Live Report#566

ヴィジョン・フェスティバル 18(後編)
2013年6月12日〜16日 ルーレット、ブルックリン、NY
Reported by Bruce Gallanter@Downtown Music Gallery, NY
http://www.downtownmusicgallery.com/Main/index.htm
Photos by Peter Gannushkin@DOWNTOWNMUSIC.NET"
http://downtownmusic.net/.
Translated by Kenny Inaoka@Jazz Tokyo

■ 6月14日(金)


VOCAL-EASE:
Steve Dalachinsky (poetry)
Connie Crothers (piano)

Bern Nix Quartet:
Bern Nix (guitar)
Francois Grillot (bass)
Matt Lavelle (trumpet)
Reggie Sylvester (drums)

East-West Collective:
Didier Petit (cello)
Sylvain Kassap (clarinets)
Xu Fengxia (guhzeng)
Larry Ochs (tenor sax)
Miya Masaoka (koto)

The French-American Peace Ensemble:
Francois Tusques (piano)
Louis Sclavis (clarinets)
Kidd Jordan (tenor sax)
William Parker (bass)
Hamid Drake (drums)

 3日目は詩人のスティーヴ・ダラチンスキーとピアニストのコニー・クローサーズのデュオで始まった。正直なところ、僕はクローサーズ女史のピアノ演奏やダラチンスキー氏の詩は大変好むところなのだが、ふたりのコラボとなると評価が低くなり、落胆する場面さえあったことを認めざるを得ない。おそらく、それは僕が神経質になり過ぎていたためであり、セットの転換や去年の世界の変化にストレスを感じていたためだろうと思われる。スティーヴが音楽や芸術について観察したあれこれについて僕も納得することが多いのだが、人生そのものは時に辛辣で、不公平、不平等なものであり、そのことについては皆が目を背けたがるものなのだ。ダラチンスキー氏の言葉の奔流に身の置き所がなくなり、呑み込まれてしまった。一度に受け入れるには多過ぎたのだ。すべての言葉を受け入れる余裕がなく、一部の言葉やフレーズにこだわったに過ぎない結果となった。“種の起原”と“支払いがなされた”というフレーズが僕が記憶しているすべてである。しかし、僕が訝しく思うのは、はたして支払いはなされたのか、なされなかったのか?
あるいは、請求書はすべて積まれたままで、アトラスの背中に乗った地球のように僕らを押しつぶしているのか?

 2ndセットは、「バーン・ニクス・カルテット」で、バーン(g)、マット・ラヴェル(tp)、フランソワ・グリロ(b)、レジー・シルヴェスター(ds)という編成。
一時期はオーネット・コールマンのプライム・タイムで活躍していたダウンタウン系のギタリスト、バーン・ニクスなのだが、時折りライヴやレコーディングで見かけるだけで消えてしまったようだった。生きのいいギタリスト・バーンのことを思うと悲しいことだった。ニクス氏のギターの音は古めで丸みがあり、時にメロディックでさえあるのだが、彼の曲は突飛で予測の付かないflights of fancyをみせるのだ。リズム・セクションは柔軟性に富み、スイングするアップテンポからフリーまですべてが有機性を保ちながら軽々と境界を超えていく。
つねに過小評価に甘んじているトランペットとアルト・クラリネットのマット・ラヴェルは、当夜はインスピレーションを受けて次々に素晴らしいソロを披露した。マットとバーンのふたりは、絡み合ったり、共にスピンしたり、直感的なレベルで交感し合っていた。このセットは幾つかの素晴らしい瞬間はあったものの、時に流れがスムーズでない場面があって全体としてはまとまりに欠けていた。この焦点のぼけた演奏に比べると、昨日のスタジオ・セッションとCDの方に軍配をあげざるを得ない。

