Concert Report #823

<歌曲(リート)の森> 〜詩と音楽 Gedichte und Musik〜 第16篇、第17篇

2015年5月13、15日 トッパンホール
Reported by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 藤本史昭/提供:トッパンホール

<演奏>
テノール:クリストフ・プレガルディエン
ピアノ:ミヒャエル・ゲース

第16篇(13日)
<曲目>
・マーラー:さすらう若人の歌
・ヴィルヘルム・キルマイヤー:ヘルダーリンの詩による歌曲集 第2巻より
 やさしい青空に/人間/あたかも雲を/ギリシア
・マーラー:子供の魔法の角笛より
 この歌をつくったのはだれ?/高い知性への賛美/ラインの伝説/原光/トランペットが美しく鳴りひびくところ/死んだ鼓手

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
第17篇(15日)
<曲目>
・シューベルト:さすらい人の夜の歌T<天から下りくるおまえは>D224/憩いない愛D138/流れのほとりでD160/御者クロノスにD369/竪琴弾きの歌より<わたしは家の戸口にそっとしのび寄っては>D479/月に寄すD259/ガニュメデス D544/逢瀬と別れ D767/羊飼いの嘆きの歌 D121/耽溺 D715/はじめての失恋 D226/愛 D210/狩人の夕べの歌 D368
・リスト:よろこびにあふれ、悲しみに満ち(第2稿)
・レーヴェ:塔守リュンコイス
・ベートーヴェン:ゲーテの詩による3つの歌 Op.83より <悲しみのよろこび>
・ヴォルフ:自然の現象
・ベートーヴェン:6つの歌 Op.75より <新しい愛、新しい生>
・ヴォルフ:花の挨拶
・ヴォルフ:ガニュメデス
・グリーグ:6つのドイツ語の歌 Op.48より <ばらの咲くころ>
・リスト:天から下りくるおまえは(初稿)
・レーヴェ:魔王
・シューベルト:さすらい人の夜の歌II <すべての山頂に> D768

