Concert Report #791

佐藤久成ヴァイオリン・リサイタル

2015年2月22日 東京文化会館小ホール
Reported by 悠 雅彦(Masahiko Yuh)
Photos by 三好英輔

<演奏>
佐藤久成(ヴァイオリン)
杉谷昭子(ピアノ)

<曲目>
1,ヴァイオリン・ソナタ 変ロ長調 K.378(モーツァルト)
2.ヴァイオリン・ソナタ イ長調 K.526(モーツァルト)

------------Intermission------------

1.ルーマニア民族舞曲(バルトーク)
2.エクスタシー(フス)
3.タンゴ(アルベニス)
4.ザ・デュー・イズ・スパークリング 露が輝くさ(ルビンシュタイン)
5.モーゼ・ファンタジー(パガニーニ)
6.ロマンス op. 3(グリエール)
7.懸賞の歌〜楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より(ワーグナー/ウィルへルミ編曲)
8.コンチェルト・シュトゥック ”ハンガリー風” (ウィルへルミ)

 かかるヴァイオリニストは、過去わが国のクラシック・フィールドに余り縁のなかった私には初めてで、率直にいって夢でも見ているような心持ちだった。このヴァイオリン奏者がデビュー・リサイタルを開いたのは2002年というから、以来10年以上も佐藤久成の評判を知ることなく、かつ噂をほとんど聞くことがないまま、この日の演奏を聴いて驚嘆している私はよほど世間知らずのガラケー人間なのだろうと、いささか愕然とした。それはそれとして、1曲目のモーツァルトを聴きながらふと思ったのは、このヴァイオリン奏者には自分がクラシックのヴァイオリニストであるなどという意識はさらさらないのではないか、と。演奏したい作品があれば、カテゴリーにとらわれずに挑戦するだろうし、クラシック音楽界の流儀や作法などには想像するに大した関心はないはずだ、と。いささか穿った見方かもしれないが、そう思わせるに充分な、自由な息吹にとんだ演奏をこの日私は思う存分堪能した。
 前半のモーツァルト。「K. 378」が滑り出した瞬間、旋律に羽が生えたかのような躍動感と愉悦感が心地よく舞い、ほとばしった。よそゆきの白々しさは微塵もない。右足を踏み出したかと思うと左足にバランスを移し、フレーズの終わりではキッと正面を見据えたりさまざまな仕草や表情を見せる。最後は弓を高く挙げて流れやテンポ感に弾みを与えるなど、もし演奏そのものの中身が伴わなければ噴飯ものと笑い飛ばされる恐れを、彼は自らの演奏力で一掃してみせた。そのモーツァルトだが、「K. 526」が活きいきとして、どの音も心地よく聴く者の心を躍動させ、第2楽章のアンダンテで心に染み込むような歌い方が胸に下りてきた瞬間、第1、第3楽章の喜びを宙に舞わせるような奔放感を一層強調するかのごとき繊細なセンスを、彼が磨き上げてきたことに私は目をみはった。ト長調の「セレナード」などの傑作を生んだこの時期のモーツァルトを渾身の演奏で披露した佐藤の楽才に目をみはらされたが、「K. 378」でもピアノへの比重が高いモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを、杉谷昭子の演奏に心地よく乗るかのようなリラクゼーションをたたえて演奏した佐藤のしなやかなヴァイオリンが実に印象的だった。
 私が注目したのは、前後半2時間を超える全演奏を通して佐藤が杉谷昭子のピアノ演奏に視線を向けることが一度もなかったこと。それほど両者の間の意思疎通がスムースだったか、舞台での演奏における佐藤の信念、もしくは姿勢の現れだったか。どちらにしても演奏家は本来こうでなくてはいけない。とりわけ後半は小品を8曲、それも馴染みが薄い作品が中にはあり、互いに確かめ合うような場面があってもおかしくはないと思ったが、いちどもなかった。さすがプロの演奏家。特に杉谷の献身ぶりは称賛に値する。
 この後半が、前半のモーツァルトとは打って変わった楽曲の連続で、先に触れた佐藤の動きがいっそうリラックスしたものになり、彼の好みがより明快な形で表に出たようだ。曲は6曲からなるバルトークの「ルーマニア民族舞曲」に始まったが、アルベニスの「タンゴ」やグリエールの「ロマンス」のように馴染み深い曲もあれば、フスの「エクスタシー」やルビンシュタインの「露が輝くさ」など滅多に聴けない曲もある。プログラムによれば、「今まで日の目を見ることのなかった往年の知られざるヴィルトゥオーゾ作品やソナタの本邦初演が多数含まれる」とあり、今後も多様な知られざる佳曲が彼の演奏で紹介されるだろうと思うとワクワクする。かかる小品では旋律を存分に歌わせる奏法で、その人のテクニックの有り様が分かる。第1曲のバルトークでも、かくも奔放に音に表情と動きを与えるヴァイオリニストはそうはいない。その4曲目の最後で終止形をユーモラスに締めくくる動きや不敵な趣きを印象づける目使い、あるいはアルベニスでの強弱や動きの大胆な落差を面白く聴かせるテクニックなど、随所で彼なりの創意にとんだ奔放さを発揮してみせた。とにかくこんな風に個性を音楽性と一体化させて聴く者を引きつけるヴァイオリン演奏家は私には初めて。とはいっても、その昔のハイフェッツ、エルマン、メニューイン、クライスラーなどの大家は、形は違ってもそれと分かる奏法と魅力で際立っていたことを思えば、佐藤久成はもしかすると往年の演奏の美しさや特異性に帰った形を無意識に甦らせたのかもしれない。
 以上に指摘したような個性的奏法が際立って印象的だった例として、パガニーニの「モーゼ・ファンタジー」を挙げておこう。短調の部分ではまるで泣いているように、長調のところでは笑っているように、あたかも場面転換を思わせる奔放な音の変化と動きがドラマティックだ。度が過ぎて音がうわずった箇所も、もし計算通りの演技?なら大したものだ。グリエールの「ロマンス」もオペラのアリアを聴くような、佐藤の旋律の独特の歌わせ方が魅力的。最後の「コンチェルト・シュトゥック」でのジプシー・ヴァイオリンを思わせる歌わせ方や、ピアニッシモからフォルテにいたる音の演技を秘めた彼の奏法にはいっそう感心させられた。アンコールでも、エルガーの「朝の挨拶」、ドヴォルザークの「ユーモレスク」、ゴセックの「ガヴォット」からは、いかにも演奏が楽しくてたまらないといった佐藤の表情が窺えて、久しぶりに気分よく席を立った。
 そしてつくづく思う。彼の演奏を聴いていると、舞台で音を演技させているサトウという演奏家がいて、そこで音楽のもつドラマ性に光をあて、モーツァルトならモーツァルトの考えや生き方を甦らせる挑戦をしているのではないか、と。
 久しぶりに演奏を満喫した午後のひとときだった。

悠 雅彦 Masahiko Yuh
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。本誌主幹。

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