 次のふたつのセットは“フレンチ・アメリカン・コネクション”というテーマでくくられ、今年のフェスティバル全体を通したハイライトとなった。最初のアンサンブルは「イースト=ウエスト・コレクティヴ」で、編成は、ラリー・オックス(sopranino,ts)、シルヴェイン・カサップ(cl)、ディディエ・プチ(cello,voice)、シュウ・フンシャ(古箏,voice)、ミヤ・マサオカ(箏)の5人。
このクインテットの出自はそれぞれ異なる。ラリーはベイ・エリア、シルヴィアンとディディエはフランス人だが出身地は異なる、シュウは中国、ミヤはNY/ベイ・エリア/日本、という次第。フランス人ミュージシャンの演奏を生で聴くのは初めてだが、レコードでは少し聴いている。このアンサンブルは真の意味でのインターナショナルなユニットで、演奏者相互の結びつきと相関はじつにマジカルだった。チェリストのディディエ・プチには驚かれることが多く、僕が好きだった初期のダウンタウン・シーンで活躍していた同じくチェリストの故トム・コラ(註:1953.9.14〜1998.4.9)を思い出させた。クラリネットのシルヴィアン・カサップにもいつも驚かされるのだが、クラリネットごとに異なる奏法で演奏してみせた。静かな箏で始まり、バスクラとチェロが徐々に上昇していくなかでテナーが断片的に奏される。時にチェリストが極く自然なやり方で奇音を発し、同じようにフンシャも奇妙な声音で点描する。演奏者たちが相手を変えながらコンビで演奏し、他の奏者と合わせながらコスミックな流れに加わっていく。チェリストがフンシャ女史の箏の弦を自分の弓で叩いたり、ディディエやシュウからも予期せぬ奇声が上がったりするなどいくつかユーモラスな場面もあった。できれば録音されレオ・レコードなどのレーベルからリリースして欲しい素晴らしいセットだった。

 3日目の最終セットは内容に相応しい「フレンチ・アメリカン・ピース・アンサンブル」というネーミングのグループで、ルイ・スクラヴィス(cl)、キッド・ジョーダン(ts)、フランソワ・テュスク(p)、ウィリアム・パーカー(b)、ハミッド・ドレイク(ds)という編成。このセットでもまたNYでは滅多に演奏する機会のないふたりの伝説的なミュージシャンが参加していた。ピアニストのフランソワ・テュスクは、フランスの“フリー/ジャズ”のゴッドファーザーとも目される人物で、60年代半ばのフランス及びヨーロッパのフリー/ミュージックの揺籃期を伝えるレコードで知られる。テュスク氏の昨年のヴィジョン・フェスト出演(ソニー・シモンズasと共演)は初のアメリカでの演奏だったが、70才代という年齢を考えると驚嘆すべき内容だった。ECMとラベル・ブルーから多くのアルバムをリリースしているルイ・スクラヴィスは、世界でもトップのクラリネット奏者のひとりと目される。お互いを刺激し合う長年のリズム・チーム、パーカー氏とドレイク氏の素晴らしいバッキングを得て始まったスクラヴィス氏のバス・クラによる信じがたいソロ。キッド・ジョーダンが泣きのテナーで魔術を焼き尽くしつつある間、テュスク氏がゆっくりゆっくりテナーの下にレイヤーを重ねて行く。ハミッドは台風の目に居ることが多く、押したり、引いたり、ムチを入れたり、パーカー氏の強力で推進力のベースとがっちり組み合う。このセットで僕がいちばん楽しんだのは、音楽が一度も破綻することなくセクションからセクションへ有機的に流れていくその進み方であった。ふたりのリード奏者はまったく異なるスペースからやって来て、モーダルな響きのグルーヴが醸成されてきたセットの半ばまで相手の引力圏の外に身を置いていた。やがて、バス・クラとテナーがラインを交換し合いながら、過熱したインターアクションを経た後の素晴らしい短いソロの交換から狂熱の世界を構築していく。テュスク氏によるマッコイ的なカスケードに自身のマジカルなウェイヴを加えつつ、ジョー・リー・ウィルソンの<リッスン・トゥ・ザ・スピリット・オブ・コルトレーン>に似た馴染みのメロディが流れ出る。ハミッドは時にリズムを反転させたり、第2のグルーヴや荒々しさ、ファンキーな要素を的確に加えていく。このセットも極上の内容で、1日のトリとしては完璧、この日は力不足の前半2セットと素晴らしい後半2セットという結果になった。


