Concert Report#498

クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル
2012年12月12日(水) @すみだトリフォニーホール
Reported by 伏谷佳代(Kayo Fushiya)
Photos by 三浦興一

<出演>
クリスチャン・ツィメルマン(Krystian Zimerman;pf.)

<プログラム>
ドビュッシー;『版画』1. パゴダ 2.グラナダの夕べ 3.雨の庭
       ;『前奏曲集』第1巻より
        2. ヴェール 12.ミンストレル 6.雪の上の足跡 8.亜麻色の髪の乙女
        10.沈める寺 7.西風の見たもの
        <休憩>
シマノフスキ:3つの前奏曲~『9つの前奏曲』op.1より
ショパン;ピアノ・ソナタ第3番ロ短調op.58

すべての音は、響きの次元で

クリスチャン・ツィメルマンは、ここ1年半ほど活動を休止していたらしい。自己を省察する時間ということであったということだが、楽器・調律・ホールの音響に至るまで細心の注意を払い、万全の対策を練ることで知られてきたこの巨匠は、ステージにあらわれるや否やそんな聴き手の構えを解きほぐすかのような、温かい威容をもつ。やわらかな銀髪とともに、その身振りの端々から誠実な人間性が溢れ出る。この日はドビュッシー・イヤーに相応しい前半に、後半はツィメルマンにとっては「お国もの」であるロマン主義の巨人2人、シマノフスキとショパンが名を連ねる。

ポリシーが徹底した奏者によく見られるように、アンコールはなく、演奏曲目も少なめである。しかし、この日、すべてを聴き終えたあとに筆者をおそったユーフォリィに近い感情は何であろうか。とにかく余韻からしばらく逃れられなかったのである。そう、この余韻こそがツィメルマンの音楽を語るうえで外せない要素だ。音という音が、すべて響きの次元で観察されるのだ。音が色と香りを放ち大気化する。それは緻密な鍛錬のうえに成り立つ現象であることには変わりないのだろうが、一音が、一瞬が、極限まで充実しつくし連続することでもたらされるある種の飽和状態。それが聴き手に与える歓喜は計り知れない。ゆっくりと咀嚼することで確実に身体に音楽が染み渡るよう、考えつくされたプログラムの量と構成。みごとな整合性である。


精巧な設計と運動性が可能たらしめる、即時的なフィーリング

前半のドビュッシーでは、洞察力すぐれた楽器との対話が楽しめた。じっくりとピアノの声を聴き、引き出し、それらを自在に伸縮させる。個々の音色は単色でも複色でもないひと続きのパースペクティヴを有す。曳きのおおい音像ではあるが、同時に瞬発力も兼ね備えており瑞々しい運動性を保つ。『版画』では、各曲のエンディングでの残響の収め方が見事。それまでの音楽を丸めこむように、たっぷりと糸を引くように、二手の中へと音楽が収められてゆく。さながらマジックである。また、ツィメルマンの音楽は情熱的な激しさを絶えず根底に秘めており、多弁である。例えば、「グラナダの夕べ」など、清冽で理知的な響きの連なりから、エキゾチズムたっぷりのパッションが静かな流氷のようにどこからともなく寄せてくる。それらが埋没しあい混じりあう、細やかだが野太い奔流は、ひたすらに成熟した男の音楽である。

『前奏曲』6曲は、ツィメルマン本人による順不同の選曲ということもあろうが、先日聴いたチッコリーニと比較しても、1曲ごとの完結性が高い。茫漠とした拡がりと、音の収縮とのあいだのコントラストがひじょうに素早いのだ。結果、かなり自由にルバートを効かせているということになるが、そうしたフィーリングの遊泳は、完璧主義の設計のうえにたつ彼一流の「現場主義」の部分であり、瞬間に沸き立つ詩情を存分にぶつける場となっているのであろう。白眉は「雪のうえの足跡」と「沈める寺」で、前者は静寂のうねりの見事さ、のたうち回るような無の雄弁に圧倒され、後者に至っては、表層的な音のテクスチュアが醸し出す縦横無尽なムーヴメントにも関わらず、響きの部分での造形の美しさに屹立した安定性が保たれていることに目をみはった。


コントロールの極北から迸る想像力

さて、後半のシマノフスキとショパン。今年没後130年にあたるシマノフスキは、あまり奏される機会のない作曲家かもしれないが、濃厚なロマンティシズムを湛えており、少々しつこいほどにメロディが塗り込められている。ツィメルマンの演奏は、静謐とのコントラストを随所に織り込みつつ、かなり朗々とした歌(「唄」の要素も色濃い)を聴かせるもので、楽器の鳴りも奥深くからの、集約されたものである。最後のショパンのソナタは、イーヴンな饒舌さと速度をもつ二手による、響きのタペストリー。スコアから音が絞り出されるのではなく、輝くばかりの音の寄せ集めが元をたどれば曲になっているような、逆転現象ともいえる音色の勝利。すべての瞬間を留めておきたいとおもわせる、甘美さと哀切さを空気に刻み込む。前述のとおり、大胆なテンポ・ルバートのもと、ふと掠れたり途切れたりするメロディの狭間に、何と豊かな精神が息づいていることであろうか。そこでは、ポーランドの田園風景も、車窓風景のように足早に過ぎ去る。もっとも感銘を受けたのは第3楽章のラルゴである。ふたつのパートはあたかも真空状態を間に抱え込み、両端で囀るような二重奏。重苦しい沈黙がまばゆいまでに白熱している。あたかも過去と現在の併走のような、不思議な時空感覚を味わった。かくも考察され、コントロールされつくしながらも、これだけ自由な想像力を巡らせる余地を残したショパンには、なかなか出会えるものではない(*文中敬称略。12月13日記)。


追記;開演前に、無断録音の禁止の徹底を促すアナウンスが流れた。何でも、氏の演奏会を無断録音してYouTubeで流したファンがおり、レコード会社との契約解除問題にまで発展したという。もちろんこのファンを巻き込んでの訴訟となったようだ。ジャンルによらず、一部の心ない音楽ファンの品性劣る行為が問題となっているが、嘆かわしい限りだ。あらゆるコンサートで、常識の徹底が声高に語られる時代となってしまったのだろうか。











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