Concert Report#531

塚越慎子〜マリンバ
5月14日(火)東京オペラシティ・リサイタルホール
Reported by 悠 雅彦

塚原慎子(マリンバ) 
with
太田 剣(ソプラノ・サクソフォン)
鉄井孝司(コントラバス)

第1部
1.無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004から「シャコンヌ」(ヨハン・セバスチャン・バッハ)
2.カンタータ第154番<わが片足は墓にありて>BWV156から「シンフォニア」(同)
3.<ゴルトベルク変奏曲>BWV988から「アリア」「第9変奏」「第12変奏」「第15変奏」「第18変奏」「第21変奏」「第27変奏」「第30変奏」「アリア・ダ・カーポ」
(同)
第2部
1.2つの凝縮されたプレリュードとフーガ〜ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲<平均律クラヴィーア曲第1巻に基づく(ジュリアン・ユー)/2013年、塚越慎子委嘱作品 世界初演
2.地球のパルティータ(クロノイ・プロトイ)/2013年、塚越慎子委嘱作品 世界初演
3.アメリカ組曲へ短調(挟間美帆)/2013年、塚越慎子委嘱作品 世界初演

 上記のプログラムを一瞥して、単にバッハと現代作曲家作品をマリンバで演奏してみせたという味も素っ気もないコンサートを思い描くと大火傷しかねない。多くの人が彼女に注目するのはなぜなのか。とりわけ内外のコンクールで審査員の目をみはらせただけでなく、2006年のパリ国際マリンバ・コンクールでの優勝をはじめ幾多のコンクールで受賞した栄歴は本物なのか。私にはぜひこの耳で聴いて確かめたいという強い思いがあった。当日会場に赴いてみると、なるほど小ホールとはいえ開演10分前には満席。この一事だけで塚越慎子(つかこしのりこ)がいまファンの熱い視線の中にいることは疑いなかった。それは第1部のバッハの「シャコンヌ」の前半を聴いただけで明らかだった。ヘッドが大きい、バス・バリトン風の重厚な音色を奏でる4本のマレットで、高域のメロディック・ラインと中低域のラインの絡みを、彼女はあたかも舞台の役者が演じ分ける演技の真髄を表現してみせた。ストイックな演奏に感じられさえするほど、バッハが作り上げた音の建造物をマリンバという異質の楽器で再構成しようとする彼女のしなやかで輝かしいマレットさばきには一分の隙もない。というより、聴いているうちに、バッハから解放されて、マリンバの、常とは違った深遠な響きと、あたかも神事をつかさどるような巫女の舞を賞味している厳かさをおぼえる不思議な気分に誘い込まれた。

 この演奏を聴きながらふと、40年ほど前にゲイリー・バートンの4本マレットによる軽やかなヴァイブ演奏を目撃したときの興奮を思い浮かべた。とはいえ、そんな浮き浮きする快感はここにはない。だが、一聴したとたんに私は彼女の世界の住人になった。「ゴルトベルク変奏曲」からの抜粋曲を聴き終えたとき、彼女を絶賛したシャルル・デュトワの賛辞に何一つ嘘もよそゆきのしらじらしさがないことも分かった。

 マリンバといっても、小柄な塚越を呑みこんでしまいそうなほど図体は巨大。5オクターヴの音域を持つ楽器の能力を徹底的に駆使した作品に向かい合うとなると、プレイヤーは左右のフットワークを最大限に発揮して演奏に専心せねばならなくなる。とりわけ小さな妖精を思わせる彼女が5オクターヴに及ぶラインを奏する場面などは、ちょうど超一流の卓球選手のフットワークを目の当たりにするようで、それだけでもスリリングだ。「シャコンヌ」でも4本のマレットがそれぞれに異なった旋律ラインを叩きだすクライマックスでの、鍵盤上を疾走したり舞い躍ったりするスピーディな、時に優美な動きには目と耳が一気に吸い寄せられるようだった。だが、彼女はむしろそうしたアクロバット的なマリンバ演奏とは一線を画するような一音に全身全霊をこめたプレイで、聴く者に深い感銘を与えることに成功したといっていいのではないか。音に魂がこもっているのだ。私自身も彼女の演奏を聴いているうちに、マリンバ演奏に対して持っていたイメージがすっかり変わっていることに驚いたくらい。