■ 6月15日


Tomas Fujiwara & The Hook Up
Brian Settles (sax)
Jonathan Finlayson (trumpet)
Mary Halvorson (guitar)
Michael Formanek (bass)
Tomas Fujiwara (drums)

Davis / Revis / Cyrile Trio:
Kris Davis (piano)
Eric Revis (bass)
Andrew Cyrille (drums)

Simmons / Burrell Duo:
Sonny Simmons (alto sax)
Dave Burrell (piano)

Reggie Workman WORKz:
Reggie Workman (bass)
Marilyn Crispell (piano)
Odean Pope (tenor sax)
Tapan Modak (tablas)
Pheeroan akLaff (drums)

 土曜日は4日目で、7時半開演の「トーマス・フジワラ&ザ・フック・アップ」に間に合った。仕事があったので、この日の日中に行われたセットはすべて観ることができなかった。フジワラ氏のグループはほとんどがヴェテランに近い年齢層だったが見知らぬミュージシャンが多く、ブライアン・セトル(ts)、ジョナサン・フィンレイソン(tp)、メアリー・ハルヴァーソン(g)、マイケル・フォーマネック(b)、トーマス(ds、作曲)という編成。それぞれのメンバーは誰もが厳しい環境下で仕事をしている連中なので、この場での挑戦の準備はできているものとみた。音楽の書法にも通じているつもりだ。
オープナーの<リネッジ>でトーマスは、2本のホーンに合わせて長く流れるようなラインを吹かせ、その下で、ギター、ベース、ドラムスに複雑によじれたラインを演奏させた。ギターのメアリーは、譜面通りの演奏とともに流れを分断するようなさまざまな断片的なフレーズを挟むというふたつの役割を担っていた。テナーのブライアン・セトルズとトランペットのジョナサン・フィンレイソン(スティーヴ・コールマンのバンドに在団)は印象深いソロイストだった。セトルズ氏は1曲目でトレーン的な力強いソロを吹いてバンドを沸点までヒートアップさせた。2曲目は、リズム・チームがゴースト・トランス的なフィギュアをリピートさせるリズム・パターンの上で、ホーンプレイヤーがベント・ハーモニーを演奏する。表面はもの静かだが、中では何かが進行しているというやり方。3曲目では、リズムが絶えずテンポをアップ・ダウン変化させる上でホーンプレイヤーがくぐもったラインを奏していく。
ここ数年間、もっとも重要なギタリストのひとりとなったハルヴァーソン女史は、このバンドでも秘密兵器となり、ストレッチ・アウトしたり、セクション間の区切りをスムーズにしたり、随時、驚くべきソロを加えたりの活躍。ドラムのフジワラ氏はアンサンブルのナヴィゲイターとして、演奏者たちを冒険の旅に追い立て決して楽をさせはしなかった。

 次のトリオは、プログラムにはクリス・デイヴィス|エリック・レヴィス|アンドリュー・シリルと書かれていたが、最近クリーンフィード・レーベルからリリースされたCDではレヴィス氏の名前が最初に来ていたので、おそらく彼がリーダー格なのだろう。しかし、演奏を聴いてみると3人とも強力な奏者たちなので、音楽的には平等でとくに誰がリーダーということはなさそうだ。ここ数年間、デイヴィス女史のピアニスト/コンポーザーとしての活躍は目覚ましく、自ら率いているいくつかのバンドや共演者には、メアリー・ハルヴァーソン、イングリート・ラウブロック、マット・マネリ、トム・レイニーなどの大物が含まれている。ベース奏者のエリック・レヴィスは、ジェイソン・モラーン、JDアレン、ケン・ヴァンダーマーク、オリン・エヴァンス、エイヴラム・フェファーなどとの見逃せない共演を通して頭角を現してきた。シリル氏は現役のなかでももっとも創造的なドラマーのひとりで、(セシル・テイラーからウォルト・ディッカーソン、ホレス・タプスコットのような)重要なミュージシャンたちと幅広く活動を続けてきた。このセットでは、どの曲も長尺の演奏だったが、非常に有機的なやり方でトリオとしてテンポと集中力を高めていった。
デイヴィス女史は短いフレーズを適宜音符を加えつつゆっくり何度も何度も(フィリップ・グラス的なやり方で)繰り返しつつ核心のスピリッツを上昇させていく。結果として、3者は緊密に連携しながら今にも爆発しそうな強力なサイクロンのような力にまで高めていった。2曲目は、レヴィス氏の激しいベース・ソロから始まり、やがてそれがファンキーなグルーヴに展開していく。クリスは、ピアノの両端を使い、ロー・エンドはベース、ハイ・エンドはドラムスと係わりながらベントのかかった音塊を交互にぶつけていく。3曲目は強力なドラムのイントロで始まり、レヴィスがベースの駒の下から音を弾き出す。この曲でもトリオはそれぞれがそれぞれを聴き合いながら一連の絡みのあるフレーズを弾き出しながらクライマックスにもって行く。僕は、シリルがメンバー間の緊張を緩急をつけながらリードしていくやり方を楽しんだ。何人かの仲間によれば、このトリオが今年のフェスを通じてベストだということだが、僕の意見もかなりそれに近い。

