Concert Report#518

ブリュッヘン・プロジェクトT・U・V
/フランス・ブリュッヘン&18世紀オーケストラ
2013年4月4〜6日(木〜土) すみだトリフォニーホール
Reported by伏谷佳代(Kayo Fushiya)
Photos by林喜代種(Kiyotane Hayashi) )

<出演>
フランス・ブリュッヘン(Frans Brueggen;指揮)
18世紀オーケストラ(The Orchestra of the Eighteenth Century;管弦楽)
ユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva;ヒストリカル・ピアノ)※第2夜

フランス・ブリュッヘンが18世紀オーケストラと最後の日本公演をおこなった。3夜連続。なか1週間挟んで、新日本フィルハーモニーとの公演もおこなったが、その模様は次号にてレポートする。現代において、古楽形式で演奏することの意義-----それは、楽曲を次世代へ継承することが否応なく含みこむ、さまざまな変化やちいさな淘汰への警鐘であり、同時に作曲家への先入観や解釈の惰性を洗いなおすことによる、その魂へ別の角度からの肉迫である。そして、結果として聴き手の知覚を拡げてゆくこと。あらたな感応性の獲得。身を削るような楽曲の精査と共感からしか生まれえぬ壮大なロマンである。30年以上をかけてそれを追及しつづけたブリュッヘンの雄姿に、会場は終始熱気につつまれた。

【第1夜】
<プログラム>
ベートーヴェン;交響曲第2番ニ長調op.36
ベートーヴェン;交響曲第3番変ホ長調op.55「英雄」
*アンコール
シューベルト;ロザムンデ

理想と現実の音との限りない近似値、オーケストラ迫真の洞察力

第1夜は18世紀オーケストラの看板ともいえるベートーヴェンのシンフォニー。ふだんあまり奏されることのない第2番と、超名曲の第3番「英雄」の組み合わせである。オーケストラは総勢46名。ちいさなことかもしれないが、第1ヴァイオリンよりも第2ヴァイオリンのほうが1名おおい。中音域の充実に細心の配慮がなされている。他の古楽オーケストラ同様、ピッチは低めに抑えられているが、その抑制の美、大仰なヴィヴラートなどを用いない、楽器の素材感にストレートに己の練磨した技を託す姿勢-----それらがある種の浄化された静謐さで会場を満たす。車椅子で登場したブリュッヘンは、指揮台に座るなり、極度の没入でもって訥々(とつとつ)と自己の内部で醸成された音楽を具現化してゆく。指揮者が意図する音楽と、それに妥協なくしがみつくオーケストラのメンバーたち。理想と現実の音のギャップは、かぎりなくゼロにひとしかったのではないか。何より、少人数が可能たらしめる弦の揃いと、一丸となってのヒートアップ。あるいは分岐しての楽器間の対話の妙味は、奏法的なものに起因する音の痩せをカヴァーして余りあり、柔和なカーヴを描く。根底に余裕を湛えているのだ。現代のオーケストラを聴きなれた耳に新鮮であったのは、やはり管楽器の音色。抑えたピッチが聴き手にもたらす、ちぐはぐな未聴感は近未来的かつユーモラスですらある。例えば、「英雄」の第3楽章・スケルツォでの、ホルンによるトリオ。バルブ不使用なのか、幾分不完全燃焼ともとれる音色の沈みこみが、静謐で透明感溢れる弦の狂いのないスタッカートとの対比を一層あざやかにする。現在の視点からみた、楽器単位で完結した精確さを求めるのではなく、音楽全体でのアンビエント重視。ブリュッヘンの研ぎ澄まされた洞察力が随所で光る。この日を通して、オーボエとフルートの音楽性の高さも白眉だった。マールテン・ファン・デル・ファルクによる卓越したティンパニも特筆ものだ。人肌のぬくもり溢れるオーケストラに、弾力性とドライヴ感を挟み込む彼の存在はなくてはならない。ジャンルによらず活躍できるパーカッショニストだ。

【第2夜】
<プログラム>
モーツァルト;交響曲第40番ト短調K.550
ショパン;ピアノ協奏曲第1番ホ短調op.11(ナショナル・エディション)
ショパン;ピアノ協奏曲第2番ヘ短調op.21(ナショナル・エディション)
*アンコール
ショパン;ノクターン第5番/マズルカ第25番
 

逃げ場のないテンポでこそ炙りだされるブリュッヘンの凄み

第2夜はショパンコンクールの覇者・ユリアンナ・アヴデーエワを迎え、1837年製エラールのヒストリカル・ピアノで、ショパンのふたつのコンチェルトを奏するという試み。人気ピアニストの登場とあって、会場はほぼ満席。アヴデーエワといえば、男装の麗人よろしく常にパンツ・スーツでステージを務めるひとだ。こうした時代がかったセッティングではなおのこと、ジョルジュ・サンドを彷彿とするひともいたかもしれない。ショパンに突入する前段階として、この日18世紀オケが奏したのがモーツァルトの第40番シンフォニー。翌日のロマン派の一夜へむけての、周到な布石がみてとれる。古典派というカテゴリのなかでの衒いのないロマン性の発露、への試みである。楽曲全体に散りばめられる冒頭の「ため息のモチーフ」、リピートをいかに効かせてくるか。ミニマリズムに慣らされた耳をもつ現代の聴衆に、どのような新しさをもって響いてくるか。このあたりは流石で、ピリオド奏法ならではの音の伸びのなさを逆手にとり、風を孕むかのようなムーヴメントのざわめきで攻めてくる。ダブル・ベースの刻みが冴え、たえず豊かなボトムにも事欠かない。フォルム内での最大限の自由を目指したためか、第1楽章では高音弦で多少音の方向が乱れるような感なきにしもあらず。ブリュッヘンの目指すドライヴ感と、実際の楽器コンディション、音響などとのあいだにうまれた、不可避的なものかもしれない。筆者個人としては、唯一の長調楽章である第2楽章に魅了された。重力の効いた、地べたを這うような音の曳き。その場を厳かに締め上げながらも、自在に泳ぎでるアゴーギク。ブリュッヘンの凄みは逃げ場のないテンポでこそあらわになるという事実。一音一音が盤石の重みと含みをもつ。

