Concert Report #667

B→C バッハからコンテンポラリーへ 160
近藤那々子(オーボエ)

2014年3月18日 19時 東京オペラシティ・リサイタルホール
Reported by 悠 雅彦

近藤那々子(オーボエ)
竹沢絵里子(ピアノ)*

1. ソナタ変ホ長調 BWV1016(原曲:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ)*(J.S.バッハ)
2. うつろう時(2006)(シルヴェストリーニ)
3. ドニゼッティの歌劇「ポリウート」による幻想曲*(バスクッリ)
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4. ソナタ変ホ長調 BWV1031(原曲:フルートとチェンバロのためのソナタ)*(J.S.バッハ)
5. うつろう時(2006)(シルヴェストリーニ)
6. 独奏オーボエのための迦楼羅(2007)(西村朗)
7. オーボエとピアノのためのソナタ op. 58 *(ケクラン)
        

 バッハからリヒヤルト・シュトラウスやシャルル・ケクランを通って現代のシルヴェストリーニと西村朗へ。バッハから数えても300年を超えるクラシック音楽の歴史を縦断する、斬新といいたくなるくらい思いっ切り意欲的なプログラムを引っさげて登場したオーボエ奏者近藤那々子って、いったい何者?
 宣伝チラシには、現在フランクフルト(ドイツ)歌劇場管弦楽団の主席オーボエ奏者とある。そうか。ならば相当な腕前の持主に違いあるまい。
食指が少し動いた。決定的だったのが事前に発表されたプログラム。その演奏曲目を一瞥して、さらに興味が募った。そして、迎えたこの夜。私のいささか独断的な見立ては、嬉しいことに図星だった。幕開けのバッハ作品で最初の出だしこそ緊張が解けぬ風で音もややもすると硬くこわばった流れが、リズムと会場の空気に馴染んだ中盤あたりから当初想像した通りの奔放な表現力とテクニックを甦らせ、活き活きと輝き始めた。つまり、温かな血が通いだしたのだ。勘は当たった。
 振り返って改めて思うのは、近藤那々子という演奏家は冒険を厭わぬなかなかの剛の者だということ。プログラムのラインアップからして相当な力技という印象が強い。玉手箱の中をのぞき見るようなワクワクするスリルを誘発する。一方、バッハやケクランにおける熟成した密度の濃い音のたたずまい、そして西村朗作品へのチャレンジャー・スピリットをほとばしらせた果敢なアプローチなどに示した演奏家としての姿勢には、あたかも崖っぷちに立った人間の必死の表情を思わせる真剣味があり、それが聴く者の共感を呼ばずにはおかない。
 そのプログラムだが、前半と後半の1曲目にバッハをおき(といっても後半の第1曲を飾った「ソナタ」は今日ではバッハの作品ではないことがほぼ分かっている。ただし一般的には、「シチリアーノ」と呼ばれる哀愁味をたたえた第2楽章が、作曲者がバッハであろうとなかろうと関係なく単独でも演奏されるほど親しまれている)、2曲目にジル・シルヴェストリーニと西村朗の現代曲を配し、コンサートの最後をシャルル・ケクランの「ソナタ」で締めくくるという周到ぶり。彼女は間違いなく、<B→C バッハからコンテンポラリーへ>と銘打って催しているオペラシティ・リサイタルホールのシリーズのポリシーに律儀にして的確に的を絞ったプログラムを練りに練って案出したのだろう。
 この夜の最もスリリングな演奏は西村朗の「迦楼羅(かるら)」(インド神話の中で龍を食するという巨鳥で仏法の守護神)と聴いた。もともとはオーボエ協奏曲として書かれた作品ということだが、2曲目の「うつろう時」をシルヴェストリーニに委嘱したオーボエ奏者トーマス・インデアミューレのために新たに作られたソロ版だという。その「うつろう時」のソロでは真横に9台並んだ譜面台が、西村作品では5台。彼女はまるで巨鳥が勢いよくはばたくように奔放なサウンドを放出し、他方、仏法の守護神としての神秘的な世界へとはばたいていく。彼女はここで、あえて洗練された世界とは無縁の、野性味と絵巻物に見るような意外なともいうべき面白さを表出したのだろう。その巧みなマウス操作(リードと吹き口を口の中でさまざまに操作しているらしい)とリップ・コントロールでは驚嘆すべき技が駆使されており、加えて終盤にはマルチトーン技法を駆使するなど2枚リードの楽器を操る至難なテクニックの片鱗を開陳してみせた。
 バスクッリの「幻想曲」にしても、オーボエの名手だった作曲家の作品らしい輝かしい技法が楽しめたが、西村作品とは対照的な解釈と作品へのアプローチで感銘を呼んだ演奏が、最後のケクランの「ソナタ」ではなかったかと思う。4楽章構成で、第2楽章に「牧神の踊り」、第3楽章には「田園の夕べ」という標題がついたこのオーボエ・ソナタは、わが国では滅多に聴かれない作品ながら、熟成した創造的筆力からほとばしるフランス的な洒脱なる味わいや緻密な楽曲構成が生む充実感に思いがけない感銘を与えられる逸品。珠玉の淡い光をたたえた作品で、近藤はくすんだ音色から生まれるフランス的エスプリを味わい深く表出してみせた。
 シルヴェストリーニと西村朗のソロ作品以外は、竹沢絵里子のピアノが近藤那々子を巧みにバックアップした。率直にいって、竹沢の貢献は特筆すべきものだった。ソリストに親身に寄り添い、ソリストとの気持のやり取りに献身的な気使いを果たしながら、しかも音楽的に充実した交感を生むという、こんな気持のいいピアノ伴奏はいつ以来だろう(ついでながら譜めくりの女性の手際の良さも印象的だった)。
 かくして、2時間を超える真摯な熱演は幕を閉じた。冒頭で触れたように、力技というべきプログラム。近藤自身もプログラムに載せたメッセージで「大きな挑戦」であり、「これだけの曲を1回の演奏会ですべて演奏するのは体力勝負になる」と告白した。まさに彼女は全精力を傾注して渾身の演奏を繰り広げた。熱闘だった。彼女にはもうアンコールに応えるだけの余力は残っていなかったのだろう。最後の挨拶が終わると、場内に明かりがつき、人々も静かに席を立った。(悠 雅彦)


悠 雅彦(ゆう・まさひこ)
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。
共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。

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