 次のセットは、アルトのソニー・シモンズとピアノのデイヴ・バレルというふたりのヴェテランによるデュオ演奏だった。僕は、40枚近い彼のリーダー・アルバムをコレクションする長いシモンズ・ファンだが、彼に対する僕の評価は極めて高い。彼がNYに出て来るのは稀で、ここ数年のうちでNYで演奏したのはヴィジョン・フェストだけだが、このフェストでの彼の演奏はまとまりを欠いており、何がこの偉大な伝説的演奏家を苦しめているのか理解ができないのだ。
シモンズ氏は依然として素晴らしいほろ苦い音色を有しており、時には大声で鳴き、それがブルースになっていく。バレル氏もまたフリー/ジャズが芽吹いた60年代中期以来の伝説的な演奏者である。彼はジャズ・ピアノの歴史に通じており、機会があればさまざまなスタイルで演奏ができる名手でもある。ふたりはそれぞれの楽器では文字通りの達人なのだが、時に別々の惑星に住んでいるのではと思うことがある。時に通じ合っているようにも思えたが、そう思えない時もあった。正直なところ、このセットには優劣を断言できないでいる。

 当夜の最終セットは、レジー・ワークマンのWorkzで、レジー(b)、マリリン・クリスペル(p)、オディーン・ポープ(ts)、テイパン・モダック(tablas)、フェローン・アクラフ(ds)という編成。ワークマン氏は、60年代中期にジョン・コルトレーンと演奏するなど、その長いキャリアを通じて他の重要な演奏家とも共演してきた伝説的なジャズ・ベーシストのひとりである。彼はそれぞれがこの素晴らしいクインテットの重要な役割を担うオールスター・バンドを編成した。
1960年この方、コルトレーンは自身の音楽において精神面を追い求め、自由を体現する新しいジャズを創造すべく尽力した。ワークマン氏の音楽はそのスピリット/パワー・ジャズの延長線上にある。1曲目はトレーン自作の<ディア・ロード>(親愛なる神様)で、クリスペル(トレーン信奉者のひとり)のピアノとワークマンのベースのデュエットで始まった。まもなく、オディーンのトレーン的なテナーとテイパンの素晴らしいタブラ、フェローンの上昇的なドラムスが加わる。精神力がみなぎり燃えるようなリズム・チームに乗ってクリスペル女史とポープ氏が共にパワフルで嵐のような波状攻撃を打つ。次の曲では、熱いが絶叫はしない優しく静かなファラオ的なヴァイブを伴ったポープ氏の印象的なテナーがフィーチャーされた。3曲目、ワークマン氏はディジャラドゥに持ち替え、タブラ、ドラムスと強力に絡み合った。最後の曲では、この地球上で最高のピアニストのひとりであるクリスペル女史の、フリーだが焦点の定まった驚くべきピアノ演奏が披露された。ピアノ、サックス、ドラムスが嵐を巻き起こし、クインテットの全員が複雑に絡んだ網の目を紡ぎ出した。
全員が甲乙つけがたい演奏を展開した際立ったセットだった。

