Concert Report #840

下野戸亜弓リサイタル2015

2015年7月18日(土)東京オペラシティ/リサイタルホール
Reported by Masahiko Yuh 悠 雅彦

下野戸亜弓(筝・歌)
角田真美(龍笛)
望月晴美(打楽器)

1.走井(復曲:芝祐靖)
2.筝歌〜声と十三弦筝のための(作曲:細川俊夫)
3.古代歌謡による三つの歌(作曲:廣瀬量平)
4.筝歌のための みづとり(作曲:福士則夫)
5.秋の琴〜もうひとつのレクイエム〜諸井誠作曲・中村稔詩集『幻花抄』より

 意表を突くソロ・ヴォイス。静寂の余韻に思わず引き込まれた。
 「走井(はしりい)は」古代歌謡である催馬楽を、雅楽界の長老・芝祐靖が復曲した。その昔、平安時代に宮廷貴族の管弦や庶民の祝宴曲として民謡などの歌を雅楽風に歌った「律」のメロディーを、あたかも管弦にのせてゆったりと舞うように歌う、「はしり井の/小萱刈り収めかけ/それにこそ/繭作らせて/糸引きなさめ(蚕に繭を作らせて生糸を巻こう)」という言葉の響きに知らず知らず引き込まれる。細川俊夫が作曲した(2)の「筝歌」への絶妙な序奏でもあるというところがニクい。(2)は万葉集の一首、「味真野に/宿れる君が/帰り来む/時の迎へを/何時とか待たむ」をテキストにしており、これが(3)の「古代歌謡による三つの歌」への橋懸りをしのばせるあたりに、このリサイタルへの成否を賭けた下野戸のアーティスト魂の高揚感と意欲のほとばしりを強く感じさせる。遠くを見据えたかのような下野戸のヴォイスが(1)で軽やかな弧を描きながら、ちょうど「走井」のこだまを思わせる空気感を漂わせて始まる(2)の序章へと心地よい風を送り出す流れが絶妙。声と筝のための下野戸の筝歌(ことうた)は、深い緑の木立を縫う風のようでもあり、ときには精霊の舞のようにみずみずしい。そして、第1部の最後を飾る故・廣瀬量平の(3)「古代歌謡による三つの歌」へ。
 この曲には忘れがたい思い出がある。尾高賞に輝いた「尺八協奏曲」などで知られるように、廣瀬量平(1930〜2008)はクラシックの作曲家として通っていながら邦楽曲に優れた作品を書いた。そのことを無言で教えてくれたのが、2010年11月に始まった廣瀬量平作品連続演奏会(全5回)の実行委員長、長廣比登志氏であった。ジャズにもあかるい氏の人間としての魅力が私は大好きだった。邦楽では長廣さんから学びたいことが山ほどあり、いつか薫陶を得たいと思っていた。その彼が2013年12月28日に突然世を去った。この曲は長廣氏の追悼公演ともなった廣瀬量平作品連続演奏会の最終回(2014年9月)で演奏され,在りし日の長廣氏を思って涙した。そのときの演奏者が下野戸亜弓であり、長廣さんを介して私は下野戸さんと知り合う縁を得たことを思い、感慨深い思いが脳裏を去来した。この夜、彼女はあのときとまったく同じ角田真美と望月晴美の3人でこの曲を再演したが、古事記の祝い歌、宴席の歌、そして春日皇女が愛する勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)の死を悼んで歌った歌を聴き入りながら、単なる憧れとは違う古代の甦りを、たとえば祝いの席での舞や歌う仕草が見えるようなリアリズムとして感じ取った。それはとりもなおさず、古代歌謡のなかで寄り添うように歩んできた声と筝の、廣瀬量平的イマジネーションを通して実現した音楽的合体といってよい。それを厳しい作品分析と解釈で格調高い作品に仕上げた下野戸、角田、望月のトリオ演奏が素晴らしく、昨年9月をしのぐ迫真的なステージ演奏で感銘を新たにした。下野戸がプログラムの結びで触れているように、「今回は第二曲『蟹の歌』に現存する二つの楽譜を照らし合わせ、より作曲者の当初意図した、いにしえの風景を選択し、演奏者のイメージを膨らませ演奏してみたい」という、いかにも学究肌の彼女らしい真摯な取り組みが印象的だった。
 後半は、委嘱新作の「みづとり」にはじまり、下野戸が4年前に委嘱した、諸井誠の大作「秋の琴」と「コスモス」の再演。とりわけ中村稔の詩集『幻花抄』の「コスモス・その愛」、「秋の琴」を中心に、作曲者自身の台詞で構成した大作。副題の「もうひとつのレクイエム」は震災犠牲者と中村稔夫人の死を悼んだタイトルのようだが、諸井誠自身も東日本大震災から間もない2013年9月2日に病没した。山村暮鳥の詩をテキストに用いた福士則夫の新作へ意欲的なアプローチといい、2面(台)の琴をハの字にセットして筝歌(ことうた)の境地を深化させようとする飽くなき情熱といい、下野戸亜弓のひたむきな取り組みには頭が下がる。ただし、後半はいささか疲れた。

悠 雅彦 Masahiko Yuh
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。
共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。本誌主幹。

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