 2015年も半分が経過した。躊躇なく書けば、そして結論から書けば、上半期のベストコンサートと言っても過言ではなかったほどのすばらしさだったのがプレガルディエン&ゲースのトッパンホールにおける2回のリート・リサイタル「歌曲の森」第16篇(5月13日)と第17篇(5月15日)だ。どの歌も極め付きの名唱と言って言い過ぎにはなるまい。
 第16篇のテーマは<マーラーとヘルダーリン>。前者は「さすらう若人の歌」と「子供の魔法の角笛」抜粋。恐らくは、マーラーの歌曲を聴く際にはまずオーケストラ伴奏版を念頭に浮かべるファンが大半だろう。オーケストラの扱いに関しては当代随一の作曲家であり、その多彩な音響上の工夫と効果は比類ない。しかし、切り詰められたピアノ伴奏版で聴くと驚くことに聴き手の心象イメージがオケ版よりも豊かに広がるのだ。オケ版だと「痒いところに手が届き過ぎる」。ちなみにプレガルディエンの声はテノールとは言ってもハイバリトンに近く太い。そしてその類稀な美声と相まって、かのフィッシャー=ディースカウを想起させる。しかし、フィッシャー=ディースカウが時に詩の意味内容の伝達に重きを置くあまり表情過多で不自然となる傾向なしとしないのに対し、プレガルディエンはより端正な中で自然に言葉を分節化している印象だ。それは「さすらう若人の歌」から明らかで、見事な美声による滑らかな旋律線と彫りの深さの両立は稀にみるレヴェルに達していると思うが、第一声からして本当に聴き惚れてしまう。ゲースはリートにも関わらずピアノの蓋を全開、これが意味するところは歌との丁々発止のやり取りをこそ望んでいるということだろうが、実際に大きなアクセントを付けたり歌の伴奏(いや、「伴奏」ではない)としてはかなり個性的な主張を聴かせる。ダイナミクスもここぞという箇所では全く歌手に遠慮なく大きな音を出す(もちろんプレガルディエンは一歩も引かずに対峙する)。また思うに、事前のリハーサルでは緻密に詰めながらも、いざ本番となるとお互いがかなりの即興性を持ち込むのではないか。これがありがちな歌曲演奏とは違った、まるで爆弾が炸裂するような緊張感を秘めている理由に思える。マーラーでは「角笛」歌曲での「この歌をつくったのはだれ?」や「高い知性への賛美」といったユーモラスで皮肉の利いた曲ではそのステージ上の演劇性も含めて、歌詞を仮に把握していなくてもその内容が理解できてしまうのではないかというほどの巧みさで聴かせ、戦争をテーマにした2曲「トランペットが美しく鳴りひびくところ」「死んだ鼓手」では、前者では戦死した恋人の訪問という異様な内容を持つ戦慄的な傑作の情感を完璧に表出して余すところがない。後者のやけっぱちの行進の迫力にはたじろぐしかないほどの迫真性がある。
 そして、マーラーも素晴らしかったがあるいはそれ以上に魅了されたのがキルマイヤーによるヘルダーリンの詩による歌曲集第2巻だ。筆者も含め大半の聴衆にとっては未知の歌たちだろうが、そのキッチュさと紙一重の危うい美しさには麻薬のような魅力がある(そもそも、1927年生まれの作曲者がこれを書いたのが1982年である。このこと自体がキッチュでなくてなんであろうか)。ヘルダーリンは終生古代ギリシャをこそ理想郷とみなし数多くの詩作において賛美を重ねたが、それはありえない理想郷への倒錯的な傾倒と言ってもよいものだったであろう。そういった危うさが実に見事に音楽の中に昇華されている(余談ながら、この歌を聴いた瞬間に西脇順三郎の「Ambarvalia」冒頭のあの「ギリシャ的抒情詩」のことを思い浮かべた。情感のありようが似過ぎていると感じられる)。ここでもプレガルディエンはその独特の浮遊感を全く間引くことなく、ありのままに表出しえていた。その歌「ギリシャ」における歌詞「Griechenland…」の高域での異様な引き伸ばしによる歌唱には鳥肌が立つ。
 続いて第17篇のテーマは「ゲーテ」。文字通りゲーテの歌詞による歌が集められる。前半は全てシューベルト、後半はリスト、レーヴェ、ベートーヴェン、ヴォルフ、グリーグと多彩(最後に1曲だけシューベルト)。こちらの回も絶唱につぐ絶唱。レパートリー的には個人的に後半により興味を持った。実演ではなかなか遭遇できない曲が多く、それがプレガルディエンで聴けるのだから。中でもレーヴェの「魔王」。言うまでもなくシューベルトの同名歌曲と同じ歌詞である。ドラマティックの極みと言うべき後者に対し、レーヴェ版はシンプルな中に静謐な不気味さが漂い、これはシューベルト版では得られない感覚だ。プレガルディエンは父親、子供、魔王の歌い分けを、声質の変化よりは表情の変化ですばらしく聴かせる。歌詞内容に入り込んだボディアクションもけだし見物。
 最後に両日のアンコールについて。初日ではマーラーの「私はこの世に捨てられて」。歌手自身から「Ich bin der Welt abhanden gekommen」とアナウンスされた時には心の中で小躍り致しました。大好きなすばらしい傑作。初日はこの1曲のみ、2日目にはシューベルト:「冬の旅」から「菩提樹」、「魔王」、レーヴェ:さすらい人の夜の歌U、シューベルト:「夜と夢」。まさかシューベルトの「魔王」まで聴けるとは思わなかった(一晩で2つの「魔王」をプレガルディエンで聴けるとは!)。シューベルト作曲の正規プログラムと同じ歌詞を持つレーヴェもにくい選曲だが、最後に「私が1番好きなシューベルトの歌です」と英語で話してから歌い始めた「夜と夢」の美しさときたら。聴衆はこれで完全にノックアウト。このようなブラボーの雨あられとスタンディング・オヴェイションはかつて歌曲のリサイタルでは見た記憶がない。
 それにしてもこの2夜を通じて、どちらかと言えば普段はオーケストラやピアノなどの器楽を聴くことの多い筆者も改めて<歌>のもつ力に圧倒されたし、正直に申し上げればそれまで熱心な聴き手とは言えなかったプレガルディエンがどれほどの高みにある歌手なのかが骨の髄まで体感できたのが嬉しくもありがたかった。ところで、プレガルディエンは来年には再度トッパンホールに来演、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」を歌うという。これは万難を排して駆けつけねばなるまい。

藤原聡 Satoshi Fujiwara
代官山蔦屋書店の音楽フロアにて主にクラシックCDの仕入れ、販促を担当。クラシック以外ではジャズとボサノヴァを好む。音楽以外では映画、読書、アート全般が好物。休日は可能な限りコンサート、ライヴ、映画館や美術館通いにいそしむ日々。

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