■ 6月16日


Inner City: Migration
Miriam Parker (dance, choreographer)
Jason Jordan, So Young An, Souri Tsukada (dance)
Hamid Drake (drums)
Jo Wood Brown (art)

Positive Knowledge:
Oluyemi Thomas (sax)
Ijeoma Thomas (voice, words)
Henry Grimes (bass)
Michael Wimberly (drums)

Bluiett Bio-Electric Ensemble:
Hamiet Bluiett (baritone sax)
DD. Jackson (piano)
Matt Whitaker (electric piano)
Harrison Bankhead (bass)
Hamid Drake (drums)

Mario Pavone ARC Trio:
Mario Pavone (bass)
Craig Taborn (piano)
Gerald Cleaver (drums)

Marshall Allen & McBrides BASS ROOTS:
Marshall Allen (alto sax)
Christian McBride (bass)
Lee Smith (bass)
Howard Cooper (bass)

 日曜日、6月16日は、第18回ヴィジョン・フェストの最終日で、早くも午後6時30分、「ポジティヴ・ノウレッジ」の演奏で幕が切って落とされた。「ポジティヴ・ノウレッジ」は、バス・クラの“西海岸のミステリー・マン”オリュエミ・トーマスとヴォーカルの妻のイジェオマとにより結成された長命のベイ・エリアのユニットである。彼らに、ベースとヴィオロンのヘンリー.グライムズとドラムスのマイケル・ウィムバーリーが加わった。フリー/ジャズは死んだと主張する輩がいる(アーツホワイルの連中のように)。僕自身、さらにはこのレポートを読んでいる読者の大多数は「とんでもない話だ!」と信じている。そして、このセットは、フリー/ジャズとは何であるか、そしてそれが芽吹いて以来50年間も新鮮で生命力にあふれたものであり続けていることを証明する完璧な見本であった。オリュエミのバス・クラとイジェオマのヴォイスだけで始まったが、彼らのサウンドは完全に波長が一致しており、長い共演生活を確信できる内容である。まもなく、グライズ氏のアコースティック・ベースとウィムバーリー氏のドラムスが加わる。ヘンリーが弓を使って嵐を巻き起こし、強力で不変の創造的なドラマーであるマイケルが火炎を立ち上がらせる。オリュエミがテナー(Cメロディー・サックスか?)に持ち替えると、ヴィオロンに持ち替えたヘンリーと共に、激越な演奏となる。ヘンリーがベースに持ち替え直し、弓弾きでオリュエミをさらに高みへと激しく追い上げる。パティ・ウォーターズ、ジャマンダ・ギャラス、サインホ・ナムチュラクのようなエクスペリメンタルな(ジャズ)ヴォーカリストの長い歴史がある。私を驚嘆させるのは、イジェオマが強力な才人であり、ユニークであるという事実である。彼女のライヴを聴くたびに、彼女は僕を圧倒するのだが、今宵の彼女は魅惑的な言葉と奇妙なフレーズと風変わりな小鳥のような相反するサウンドという信じがたい手法を使ったのだ。彼女のテキストは、アメリカの人種闘争の問題点を扱った『私たちの短い歴史』というような著書からとったようだ。このカルテットのメンバーは、フリー/ジャズの精神/パワーにおいて完璧にその役割を果たして素晴らしかった。文句なく、傑出したセットであった。