ピアノの色ムラが垣間見せる、隠されたショパンの音風景

初日から耳にまとわりついて離れなかった、古楽における管楽器の不思議な響きは、アヴデーエワ奏するコンチェルトにおいて、いよいよ不動ともいえる存在感を放っていた。例えば、第2楽章ラルゲットにおけるファゴット。汽笛のような距離感とでもいおうか、現在の空間に明らかにミュートをかける。1837製エラールは、低音部はかなりピッチが低め、高音部は螺鈿(らでん)のような華やかな音色だが、タッチによっては急激に窪むような、あるいは刃(やいば)を剥く印象を当初受けた。現代のピアノとは鍵盤の幅も異なるだろうから、コントロールが狂うのだろう。コンチェルト第1番ではミスタッチも散見されたものの、徐々に安定していった。音響との兼ね合いもあろう。いや、ミスタッチなどは全体の雰囲気づくりの観点からは些細な問題であり、アンサンブルの一翼としてピアノが独断的地位から離れれば離れるほどに、オーケストラ隅々のひそやかな息吹がクローズアップされてくる。前述したように、特異な木管の響きはもちろん、時に度肝をぬかれたほど唐突なトランペットの音圧も、茶目っ気として聴こえなくもない(現在よりももっと気負いなく、「ラッパ」という感覚である)。楽器の鳴りの安定も手伝って、ピアノは第2番のほうが堂に入った出来映えであった。ショパンコンクールでも、優勝したければ第1番を弾け、といわれているように、有名な第1番の影で目立たぬ曲であるが、そうした先入観をすべて取り払ってこの日の演奏だけで判断したならば、楽曲構造の面白さという点でも第2番に軍配があがるであろうとおもわれた。古楽オーケストラは、思いがけない気づきにハッとさせられるという点で、つねに未知や未来へつながっている。アンコールはアヴデーエワによるソロ2曲。とりわけ、リアクションが遅い鍵盤の癖を巧く抱き込んで、えもいわれぬリズムの妙を演出したマズルカが秀逸。

【第3夜】
シューベルト;交響曲第7(8)番ロ短調D.759「未完成」
メンデルスゾーン;交響曲第3番op.56「スコットランド」(現行版)
*アンコール
バッハ;カンタータ第107番「汝何を悲しまんとするや」BWV107
ヨハン・シュトラウス;ポルカ・マズルカ「とんぼ」op.204

ブリュッヘンのキャリアの集大成ともいえる一夜

18世紀オーケストラ最後の夜は、初のロマン派で固めたプログラムだ。弦楽パートの周到に造りこまれた音色は、3日目ともなればすっかり常態と化しているが、ここへ来て溜めていたパッションが一気に横溢するのを感じた。肉厚でまるい音。並行して、古典派の演奏ではいまひとつ音が内向きであった金管パートが、堰(せき)をきったようにエッジと明晰さを増している。とりわけ、『未完成』でのトロンボーン3本。この日のブリュッヘンは、金管楽器の音の波及力へ照準を合わせているように感じられた。すなわち、息をとおして直接身体の内部から絞りでるエナジー、よりダイレクトな魂の咆哮が、楽曲の性格とぴたりと合う。ブリュッヘン自身が一世を風靡したリコーダー奏者であった事実が別のすがたで蘇生している。第2楽章のアンダンテ・コン・モート、とりわけ "コン・モート"(動きをもって)の部分の表出に関心をもって見守ったが、ここではオーボエの細やかなラインの描写力が傑出。ともすれば磁力がありすぎて低空飛行ぎみの弦の響きを立体的にふくらませる。エンディングにかけてのピアニッシモは夢幻のきわみで、『未完成』というタイトルを、うららかで儚い、未来へのオマージュのようにまとめあげた。厳格な制御が解放へと変わる、その究極の分岐点をみた美しさ。

一転して後半のメンデルスゾーン『スコットランド』では、古楽オケらしい身振りの激しさとざわめきが一瞬復活したようだ。弦楽パートの刻みの迫力には「渾身」という語がふさわしい。しかし高潔さと透明度がマックスな状態での渾身、なのである。前曲の終楽章と同様の "アンダンテ・コン・モート" のはずなのに、このキャラクターの激変は何だろう。明らかに調性や作曲者の違いのみに起因するのではないテクスチュア、メンバー全員の研ぎ澄まされた知覚の反映がある。各パートの特性を活かしきった緩急のメリハリは、楽章間を切れ目なく奏する『スコットランド』の輪郭をより一層くっきりと明示する。3夜にわたって鋭敏なる轟(とどろ)きでサウンド全体にキレをもたらしていたティンパニは、ここでは背後へまわるような包容力を発揮する。ブリュッヘンのアダージョの解釈は、大団円の1曲に至ってもすばらしく、第2主題で木管パートが次々とアンサンブルを決めていくあたりには爽やかな歌ごころがそよぐ。また、終楽章でのトランペットは、やっとここへ来て居場所が定まったような、楽器本来の切れ味の良さを見せていた。フィナーレのコーダでは、この3夜を総集するにふさわしいエネルギーが漲り、それは各々の身体性を超越した、ふかく精神的な結びつきの昇華ともいえる突き抜けた明るさに満ちていた(*文中敬称略。Kayo Fushiya)。
 

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