Concert Report #677

庄司紗矢香&メナヘム・プレスラー デュオ・リサイタル

2014年4月10日 サントリーホール
Reported by 丘山万里子
Photos by 林喜代種

<演奏>
ヴァイオリン:庄司紗矢香
ピアノ:メナヘム・プレスラー

<曲目>
モーツァルト:
 ヴァイオリンとピアノのためのソナタ変ロ長調K.454
シューベルト:
 ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲イ長調op.162 D.574
 ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番ニ長調op.137-1 D.384
ブラームス:
 ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番ト長調「雨の歌」op.78

<アンコール>
ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女
ショパン:夜想曲嬰ハ短調遺作(pソロ)
ブラームス:愛のワルツop.39-5
ショパン:マズルカop.17-4(pソロ)

 客席からかかる「ブラーボ!」の歓声に、ひときわ大きな声で「ありがとう!」が響いた。ほんとうにそうだ。その声に、みんなが頷いたと思う。この夜、聴衆が味わったとてつもない至福に、いちばんぴったりな言葉。プレスラーのピアノ、まさに至芸という他ない。90歳を超えてなお、どこかに含羞を残す初々しいステージと、魔法使いみたいにふわふわした指さばきから生まれる極上の音楽。庄司が共演を熱望した、というのもよくわかる、というより、望んだ彼女の心根、音楽への想いの強さ、深さ、志の高さに、さすが、と脱帽の思い。並のヴァイオリニストではない。
 1955年プレスラーによって結成され、2008年に解散した伝説のボザール・トリオを残念ながら私は聴いたことがない。でも半世紀にわたって続いたその室内楽の歴史、そこで奏でられた音楽の何たるか、いや、音楽とは本来、こういうものなんだ、ということをプレスラーはいとも軽やかに伝えてくれたのである。
 モーツァルトのピアノの最初のワンフレーズで、もう、どこかへ持って行かれた。鍵盤がぼうっと発光するような響き。そこにヴァイオリンがすうっと絹の糸をひいたようにのってくる。なんて優美な!それに第3楽章アレグレットのチャーミングなこと。あか抜けた洗練の極み。そうそう、モーツァルトはこういうふうに、どこまでも自然に、音を解放してゆくんだよ、というプレスラーの声が聴こえる。続くシューベルトは、がらりと音色が変わる。20歳の作品、どこか不穏な表情をたたえた付点リズムの音型に青年の決して一筋縄ではゆかない内面世界がちらりと覗く。でも、シューベルトは歌う、どこまでも歌う、ここはほら、こんな感じのフレーズだね、サヤカ。そうね、おじいちゃん(マエストロという感じはしないのだ)。すごくいい!そんな二人の語らいが、桜の花びらを浮かべた水面が春の微風にゆれるみたいに続いてゆく。ぜったいに大声を出さない。ピアノからメゾ・フォルテの領域で、音楽を完全にコントロールする。最後のアレグロ・ヴィヴァーチェは、二人してシューベルトの愛らしい歌の花々をつぎつぎ咲かせるよう。もう一つ、シューベルト。こちらもピアノとヴァイオリンのかけあいが絶妙だ。家族でのアンサンブルを楽しんだシューベルトの親密な青春のワンシーンが浮かぶ。一転、ブラームスは仄暗い情感がたっぷりと仕込まれる。アダージョ楽章での中低音のヴァイオリンの響きのずっしりとした量感をささえるピアノの決して重くならない応答のなかに、深い奥行きが宿る。ブラームスはね、どうかすると聴き映えのするロマンティック・ドラマに仕立てたくなるものだけど、ドラマは余分を削いだ凝縮された音世界にこそある。だから、無闇に声高にならないように、でも思い切りのいいボウイングで音楽の骨格を際立たせるんだよ。もちろん、翳りを帯びたブラームスらしい抒情の色とパッションを全体にまぶしてね。プレスラーのそんな言葉にしなやかに寄り添い、身をゆだねてゆく庄司。デュオの真髄がここにある。
 つまり、こういうことだ。音楽は元来、はかなく、おぼろなものだ。それを一瞬一瞬に形在るものにしてゆきつつ、一つの持続を生み出す演奏というのは、瞬間と永遠とを往来できる人間のもっとも崇高で美しい営為なのだ。今の演奏は、なんて騒々しく、野蛮なことだろう。フォルテなんて、襲いかかるみたいな勢いで轟々と鳴らす。スコアに書いてある強弱記号を、好き放題、何倍にも増幅させて叩き出すなんて、音楽の花園の狼藉者のすることだ。音楽はピアニシモからメゾ・フォルテか、せいぜいフォルテの間で充分。みんな耳と心がおかしくなっているんだ。はかなく、おぼろなものを、注意深く、そっと追いかけるのでなく、力まかせにごてごて作り立て、腕をぶんぶん振り回す。それでは、音楽のほんとうの美しさが死んでしまう。ことさらな味付けも、思わせぶりな目配せも、過剰な思い入れも不要。よく聴いて、つつましやかにミューズに仕えること。これが音楽というものなのさ。
 アンコールで弾かれた「愛のワルツ」、祖父と孫娘(みたいだった)の心かようあたたかな抱擁と優しいステップに、思わず涙がにじんでしまった。ああ、これこそ音楽の、命の継承。プレスラーが伝えようとする音楽の極意を、あふれんばかりの敬愛とともに謙虚に受け取り、それを音に変えてゆく庄司の真摯な姿。それができる庄司の見事さ。こうやって、受け継がれてゆくべきものは、受け継がれてゆくのだ。アンコールでのプレスラーのショパン2曲のソロに、かたわらに座って拍手を送る庄司に、この一夜を届けてくれた「ありがとう」をもう一度。

追記:この号でシフについても書いているが、プレスラーを聴いて、シフはこの系譜につらなる稀有なピアニストだな、と思った。


丘山万里子(おかやま・まりこ)
東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。2010年まで日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。
本誌副編集長。

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