 ハミエット・ブルーエットの「バイオ・エレクトリック・エンサンブル」の編成は、ハミエット(bs) 、DDジャクソン(p)、ハリソン・バンクヘッド(b)、ハミッド・ドレイク(ds)、それに若手のゲストでシンセ奏者のマシュー・ウィタカー。
 マシューは、なんと12才で視覚障害者であることが判明。パーソネルから判断してかなり期待したのだが、失望、という結果になった。バリ・サックスの巨人、ハミエット・ブルーエットを観るのはまったくの久しぶり。最後に聴いたのは10年以上前、「バリ・サックス・ネイション」を率いてニッティング・ファクトリー・ジャズ・フェストに出演して以来である。セットは、強力なバリトン・サックスが最近何度か実演や録音で共演しているDDジャクソンの素晴らしいピアノと共に激しいスピリチュアル/ジャズを咆哮するところから始まった。ベースのハリソン・バンクヘッドとドラムスのハミッド・ドレイク(共に、シカゴ出身)は最上級の演奏者で引き手数多なのだがこのセットでは良いところを見せる場面もなく、張り切れずに終わってしまった。演奏されたうちの何曲かはラムゼイ・ルイスか70年代のさらにコマーシャルなファンキー・グルーヴを思い出させた。若いウィタカー君は間違いなく記憶に残るキーボードの神童で、何回かインスピレーションに溢れたソロを取ったのだが、僕は、アヴァン/ジャズ・スノッブなもので...。(聴き飽きた?)グルーヴの押し売りはご免で、より深みがあり、インスピレーションに溢れたアヴァン/ジャズ・サウンドを提供することが多いヴィジョン・フェストにとってもお呼びでないことは確かである。

 次のセットは、マリオ・パヴォーネARCトリオで、前のセットとは正反対で、フェストを通してもベスト・セットのひとつだった。ベーシスト/コンポーザーのマリオ・パヴォーネは、絶えずいくつかのバンドを同時に率いてきた。このセットの編成は、クレイグ・テイボーンのピアノ、自身のベース、それにジェラルド・クリーヴァーのドラムスというトリオ編成。彼のインスピレーションの源泉であるチャールズ・ミンガスに似て、パヴォーネ氏は強固な嵐の中央にベースを位置させる。パヴォーネ氏は、複数の面上で絡ませながら複雑なラインの層を織り上げる達人である。ピアニストのクレイグ・テイボーンとドラムスのジェラルド・クリーヴァーは、ダウンタウン・シーンのなかでも共演希望がもっとも多く、レコーディングの履歴も最高のレベルのミュージシャンたちなので、彼らの選択は適切だった。僕は、各曲で、それぞれのメンバーが自由に動くことを許されながらも、特定のセクションでは極めて緊密なアンサンブルを要求されるそのやり方をとても好ましく思った。ソロはテーマに基づいて行われていたが、時に不意打ちを喰らわされることもあった。2曲目では、ベースとドラムスが揃って伸縮を繰り返し、テンポの緩急も自在だったが、極めて有機的に行われていた。この曲ではテイボーン氏が素晴らしいソロをとる機会に恵まれたが、その長いソロの中で彼は変幻自在に変化する妙味を聴かせた。クリーヴァー氏は、場面ごとにさまざまなアプローチを見せ、構造を逸脱することはなかったが、予想を覆すサプライズが多かった。彼は何はともあれつねに輝きを失わないミュージシャンである。パヴォーネ氏自身はといえば、2、3度素晴らしいソロを取ったが、その楽曲が拠ってきたるところに基づいた自然の流れの延長線上にあったが、レベルは高かった。聴き手にジャズ・ピアノ・トリオはかくあるべしという期待値があるとするなら、このトリオははるかにそれを凌駕するものであった。このマリオ・パヴォーネ ARCトリオのCDは9月(2013年)にリリースされる予定である。出来る限りはやく手に入れたいと急いている。間違いなく、今年のベストの1枚になるはずである。

