気がつけば遠方からの地鳴りのような風景へと変転していたり(「野を渡る風」)、楽曲内で解決を見ない混濁と鬱屈がつぎの曲で照り返しのような応答を得たり(「音と香り〜」〜「アナカプリの丘」)などなど。虚を突くように、波の飛沫のような煌めきで一気に押し寄せる音たち。表題音楽のような、分かり易い像は結ばない。ただ多彩な運動、こちらの予定など忖度しない圧倒的な横溢がある。弱音の豊富なニュアンスを主体として推し進められてきたのが、折り返し地点の「西風の見たもの」あたりから、大きなダイナミクスがうねるようになり、以降は饒舌と寡黙、動と凪とのあいだにある、無数の起伏がつづく。なかでも白眉は「沈める寺」で、ここではチッコリーニの魔術的な左手の舞がふたたび。あたかも重力を楽しむかのような年輪のルバートで、寡黙ながら容赦ない一撃を刻んでゆく。その低音の威力は、音量の如何でも骨の髄まで届く類のものだ。

アンコールの1曲目、スカルラッティでの高音のスプラッシュ、そのうつくしさは忘れられない。稚気にあふれた、何か宗教的な神々しさをも感じさせる音色である。聴き手の心から、夾雑物が洗い流される。漆黒のなかにチッコリーニの二手だけがスポットライトで浮かびあがる、という照明も実にオツな演出。あの手の舞にいざなわれる至福が、今後も出来うる限り長くつづくことを希いつつ(*文中敬称略。12月2日記)。


【関連リンク】
*前年度公演レヴュー
http://www.jazztokyo.com/live_report/report376.html











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