Concert Report #802

下山静香ピアノ・リサイタル

2015年3月18日 浜離宮朝日ホール
Reported by 悠雅彦(Masahiko Yuh)

1.ショパンへのオマージュ(エイトル・ヴィラ=ロボス)
2.ショパンの泉〜<休暇の日々から 第2集>より(デオダ・ド・セヴラック)
3.ショパンの主題による変奏曲(フェデリコ・モンポウ)
  -----------------休憩-----------------
4.幻想舞曲集(高揚/夢/狂宴)(ホアキン・トゥリーナ)
5.クバーナ〜<4つのスペイン的小品>より(マヌエル・デ・ファリャ)
6.ファンダンゴ(アントニオ・ソレール)
7.ピアノ・ソナタ第1番 Op. 22(アルベルト・ヒナステラ)

 久方ぶりに聴いた下山静香のピアノがなぜかいつも以上に新鮮に感じられた。恐らく1つには、彼女の演奏では私が初めて聴く演目が並んでいたせいでもあろうし、あるいは彼女のベーゼンドルファーによる演奏が私にはきっと初めてだったゆえかもしれない。ウィーンの宝ともいわれるこのピアノは銘器にふさわしい輝かしい音色をもつが、ただ使いこなすのがいたって難しいと、たしか加古隆からだったと思うが、聞いた記憶がある。加えて、この浜離宮朝日ホールのアコースティックな響きがこの銘器の持味を大仰に飾り立てることのない自然なつやっぽさで彼女の演奏に力を貸したのではないかと想像する。
 楽聖ショパンにちなんだ楽曲を並べた前半。オープニングはヴィラ=ロボスがショパンに捧げた献呈曲。実は、昨年の10月、《ラテンアメリカに魅せられて》と題した第6回ピアノ・ライヴで、私は彼女が演奏するこの曲を初めて聴いた。2つのパートに「夜想曲」及び「バラード」というタイトルをつけたあたりに作曲者のショパンへの密やかな傾倒ぶりがうかがわれる。とはいえ、作品はヴィラ=ロボスならではの闊達でありながら独特の堅固な語法に貫かれている。あのときのリラックスした演奏と較べると、しなやかな下山の手の動きから繰り出される音の粒立ちがホールの音響と共鳴し合う今宵の気持よさは、あたかも水しぶきをあげる渓流のたたずまいを思わせて印象深かった。
 もっとも、前半の3曲は同じショパンへのオマージュながら、楽曲の性格も、音が紡ぎ出していくストーリー性も、まったくといっていいくらい違う。滋味汲みすべきセヴラックのオマージュ作は、たとえばショパンのひなびたノクターンと響き合う優しい囁きを秘めていて、下山の指先からこぼれだす素朴な旋律の中でショパンの泉が平和な田園風景を写し出す。モンポウによるショパンへのオマージュ作品は私には初めてだった。モンポウを含むこれら3曲は発売されたばかりの下山静香の最新CD『ショパニアーナ』を飾っていることも後で知った。ショパンの名高い「24の前奏曲」の第7番といえば、ダグラスがオーケストレーションを施したバレェ音楽「レ・シルフィード」の冒頭を飾った1曲でもある。イ長調の主題の提示後、変奏曲に入ると徐々にモンポウの世界があたかもバレェ音楽のように繰り広げられるこの(3)では、熊本マリとはまた違ったニュアンスの、音が瞬時も疎かにならない下山ならではの闊達な音の万華鏡を聴く気分を味わった。
 休憩後の4曲。実を言えば下山が近年、とりわけ積極的に演奏する機会が多い南米・中南米の音楽的ニュアンスが強く感じられるせいか、これら4曲の方により親近感を覚えたのはごく自然な成り行きだったかもしれない。というのは、彼女は近年、ラテン音楽評論家・竹村淳氏のプロデュースするコンサートで、南米・中南米の作品を積極的に演奏しており、ときには力づくでねじ伏せるかのような力強い演奏を披露して聴く者の共感を誘っている場面に、私も何度となく遭遇していたからでもある。とはいえ、最初のトゥリーナも、次のファリャはむろんのこと「ファンダンゴ」のアントニオ・ソレールも、モンポウ同様スペインの作曲家。だが、ファリャの「クバーナ」で、「グァンタナメラ」によって世界的に知られるようになったキューバの農民の歌グァヒーラの片鱗が姿を現すと、下山のタッチが気のせいか活きいきと弾んで音が筋肉質に躍る。聴いている私の方も心が自然に弾む。その心地よい気分は次のソレールの「ファンダンゴ」にも乗り移ったかのような魔術を思わせるがごとく持続した。下山自身が書いた解説によれば、この曲はソレールの作ではないとの説があるというが、そんなことより私にはキューバ的な野性味を彷彿させるリズムや音色がスリリング。明快なタッチと跳躍するフィンガリングの闊達な動きを目の当たりにしていると、かれこれ20年以上も前にハバナの郊外で体験したサンテリア儀式の陶酔がよみがえってきた。
 下山静香は周知のようにステージでは決まって裸足だ。それは、いかにも闘志満々の演奏態度やパッションが横溢する情熱的身振りを思わせるが、実際に南米や中南米の音楽を演奏するときの彼女は、たとえば ”スペースDO" (新大久保)のこじんまりとした会場でステージの間近に見るときの、精悍な雰囲気を発散させる姿から連想する裸足のイメージとはやや趣きを異にしているように見えたが、それは逆にリサイタルをうたったこのコンサートへの彼女の思い入れの強さを示していたのかもしれない。しかし強調したいのは、下山の演奏が緊張の罠にはまることも、金縛りの不運に見舞われることもなく、むしろ完璧にといいたいくらいの完成度の高さを示す演奏を披露して見せたこと、といっても言い過ぎとはなるまい。聴き手の欲のかき過ぎを承知でいえば、曲によってはリラクゼーション気分とかユーモア感覚がもっとダイレクトに味わえたらなと思わないでもなかったという、その1点だけだ。そんな聴き手の勝手気ままなエゴを一掃するかのように、最後のヒナステラのソナタが圧巻だった。性格の違う4つの楽章と真正面から対峙しながら、しかもその違いを通してアルゼンチンの魂とでもいうべき民族的な声を楽想に潜ませつつ、みずからを鼓舞するようにパッションをほとばしらせたヒナステラのソナタに、自身のラテンアメリカ讃歌を重ねたかのような下山の演奏に聴き手は間違いなく共感しただろうと、私は確信する。
 アンコールの最後を飾ったのは、彼女が愛してやまないブラジルの作曲家、ブラジルのショパンともいわれるエルネスト・ナザレの「コンフィデンシャス」(打ち明け)。一昨年が生誕150年だったナザレ特有の哀愁を漂わせた旋律は、彼が傾倒したというショパンの美学に通じるもの。昨年10月、《エルネスト・ナザレ特集》をうたったコンサートで「ブレジェイロ」、「オデオン」、「エスコへガンド」などを愛でるように演奏した彼女は、いわばナザレのスペシャリストでもある。哀調を帯びたブラジルの調べがそよ風のように耳元を通り抜けていく気持よさ。彼女のラテンアメリカ音楽への情熱が軽くはじけるような心地よい最後だった。

悠 雅彦 Masahiko Yuh
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。
共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。本誌主幹。

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