 当夜の、またヴィジョン・フェスティバル 18の最終セットは、「マーシャル・アレン&ザ・マクブライズ・ベース・ルーツ」であった。このユニットは、長らくサン・ラ・アーケストラのリーダーを務めた、アルト・サックスとEWI(アカイ製ウインド・シンセサイザー)のマーシャル・アレンと3人のマスター・ベーシスト、リー・スミス、息子のクリスチャン・マクブライド、それにハワード・クーパーという編成。この編成はユニークに見えるが、じつは、かつてヴィジョン・フェストとヴィクト・フェストに3人のベーシスト+チャールズ・ゲイルという同じ編成のユニットが出演したことがある。僕は、ここでの3人のベーシストが共演するやり方が好きである。時に3者が一斉に弦をかき鳴らしたり、時には弓を使ったり、一斉に、あるいは交互に演奏するのだがつねに心が通い合っている事実。マーシャル・アレンは来年90才を迎えるが、現役のなかでもっとも創造的で特徴が際立ち、力強いサックス奏者のひとりである。
 セットは、祈りに似た雰囲気でゆっくり始まった。3人のベーシストが一斉に弦をかき鳴らすなかで、アレン氏が時折りベントさせたサックス特有のフレーズを交えながらゆっくりラインを織っていく。まもなく、マーシャルはEWIに持ち替え、文字通りサン・ラのクラシック<スペース・イズ・ザ・プレイス>さえ引用しながら、サン・ラ的なスペイシーなサウンドを加えていく。それぞれのベーシストには各自ソロを取る機会が与えられたそのどれもが素晴らしいものだったが、わけても人気絶頂のクリスチャン・マクブライドのソロが圧倒的に素晴らしかった。アレン氏もインスピレーション溢れるソロを何度も取ったが、スポットライトを独占するようなことは決してせず、ベーシストたちに魅力的なやり方で合奏する機会を与えていた。アンコールには<スペース・イン・ザ・プレイス>の別ヴァージョンが演奏されたが、サン・ラのテーマは他の世界へ宇宙を旅するものなので、これまた格好な選曲であった。第18回ヴィジョン・フェスティバルは僕らのスピリットを結集するという素晴らしい仕事を達成すると同時に、僕らが日常の生活のストレスから解放される手助けをしてくれたのであった。

 結論として、今年のフェスティバルは多くの傑出したセットに恵まれたかなり上出来な内容だったと思う。僕の近しい友人の多くは、このフェストについてもっと知るべきであるのに、まったく参加しないか、参加してもたった一夜だったりした。これは悲しいことで、彼らは毎年同じメンバーが出演して代わり映えがしないと不満を漏らすが、この口実は必ずしも全面的には正しくない。第一に、たしかに毎年出演するミュージシャンが何人かいることはいるが、彼らは年ごとに内容を変えているし、つねに新鮮である。もっとヨーロッパのミュージシャンを出演させるべきであると不満を口にする者もいるが、現況では経費をカバーする資金を調達することは不可能である。そんな厳しい状況のなかでも、今年、僕らは、生で接する機会がほとんどないが誰もが素晴らしいルイ・スクラヴィス、フランソワ・テュスク、ディディエ・プチ、シルヴェイン・カサップ、シュウ・フンシャを見聞することができたのだ。ここで僕は、パトリシア・ニコルソン・パーカーと彼女のヴォランティア・スタッフに拍手を送りたい。音楽自身に加え、僕がもっとも楽しみにしているのは、僕が、仲間の旅行者や果敢な音楽好き、ミュージシャン、ダンサー、会期を飾るアーチストたちに囲まれているというヴィション・フェストが持つコミュニティ感である。
 僕らは、危険に溢れ、まぎれもなく荒んだ時代に生きている。そこでは余りに多くの悲劇を共有することになる。そんななかで、ヴィジョン・フェスティバルのなかでのみ実現された僕らのコミュニティのメンバー同士の絆を感じることができるのだ。そう、トンネルの先には光が見える。消えてなくなる前に、この例年の儀礼をサポートしてもらいたいと願う。(2013年7月中旬記)

* 関連リンク
ヴィジョン・フェスティバル 18(前編)
 http://www.jazztokyo.com/live_report/report559.html

Bruce Lee Gallanter(ブルース・リー・ギャランター)
1954年生まれ。NYダウンタウンのCDショップ「Downtown Music Gallery」の創立者。DMGでは定期的にインストア・ライヴが行われるだけでなく、“ダウンタウン・ミュージック・シーン”の情報発信基地として機能している。
扱っているCD、LP、DVDのジャンルは、“Underground & Avant Jazz, Art Rock/Pop, Contemporary Classical, and the Completely UnCategorizable”。
登録をしておくと定期的にリストが送付されてくるが、廃盤、稀少盤、珍盤、奇盤に溢れている。価格は極めてリーズナブルで通販はカード等で支払い可。

WEB shoppingJT jungle tomato

FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


Copyright (C) 2004-2015 JAZZTOKYO.
ALL RIGHTS RESERVED.