Concert Report#509

東京フィルハーモニー交響楽団特別演奏会 シェーンベルク『グレの歌』
(1911年作曲/1913年2月23日世界初演)
2013年2月23日(土) 文化村オーチャードホール
Reported by伏谷佳代(Kayo Fushiya)
Photos by林 喜代種(Kiyotane Hayashi)

<出演>
指揮:尾高忠明
ヴァルデマル王;望月哲也(テノール)
トーヴェ;佐々木典子(ソプラノ)
山鳩;加納悦子(アルト)
道化クラウス;吉田浩之(テノール)
農夫/語り;妻屋秀和(バス)
合唱;新国立劇場合唱団
合唱指揮;三澤洋史

初演から100年、楽団設立から102年---不屈の意志で実現された世紀の公演

無調時代に移行するまえに書かれたシェーンベルクの大作『グレの歌』を聴いた。もとは2011年に東京フィル創立100周年記念の一環として企画されていたものだが、先の大震災の余波で断念。指揮の尾高忠明をはじめ、実現へむけたメンバーの不屈の意志が、めでたくこの日2013年2月23日に報われることとなった。しかも、1913年2月23日の初演から、きっかり100年目という記念すべき日に。この幸運ともいえる不思議な巡り合わせに、シェーンベルクの娘であるヌリア・シェーンベルク・ノーノも、ヴェネツィアより祝福のメッセージを寄せている。

それにしても迫力の規模である。オーケストラ151名、合唱120名、ソリスト5名の大所帯。開演前のステージ・セッティングを見ても、かつてない密度に圧迫される。構成をさきに述べれば、ヴァルデマル大王と少女トーヴェの愛の語らいを中心とし、そのトーヴェが王女の嫉妬により殺害されるまでの第一部60分、休憩をはさんで、トーヴェの死を悼み大王が神を告発するみじかい第二部、真夜中の王の荒々しい徘徊と夏の到来による救済の第三部(60分強)。テクストとシーンへの正確な理解をうながすために、ステージの両脇には電光字幕が配されたが、これは効を奏したか否か(筆者は気がそがれた)。映画とおなじで、瞬間に視覚が追える文字数に規定されてくるわけだが、そうなると俄然漢詩調の、みじかく凝縮された日本語訳の登場となる。お堅い表現に不慣れな聴き手には、視覚として漢字の型は認識しても、即座に意味が入らない、よって結局「音だけで聴いたほうがいい」となってしまうのではないか。

大編成オーケストラとソリストの拮抗、そのストーリィとの兼ね合い

まあ、こういったことは『グレの歌』全般からみれば些細なことではある。オーケストラの音量が相当に肉厚であるために、そのなかでみたときに4人のソリストの声量がどれだけの存在感を放つか、がまず関心の行く先である。ヴァルデマル王役を張る望月哲也の声は、伸びもよかったのだが、結果としてオーケストラの音量と相殺されてしまう瞬間がかなりあった。いや、ストーリィと絡めて全体的な視点で考えてみると、このストーリィは現世よりも死後の世界や怨念、そしてすべてからの治癒をうながす自然の力に重点が置かれており、そうしたシーンへの誘い役ともいえる山鳩や道化・農夫のほうがじつは目立つ役割なのではないか、と思ってしまう。オーケストレーションとの兼ね合いもあろうが、実際ソリストの声量が器楽と互角に認知されてきたのは(すくなくとも、筆者が聴いた二階席前方中央では)第一部も終わりになって、加納悦子扮する山鳩が登場してからである。加納の声質は、微妙のあいだを縫うのが巧みである。シラブルの明瞭さ・音の伸び・オーケストラに埋没しつつも流氷の一角のように絶えず己の気配を漂わせる突出力。シェーンベルクが影のように付きまとわせる第6音の存在も、巧妙に瘡蓋(かさぶた)のようにちらつかせる。農夫と語り手を演じた妻屋秀和の地鳴りのようなバス音も、物語全体をドラマティックに揺るがす。とりわけ、第三部での「語り」がすばらしかった。明快でありながらも粘着質であり、表面をはじくような艶やかさに彩られた声色。まさしくヴォイスとヴォーカルの折衷をいくものであり、モダンかつ普遍的ともいえるしなやかさである。生活体験のレヴェルで当該言語を血肉化している貫禄が漂っていた。

周到なる物語抽出力、演劇性豊かな尾高忠明の牽引

さて、この超大曲への尾高忠明の牽引力について述べれば、大編成のなかでのパートの細分化がもたらす不可避的なテンポのもたれは最小限に抑えられ、ふかい物語性へと聴き手を誘い込むものだった。冒頭のオーケストラによる序奏の部分で、すでに勝利を収めていたと言っても過言ではない。黄昏時の光を描写したという場面だが、各楽器がそれぞれにしか表出しえない個性を発揮しつつも、うまい具合に互いの輪郭を緩めては溶け込んでゆく。濃霧のようなうつくしさ。この時点で、音の連なりは単なる時系列を超え、自由な発想の世界へととび立つ。書物と同様、物語が大掛かりになるほど、しばし序文での方向性がその後の展開をおおきく左右するのだ。静の世界で絞りを効かす尾高の手管は随所で発揮され、たとえば第一部7章などでのミュートをかけたような急激な音量への収束など、内的なドライヴ感で興奮を煽る。ピアニッシモの前後での起爆の度合いが激しいほどに、効果は高まる。こうした楽曲全体にわたって張り巡らされた尾高の演劇性の豊かさは、舞台に登場する出演者の挙動までを大なり小なり組み込んだもので、第三部で王の臣下たちとして結集する男性合唱団が一斉に起立する際の迫力なども忘れがたい。五線譜の周辺に付随するさまざまな雑音、そうした諸々を含んでの空間制御力であり、よりドラマを人間らしさへと近づける。朝の兆しのなかで迎える第三部「荒々しい狩り」最終歌も、低音管楽器と人声のみという「息」に特化した楽曲構成が活きる仕上がり。ウエットな合唱部は朝露のようなみずみずしさを放っていた。

このように、とりわけピアニッシモにおける溢れんばかりの叙情から、文字通り怒髪天を衝くがごときトゥッティまでが、細心の入念さでもっておおきなドライヴ感で連ねられているところに感服した。尾高忠明と出演者全員の「想い」が伝わる迫真の出来映えであったといえるだろう。無調のシェーンベルク、というステレオタイプ化したイメージを覆す、人間味あふれる作曲家の隠された一面をも見た思いだ(ただ、前述したように、ストーリィが忠実に抽出されればされるほど、浮き彫りになるのがヴァルデマル王の役回りの孤独さというべきか。ほぼ最初から出ずっぱりで、前述したように強音との競合がおおく、印象的な見せ場がすくない。望月ほどのヴェテランの歌手にとっても苦戦したであろうと思う)。
出演者全員の没入のふかさは、休憩前の第一部終了時にすでに波のように客席に伝わっており、指揮棒の静止と沈黙、そして照明の暗転が以心伝心のように呼応した。たとえストーリィを全く知らない者が混じっていても、ここで無粋にも拍手をする輩はいなかったであろうと想像する。音に感応するという沈黙---それが訪れた瞬間であった (*文中敬称略。2013年2月末日記)。

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