 実は、個人的には第1部よりも第2部に注目していた。その理由の最たるものは挟間美帆が塚越の委嘱にこたえて作曲した新作への期待ゆえ。その1曲を含めて、この第2部は全3曲が世界初演。これもまた彼女の演奏家としての意欲と気概を示して余りあるものだが、それをまさに実証するかのような気合いの入った演奏で、世界のマリンバ関係者を驚かせた塚越慎子のテクニックと洞察力に富む深遠な表現能力を思う存分発揮させるべく新作を委嘱された作曲家たちの意を尽くした作品ともども、会場を埋めたファンの注目と期待にこたえる充実したステージだった。

 第2部からはジャズ界で期待の俊英アルト奏者、太田剣がソプラノ・サックスで登場し、前半のバッハの「カンタータ」でジョイントした鉄井孝司とともに塚越慎子の演奏に寄り添った。ジャズのプレイヤーと演奏するときとはいささか違う神妙ぶりがおかしかったけれど。

 東京オペラシティが主宰するリサイタル・シリーズは、バッハからコンテンポラリー(B→C)へ、を謳い文句にしている。そのコンテンポラリー・パートで彼女が委嘱した作曲家は、北京生まれで現在オーストラリアに住むジュリアン・ユー、6人の日本人作曲家グループであるクロノイ・プロトイ、そして、挟間美帆である。3者3様の力作ぞろいで、中でもジュリアン・ユーとクロノイ・プロトイの両作品は塚越の高度なマリンバ技法を念頭において作曲されたものだけに、聴く方も手に汗握ると形容したいほどの塚越のスリリングなマレットさばきを堪能することができた。たとえば、6人からなるクロノイ・プロトイの共同作曲作品、6曲からなる「地球パルティータ」(バッハの「パルティータ」にちなむ地球舞曲)の後半、「腕の舞」と「星座の舞」におけるマレットのスティックが空中で激しくぶつかりあって火花を散らすがごとき塚越の集中力が最高度に発揮されたプレイを通して、第1部のバッハ演奏に勝るとも劣らないソロの醍醐味を味あわせてもらった。

 最後が挟間美帆の「アメリカ組曲」。彼女自身の言葉を借りれば、バッハの「フランス組曲」や「イギリス組曲」を念頭に、そのコンセプトで「アメリカ組曲」を作曲した由。バッハ作品と通底しあうのは、民衆の舞曲を中心にした親しみやすい曲調を念頭に、北米や中南米の名もない民衆の間から生まれた音楽に内在するエネルギー、エモーション、ダンスの楽しさなどをマリンバを軸にしてのアンサンブルに託した、いかにもジャズにもクラシックにもたけた音楽的才媛といっていい狭間らしい粋な作品。たしかディーリアスにこれと似た組曲があったと記憶するが、「チャールストン」「ルンバ」「ブルース」「ジャズワルツ」「ミロンガ」「ジターバッグ(ジルバ)」と並ぶ6曲は、ジャズの技法とセンスにたけた狭間だからこそ塚越の優れたマリンバ奏法に花咲かせることに成功した洒脱な作品といっていいだろう。塚越もまた恐らくはジャズの真髄に触発された経験を持っているマリンバ奏者と聴いた。バッハの「シャコンヌ」でのマリンバ演奏の音色をバス・バリトンとすれば、ここでのマレットの音色は快活なテノールか。4本の各マレットが異なったラインを奏し、それが塚越のセンスとテクニックで束ねられていくスリル。ピアニッシモからフォルテへのバランスの絶妙さに酔いながら、こんなリラックスした塚越の演奏がなんとまた素敵だろうと得心させられた。それだけに、太田剣のかしこまったプレイぶりがかえってユーモラスな雰囲気を生む。何の躊躇もためらいもなく、あたかも水を滑る魚群のように活きいきと、しかも一音とて揺るがせにせぬ塚越らのプレイを満喫した。狭間は今年のはじめ山下洋輔と組んだコンサートで東京フィルのオーケストラ・メンバーと共演したが、そのときの自作の「スペース・イン・シーンズ」とは対照的ともいえる「アメリカ組曲」は、やはり狭間美帆ならではの魅力的な作品で、彼女が作曲家宣言をした謎めいた真意のほどを窺い知ったような気がする。その狭間に作品委嘱をした塚越(両者は国立音大の出身)の気持を思えば、天才は天才を知るということだろうか。デュトワの言葉を借りるまでもなく、素晴らしいマリンバ奏者のこれからの活躍を大いに注目したい。(悠 雅彦/2013年5月16日記)

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