Concert Report #742

東京フィルハーモニー交響楽団〜サントリー定期シリーズ

2014年10月21日 サントリーホール
Reported by 悠 雅彦 (Masahiko Yuh)

東京フィルハーモニー交響楽団
ミハイル・プレトニョフ(指揮)/チョ・ソンジン(ピアノ)

1.ピアノ協奏曲第1番ホ短調 作品11(ショパン作/プレトニョフ編)

―――――――休憩―――――――

2.交響曲第1番ホ長調 作品26(スクリャービン)

 この曲が滅多に聴けないのはなぜだろう。聴き終えてまずこう思わざるを得なかった。
 それほど、つまりふだんはプログラムに乗る機会がないに等しいスクリャービンの長大なシンフォニーが、思いもしなかった大きな感銘をもたらしたのだ。一にかかって指揮者の貢献といってしまえば簡単だが、それでは話が進まない。もちろんミハイル・プレトニョフの抜きん出た能力と指揮者としての力量が、霧の中に見え隠れしていたに過ぎないスクリャービンのこのシンフォニーの魅力と真価を明らかにしたことを認めた上で、やはり作品そのものが持つ優れた本来的クォリティゆえの達成だったとあえて指摘したいと思う。その意味でも、私はこのコンサートにくる機会を得たことに感謝する。
 そういえば、ホールの会場エントランスの近くで、「チケット求む」と大書した紙片を掲げている若いファンがいた。彼もまた滅多に聴けないこのシンフォニーが開花する瞬間に立ち会いたいと願って駆けつけたのだろう。切符売り場には「チケット完売」の張り紙が出ていた。もし彼がプレトニョフのタクトがその開花を実現させることを見抜いていたとすれば、敬服に値する。横道にそれたついでにもう1つ添えれば、最近の若い人々(演奏家も単なる愛好家も含めて)の音楽への造詣と献身ぶりに感心させられることと、それが決して無関係ではないということ。つい先ごろ、全日本音楽コンクールのピアノ部門で第1位になった男性ピアニストのチャイコフスキー(ピアノ協奏曲第1番変ロ短調)を聴いたときも同様の感慨をおぼえた。
 スクリャービンに戻ろう。このシンフォニーは19世紀の終わりに着手され、20世紀の初めに完成したらしいが、時はマーラーの全盛期だった。ピアノの名手でもあり、ロシア5人組の影響を受けていた彼が、野心的なシンフォニーの構想を描いたとしても不思議はない。むろん宗教的神秘主義に傾倒し、色、光、香などを取り込んだ後年の神秘和音時代の作風とはまったく違うものの、壮大なスケールを持つとともに自身の総力を結集させてつくりあげたこのシンフォニーが、それにふさわしい完成美をたたえていることを、私はこの夜の演奏で初めて知った。楽章は6つだが、第4楽章などはほんの数分の構成で、それらを勘案すると、6つの部分からなる単一楽章(後年の彼の作品に多い)の作品といってもよい。プレトニョフの力強い入念な指揮で時間を感じさせなかったとはいえ、すべてが終わって時計を見ると1時間になんなんとする大曲であることに改めて目をみはった。それは有名なあの第4番とは違う聴きごたえでもあった。とりわけ独唱と混声合唱が展開を盛り上げる15分近い最終楽章は、ベートーヴェンの第九を思わせるものだが、小山由美(メゾ・ソプラノ)、福井敬(テノール)の力唱、新国立劇場合唱団による統制のとれた混成合唱の健闘もあり、何よりスクリャービンの作品を隅から隅まで掌握したプレトニョフのタクトによって、土壇場大詰めのフーガ書法による合唱パートの<芸術讃歌>が高らかに歌い上げられるクライマックスが導きだされる中で力強く締めくくられた。初演のとき何でも「あまりに難しいという理由で歌手たちに拒否された」(藤田茂氏によるプログラム)ため合唱なしで演奏されたいわくつきの大曲を、プレトニョフが見事に現代に甦らせたということになる。
 プレトニョフが東京フィルを振ったのは2003年が最初だというが、最近ではピアニストという以上に指揮者としての優れた業績ぶりが、ほぼ10年に及ぶ共演で高い評価を得ていることは周知のことと思う。これまで数回彼のタクトを経験しているが、今回は圧倒的名演といってもおかしくないほどの緻密な解釈とスクリャービンへの深い愛情に裏打ちされたタクトぶりだった。
 前半はショパンのピアノ協奏曲を、1994年ソウル生まれの韓国のピアニスト、チョ・ソンジンが演奏した。颯爽として爽やかな演奏ぶり。天才的ピアニストという評判は耳にしていたが、噂に違わぬ卓越した奏法の持主だった。20歳とは思えないほど落ち着いて悠然とした演奏ぶりを目の当たりにして、なるほど指揮者のチョン・ミョンフンがN響を初めとする世界のさまざまなオーケストラの演奏会でソロイストとして起用したわけが理解できた。このとき10代半ばだったことを思えば、そのフレッシュな魅力にさらに磨きがかかった演奏だったといっても過言ではないだろう。

 ショパンが自作にオーケストレーションを施した例は2つのピアノ協奏曲などわずかしかない。第1番ホ短調でも、第2番ヘ短調でも、確かにもし彼がメンデルスゾーン並の書法を身につけていたら、と思うこともなくはない。しかし、たとえばホ短調のオーケストレーションをより洗練されたものにすることに、どんな意味があるのだろうか。たとえ現代のオーケストレーション書法の名手が優れた管弦楽伴奏に書き換えることができたとしても、それはもはや厳密にショパンの作品とはなりえない。今回、プレトニョフは編曲者としてクレジットされている。つまり、彼は再オーケストレーションを施したのだ。事前の予備知識なしで演奏を聴けば、もしかするとほとんど気がつかずに通り過ぎてしまうかもしれない。確かに響きはスムースでソフィスティケートされたものとなって聴きやすくなった。ある楽器(たとえばトロンボーン)をスコアから外したり、木管楽器に新たな使命を付与したりして色彩的な明るさと軽妙感をプラスしているのだが、やはりポーランドのショパンではなくなった、と感じるところがあった。実際、全編を通して無駄が削られ、傑出したイージー・リスニング・ミュージックのハンモックに揺られているかのような心地よさがあった。このゴージャス味がアクセントになっている格別なゆったり感につかっていると、メンデルスゾーンのピアノ・コンチェルトに横溢する優美さがふと重なってくるせいか、いささか妙な気分だ。ことに第3楽章がプレトニョフの意図が最も明瞭だったが、個人的にはいかにオーケストレーションが稚拙でもショパンはショパンのままの方がいい。これが私の結論だった。プレトニョフが世界屈指のピアニストであり、指揮者であり、また優れた作曲家であることは間違いないが、歴史に名を残した曲の再オーケストレーションだけは今回のショパンで終わりにして、今後は自作の力作を期待したい。それはともかくこのコンサートで彼が指揮者としての類稀なスケールの豊かさと統率力を高らかに示した点を高く評価したいと思う。その点で出色の一夜であった。

悠 雅彦 Masahiko Yuh
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。本誌主幹。

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