Concert Report #652

東京二期会オペラ劇場
ヴェルディ作曲
オペラ《ドン・カルロ》

2014年2月19日 東京文化会館
Reported by 佐伯ふみ
Photos by 林 喜代種(撮影日と公演日は異なります)

指揮:ガブリエーレ・ファッロ
演出:デイヴィッド・マクヴィカー
装置:ロバート・ジョーンズ
東京都交響楽団
二期会合唱団

ドン・カルロ:福井 敬
ロドリーゴ:成田博之
フィリッポ2世:伊藤 純
エリザベッタ:横山恵子
エボリ公女:谷口睦美
宗教裁判長:斉木健詞         

 二期会が《ドン・カルロ》を初演したのは1981年とのこと。以後、イタリア・オペラの上演も徐々に増え、実に33年ぶりにこの作品を再演するに至ったのは「若手歌手たちの実力が著しく向上してきたこと」が大きな要因である、とプログラム巻頭で高丈二氏(公益財団法人東京二期会理事長)は記している。まさにその言葉通り、優れた歌手たちの「声の競演」を堪能できる、充実の舞台だった。
 ドイツ・フランクフルト歌劇場との提携公演。モノトーンを貴重とした、美しく象徴的・機能的な装置と照明、オーソドックスだが黒を基調にしたシャープな衣裳など、眼も耳も愉しませてくれる上演。ここまで水準の高い《ドン・カルロ》を観ることができるとは。
 なお《ドン・カルロ》はフランス語オリジナル版(1867年初演)をはじめ、ヴェルディ自身が改稿を施したいくつかの版があるが(プログラムの小畑恒夫氏の解説がたいへん役に立つ)、今回はイタリア語による5幕版(1886年のモデナ上演版)である。

 筆者はダブルキャストのうち初日のベテラン組を観た。《ドン・カルロ》は、力のある歌手が何人か揃って初めて上演可能なオペラだが、今回は歌手がみな高水準だったのがまず奇跡的なこと。なかでも特筆すべきはタイトルロールの福井敬だろう。声の美しさ、声量の豊かさ、心情のこもった演唱。福井敬の演じたこの舞台はおそらく、筆者の記憶に長く残ることと思う。
 ドン・カルロという人物は下手をすると、後先を考えず衝動的に動いて周囲を不幸に陥れる、迷惑至極な狂言回しになってしまうのだが、福井の演じるドン・カルロはそれとは違っていた。絶対的な権力者である父王を前に、奪われた恋に苦悩し、圧政に虐げられる民衆に同情し、思わず剣を抜いてしまう。それはすべて、あふれるロマンを胸に抱いた若き貴公子のとる必然的な行動であり、ロドリーゴはそのようなドン・カルロを十分に理解し、共感をもって寄り添っていたのであろう、と自然に納得させる。このような一貫した人格の持ち主としてドン・カルロを造形できた演唱はあまりないと思う。福井もさすがに第一幕冒頭こそ硬さを感じさせたが、ほどなく軌道に乗せて、他の歌手もその熱演に引きずり込むようにして熱い舞台を展開していった。
 成田博之のロドリーゴは、ドン・カルロよりも「大人の」男で、責務を自覚した貴族の気品を強調するような役作り。福井敬の熱演に一歩も引かず受けて立ち、美しい存在感を放っていたのは見事。エボリ公女の谷口睦美は、第2幕3場、王子が愛しているのは自分ではないと気づいたときのすさまじい怒り、第4幕1場後半、王妃を陥れたものの結果の重大さに改悛する場面などのエボリの見せ場を、期待を裏切らぬドラマティックな演唱で聴かせた。エリザベッタ(横山恵子)は美しい歌唱だが、いささか堅く、若い王妃の繊細な感情の揺れをもっと表現してほしい。そうでないと最終幕のソロや、万感こもる「息子よ、さようなら」が生きてこない。宗教裁判長(斉木健詞)の豊かなバスも見事。今回の演出では、宗教裁判長はいささか粗野な、政治的な生臭さのある役作りを求められたように見え、それはそれでなるほどと思わせる造形だった。一方のフィリッポ2世はしかし、王妃も息子も腹心の部下も、周りの人間すべてを思いのままにねじ伏せる絶対的な権力者にしては、声も佇まいも線が細い印象だった。第4幕冒頭のソロ・アリアは、とても丁寧に孤独な心情を吐露していて、胸に迫るものがあったのだが。オペラとは、舞台とは、難しい。

 ファッロ指揮のオーケストラは、開幕からしばらく、幾度か、歌手とオーケストラのあいだで歌い出しのテンポを探り合うような場面が見られたが、それは初日ゆえのことだろうか。
 演出ですこし疑問だったのはロドリーゴが撃たれて死ぬまでの、ドン・カルロとのやりとり。突然の銃撃に倒れたロドリーゴを、通常はドン・カルロがかき抱くようにしてやりとりが展開するが、今回は、倒れ苦しむロドリーゴから後ずさって、驚きのあまり、あるいは恐ろしくて近寄れないように、遠くから見守る形で会話を続ける。ここもドン・カルロの「若さ」が強調された演出と見てなるほどとは思ったが、離れている時間がいささか長すぎて不自然。ドン・カルロが間が持てずにもじもじしているように見える。また終幕、通常はドン・カルロは前国王の亡霊に霊廟の中に引き込まれる謎めいた終わりなのだが、今回の演出ではフィリッポ2世に殺され、祭壇の上でまるで生け贄のように息絶える。確かに、曖昧な終わりよりもこのほうが、権力者の恐ろしさをまざまざと見せつけ、悲劇性をさらに強めている。祭壇の上の生け贄とは、聖書に描かれたアブラハムとイサクの物語の寓意か(結末は逆だが)と想像を逞しくしてみたりもしたが、今ひとつしっくりこない。確かにこのような結末もありだろうが、ではなぜヴェルディはここで、わざわざ史実も原作の戯曲も曲げて、このような曖昧な終わり方を選択したのだろうか? 演出家はその解をこそ、見せてほしい気がする。
 (蛇足だがもう一つ。切りつけられて倒れるドン・カルロが祭壇の上にいささか「よじのぼる」感じになったのも、結末として今ひとつの印象を残した。体格の良い西洋人なら難なくこなせるのかもしれないが。辛くも自然な動きに見せてはいたが、歌手も大変である。)

佐伯ふみ
1965年(昭和40年)生まれ。大学では音楽学を専攻、18〜19世紀のドイツの音楽ジャーナリズム、音楽出版、コンサート活動の諸相に興味をもつ。出版社勤務。筆名「佐伯ふみ」で、2010年5月より、コンサート、オペラのライヴ・レポートを執筆している。

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