Concert Report #829

カイヤ・サーリアホ:コンポージアム2015オペラ「遥かなる愛」/東京都交響楽団 第789回 定期演奏会

Reported by 悠雅彦(Masahiko Yuh)

カイヤ・サーリアホ:オペラ『遥かなる愛』(演奏会形式)
2015年5月28日 東京オペラシティ コンサートホール タケミツ メモリアル

<演奏>
東京交響楽団(指揮:エルネスト・マルティネス=イスキエルド)

ジョフレ・リュデル:与那城 敬(バリトン)
クレマンス:林正子(ソプラノ)
巡礼の旅人:池田香織(メゾ・ソプラノ)

東京混声合唱団(合唱指揮:大谷研二)
ジャン=バティスト・バリエール(映像演出)

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東京都交響楽団 第789回 定期演奏会
2015年5月29日 サントリーホール

<演奏>
東京都交響楽団(指揮:トーマス・ダウスゴー/コンサートマスター:山本友重)

<曲目>
1.サーリアホ:クラリネット協奏曲『D'OMLE VRAI SENS』
  カリ・クリーク(クラリネット)
2.ニールセン:交響曲第3番 op 27『広がりの交響曲』
  半田美知子(ソプラノ)
  加来徹(バリトン)

カイヤ・サーリアホの世界を賞味する至福に酔った2日にわたる夕べ

 現代フィンランドを代表する作曲家カイヤ・サーリアホをめぐって催された2つのコンサートで、いくつかの銘記すべき出来事と出会った。それは言い換えれば、過去のどんな演奏会とも違う新鮮な発見に満ちたものだった。その感動体験をここに書き留めたい。
 カイヤ・サーリアホは東京オペラシティが主催する「コンポージアム2015」の招待作曲家、並びに世界の若い作曲家を対象にした「武満徹作曲賞」の審査委員長(といっても審査委員は彼女ひとり)として来日した。特に記載がないところを見ると初来日かもしれない。彼女は1952年10月14日、ヘルシンキの生まれで、シベリウス・アカデミーで本格的に作曲を学んだ人。在学中にマグヌス・リンドベルイやエサ=ペッカ・サロネンらと作曲家グループを結成し、その後フランスに移ってIRCAM(フランス国立音響音楽研究所)で研鑽に励んだ。80年代の彼女の作風を特徴付けることになったコンピューターやライヴ・エレクトロニクスの技法はこの時代に獲得したものだというが、私は寡聞にしてこれらの作品に接した記憶がほとんどない。25年ほど前ごろから彼女の名前を時おり耳にするようになったが、中でも『ヴァイオリン協奏曲』や、数々の受賞に輝いた記念作で彼女にとっての初のオペラ作品『遥かなる愛』への関心を喚起させるかのように来日し、そのうえ念願だった『遥かなる愛』を<演奏会形式>ながら彼女自身のプロデュースで上演すると聞いて、実は秘かにエキサイトした。これは絶対に聴き逃すべきではない。
 ザルツブルグ音楽祭やパリ・シャトレ座らの委嘱によって作曲され、同音楽祭において2000年8月にケント・ナガノの指揮とピーター・セラーズの演出で初演された『遥かなる愛』は今回、主人公のジョフレ・リュデルを歌ったバリトンの与那城敬、トリポリの女伯クレマンス役のソプラノ林正子、両者の間をつなぐ巡礼の旅人に扮したメゾ・ソプラノの池田香織がそれぞれの役に徹して力唱し、バルセロナ生まれのエルネスト・マルティネス=イスキエルドの的確な指揮と東京交響楽団の真摯な演奏を得て演奏会形式ならではの聴かせるオペラの醍醐味を、ときに考え込んだり、ときにエキサイトしたりしながら印象深く味わった。理想の女性を求めてまだ見ぬ恋人への思いを募らせるブライユの領主で吟遊詩人でもあるリュデルと、もとはオリエントの血を引く女伯でありながらフランスのトゥールーズに生まれたクレマンスと、彼女の心の葛藤を思いやって両者の間を行き来しながら愛の成就を願う巡礼の旅人という、この3者の間に横たわる途方もない距離を3者の内的世界の至純の深さに対比させるようなサーリアホの、一聴つかみ所のない北欧の霧氷を思わせる繊細な響きが、混声コーラスをまじえた大規模なオーケストラによる緻密にして漉し器で濾しとったような、まさに霊妙な印象をたたえて聴く者の脳裏に心地よい瞬間を繰り返しもたらした。現代的視点でいえば、この現実離れしたストーリーがつかみ所がないと不満を漏らす向きもあったやに聞くが、日本の神話との親和性を思わせる厳かな全体のたたずまいに酔いながら、私はむしろ興味深く聴いた。
 バルセロナ生まれの指揮者イスキエルドはすべてに目配りの利いた堅実かつ緻密なタクトぶり。ステージ背後に設けられたスクリーンに幻想的なイメージの映像が写し出され、フィンランドの冬の幻想美を象徴するようなサウンド風景をフランス風に洗練された演出(ジャン=バティスト・バリエール)が温かく包み込む。そうした効果によって、西洋と東洋がごく自然に溶け合っていくこのオペラの核心が、時の経過とともに聴き手の心を捉えることになったのではないかと思う。忘れがたい体験となるだろう。

