Concert Report #843

広島交響楽団/平和の夕べ

2015年8月11日 サントリーホール
Reported by Msahiko Yuh 悠 雅彦

● 劇音楽「エグモント]序曲 op. 84(ベートーヴェン)
● 交響曲「世界の調和」(ヒンデミット)
……………………………………………………………………………
● ピアノ協奏曲第1番ハ長調 op. 15 (ベートーヴェン)

マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
広島交響楽団(管弦楽):秋山和慶(指揮)
アニー・デュトワ(朗読)/平野啓一郎(朗読)

 広島で夏の恒例となっているコンサート、「平和の夕べ」。今年は戦後70年。広島では被爆70周年として、さまざまな催しや行事が行われたが、63年に発足以来、市民オーケストラとして親しまれ、この町の顔ともなっている広島交響楽団(広響)の「平和の夕べ」が、核兵器廃絶と世界恒久平和に向けた新たな出発に踏み出そうとしている広島市の記念すべきイヴェントともなっていることは言うを俟たない。今年は8月5日に行われたが、ゲストにマルタ・アルゲリッチを迎えたこともあって大盛況だったと聞いた。このコンサートがそっくりそのまま東京にやってきたのだ。アルゲリッチ人気ゆえだろうが、チケットは瞬く間に完売。2000を超える収容能力を持つサントリーホールが聴衆の熱気で波だっているかのような期待感で揺れているように見えた。とりわけ開始直前に、天皇・皇后両陛下が2階のライト・ウィングの最前列で軽く会釈され、満場の拍手に迎えられたときがまさにそうだった。きっとアルゲリッチのピアノがお好きなのだろう。
 当夜の聴きものは何と言ってもヒンデミットの「世界の調和」と名付けられた3楽章の交響曲。日本ではちょうど20年前にN響がプロムシュテットの指揮で本邦初演して以来の演奏だというが、いずれにせよ滅多に聴く機会のない40分ほどを要する大曲を、広響が音楽監督の秋山和慶のタクトのもとでどんな演奏を披露するのか、初めてこの大曲に接する私も興味津々だった。オープニングの「エグモント」序曲の演奏で広響の面々がそれこそ目の色を変えて秋山のタクトに集中し、応えているのを目の当たりにして、ある種の奇跡が起こるかもしれない予感はあった。その溌剌とした唸るような響きは、数年前にトリフォニーホールで聴いた広響を凌駕していたからだ。結果は予期した通りだった。
「画家マチス」やヴィオラ協奏曲で知られるヒンデミットは妻がユダヤ系だったこともあってナチスの迫害を受け、作品がすべて退廃音楽の烙印を押されて演奏禁止になり、亡命を余儀なくされた。彼は芸術が国家(ナチスに代表される全体主義)に奉仕する恐ろしさを直感し、やがて亡命。スイスや米国で活動を続けた。だが、この「世界の調和」はナチスと闘った彼の政治姿勢を反映したものではなく、「ケプラーの法則」で知られる天文学者ヨハネス・ケプラーが指摘した音楽と天体運動の間にある共通の法則性にヒントを得て、もとは在米時代の50年にオペラとして構想されたものを再構成して3楽章の交響曲に作り直した壮大な作品。ヒンデミットの高度なオーケストレーション、変化と機知に富んだ楽想展開を丁寧に解きほぐし,その上でオケ全体を掌握し、的確な指示を出して物語を時にあたかもオペラのようにドラマティックに展開する一方、交響曲としての緻密な構成でまとめあげた秋山和慶のタクトが称賛に値するものであったことは言を俟たない。が、それ以上にというべきか、広響のよく訓練されたアンサンブル、緻密で壮麗なヒンデミットの音響世界を演奏表現することに生命をみなぎらせた広響の面々に、私は文句なく脱帽した。闇を突き刺すようなフルート、カンタービレのように歌うオーボエなどの木管といい、最後まで覇気を持続させながら最善のアンサンブル能力を発揮したストリングスといい、破格といっていいほどの進化を遂げた広響。第3楽章の壮麗な「天体の音楽」が終わった瞬間、会場から爆発的な拍手が沸き起こったほどの熱演であった。
 マルタ・アルゲリッチに触れるスペースがなくなってしまった。ベートーヴェンの第1番は彼女自身の強い希望だったとか。過去にアルゲリッチが秋山のタクトで何回演奏したかは知らないが、秋山の指揮者としての能力を熟知しているとしか言いようのないアルゲリッチのにこやかな表情といい、すべてをマエストロに託し安心し切ってピアノ演奏に集中する彼女の溌剌としたベートーヴェンといい、真夏の涼風を思わせる心地よさだった。プログラムではヒンデミットの「世界の調和」が後半を飾ることになっていたが、当日変更になった。結果的にはアルゲリッチのベートーヴェンが最後でよかったと思う。天皇・皇后両陛下が立ち上がっていつまでも拍手なさっている光景といい、後味のいい、実に心和む気持のよい「平和の夕べ」であった。

悠 雅彦 Masahiko Yuh
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。
共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。本誌主幹。

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