 その翌日(29日)の夕べ。サーリアホはサントリーホールの中央招待席にいた。当夜は東京都交響楽団の定期演奏会で、現在スウェーデン室内管の首席指揮者トーマス・ダウスゴーの本邦デビュー演奏会でもある。近年の東京都交響楽団の躍進と充実ぶりには特筆すべきものがあり、私がこの半年ぐらいに聴いた日本のオーケストラではイの1番に指を屈する充実ぶりを誇る。それかあらぬかチケット売り場には長蛇の列ができ、実際、入りも1階はほぼ満席の盛況。この定期で披露されたのがサーリアホのクラリネット協奏曲『D' OM LE VRAI SENS』だ。タイトルは<貴婦人と一角獣>で、パリのクリュニー中世美術館で中世のタペストリーに描かれた貴婦人と一角獣の図(この6枚のタペストリーの謎が興味深いが、紙面の都合で省略する)に魅了されたサーリアホが、フィンランド生まれのクラリネットの名手カリ・クリークの超絶技巧を念頭に書き下ろした協奏曲というだけあって、『遥かなる愛』に通じる深遠な神秘性をときに霧のようにまぶしながら、演奏技巧と表現にとっての最良の舞台を用意した作品との印象を強く受けた。
 現代最高のクラリネット奏者との評を高めているカリ・クリーク(1960年生)は、この楽器に並ならぬ関心と喜びを持ち続けるサーリアホの作品を、まるで巨大な喜びを慈しむように、ときには大胆な発想で挑戦するかのように、全身をフルに使った熱演を展開した。恐らくはこの協奏曲を彼は自家薬籠中のものにしている深い自信ゆえの演奏というべき熱演だったろう。
 サーリアホは「ソリストは各楽章で異なる位置で吹くように」と指定し、移動することによって生まれる空間性をも視野に入れている。まず場内のライトがすべて消え、舞台上の薄い明かりだけが残った中、1階中ほどの上手側客席入り口に姿を現したクリークは、オケとの対話を繰り返す一連の作業の中で多彩かつドラマティックなサウンドのソロを披露。やがて楽器を吹きながら場内をステージにそって移動し、ステージに上がった後も自由な移動を繰り返しながら6楽章(パート)の中で綴る6枚のタペストリーの絵模様をドラマティックに描写していった。最後はオケのヴァイオリン奏者がステージを降りて客席へ。最終楽章の全編でピアノが打ち続けるオスティナート音をバックに静かなエンディングが用意される。それにしても、変化に富んだ奏法を次々と展開しながら、運動選手並みに機敏な身体性を柔軟にこなしてプレイしたカリ・クリークの高度な能力には目をみはらされた。サウンドもむろん多彩。ただし、馬がいななくサウンドが耳に入った瞬間、脳裏に浮かんだのはもう50年以上も前に聴く者を驚かせた故エリック・ドルフィーのバス・クラリネットの音だった。クリークは明らかにドルフィーを聴いているのだ。
 最後に触れておきたいのが指揮者のトーマス・ダウスゴー(1963年生。デンマーク)。『クラリネット協奏曲』でのタクトもさることながら、後半のステージで振ったニールセンが実に素晴らしかった。ニールセンの交響曲というと、わが国では単一楽章の『第4番 不滅』が比較的に知られているが、ダウスゴーが振った精気溢れるこの『第3番』の演奏を聴いて、その魅力を新たに発見した人が少なくなかったのではないだろうか。ソプラノとバリトンの歌唱を伴いつつ、ドイツ的な重厚さをたたえながら北欧の自然とそこに住む人々の営みが活きいきと描かれたキャンバスの絵のような色合いが、自国の作曲家への献身を注ぎ込んだダウスゴーの渾身のタクトを通ってまさに溢れ出た音響美とでもいえばよいか。それに応えた都響の生命力が横溢する力強くもよく彫琢されたアンサンブルがこの輝かしさを生み出すのに大きく貢献したことは間違いなく、これによって都響への注目度がいや増すことも疑いない。明年にはBBCスコティッシュ響の首席指揮者に就任するというダウスゴーの躍進とともに、ファンの関心がさらに高まることはこれまた間違いない。

悠 雅彦 Masahiko Yuh
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。
共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。本誌主幹。

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