Live Report #858

藤井泰和/地歌演奏会
〜芸歴50周年・開軒30周年記念公演

11月4日、18:00 紀尾井小ホール
Reported by Masahiko Yuh 悠 雅彦

1.菊の露
藤井泰和(三弦)
2.園の秋
藤井泰和(三弦)、井上紀代美(三弦本手)、富樫妙子(同)、藤本昭子(同)川瀬露秋(胡弓)
3.萩の露
藤井泰和(三弦)、藤本昭子(同)、福田栄香(筝)、徳丸十盟(尺八)
4.新青柳
米川文子(筝)、藤井泰和(三弦)、川瀬順輔(尺八)
5.根曳きの松
藤井泰和、川瀬露秋、滝澤郁子、小池郁子,辻本美鈴、渡辺明子、塚本徳、安藤啓子(以上、三弦替手)
富樫妙子、藤本昭子、松枝久美子、尾田桂子、奈良木美佐古,杉山朋子、竹内恵子、市川トミ子,尾葉石輝美、松野孝子、司城静子,石田博子(三弦本手)

意気込みが格別であることは、<芸歴50周年・開軒30周年記念公演>を堂々と謳っている一事からも明らかだとはいえ、聴いているうちに地歌の奥深い世界に入り込んで、豊かな感動の境地、ひょっとすると地歌の桃源郷にでも遊んでいるかのような気分に浸った。地歌が好きなだけの素人同然の身にとっても、格別な感動体験に浴するという例外的な一夜であったことは疑いなく、例年、自身の誕生日に合わせて開催してきた『地歌演奏会』の中でも出色の出来映えと聴いた。

たとえば、全5曲に名を列ねる上記の演奏者を一瞥していただきたい。人間国宝の米川文子(二代)を筆頭に、尺八の川瀬順輔,同じく尺八の徳丸十盟、筝の福田栄香、さらには里心会(川瀬里子一門の会。人間国宝だった藤井の母堂故・藤井久仁江は川瀬里子の門下生だという)や彼が会長を務める銀明会の指導者でもあるヴェテラン演奏家たちが渾身の気迫でバックアップするという豪華布陣。まさしく一瞬たりとも目を離せない。通常なら間の休憩時間を含めても1時間半を少し超える程度で終わる地歌演奏会が,この夜は何と二時間を超えた。だが、少しも長いと感じさせなかっただけでも、いかに緊張感に富んだ中身の濃い傑出した演奏会だったかが分かっていただけると思う。

小ホールとはいえ、開始間際には超満員。結局そのしわ寄せは身内というべき銀明会の会員が受ける羽目になったが、気の毒とはいえ今回の地歌演奏会はそれだけ聴き逃せないイベントだったということになろうか。それは出演者の豪華な布陣に加え、プログラムを一瞥してこの度こそは聴き逃すことがあってはならないと思わせる曲目に明らかだった。端唄で蓋を開け、京風手事物を3曲並べて、最後にめでたい「根曳きの松」で締めくくるという内容。その中で特に注目したのは至難な手事を挟み込んだ京風手事物を3曲も並べたプログラミングだ。何はおいてもこれは断じて聴き逃せない。とりわけこれだけの名だたる邦楽器の使い手が顔を揃えていれば、誰しも至難な手事が聴かせどころでもあるこの3曲に特大の関心を払うのではないだろうか。むろん地歌/箏曲の演奏の基本が<歌(うた)>であることは百も承知の上で、手事に注目したのはほかでもなく,まさにこれだけの名手が顔を揃えて共演する機会はそう滅多にあるものではないからだ。

幕開けの端唄「菊の露」。端唄ならではの節回しの妙味が藤井泰和の手にかかるとある種の格調を感じさせる。そこが聴きものでもある。オープニング故か、さすがの藤井泰和もいささか硬い。だが、崩れない。聴き入りながらも、地歌がもともと三味線の弾き謳いであることを改めてしみじみと思った。

そして、菊岡検校の「園の秋」に始まり、“松虫が鳴く声と夜半に砧を打つ音”を通して恋しい夫への思いをつづる(能の『砧』では砧を打っていた妻が、都に行って帰らぬ夫に思いを馳せながら病で亡くなるヒューマン・ドキュメントの体裁をとる。一方、この京風地歌では帰らぬ夫への思慕を歌い、悲しみに揺れる女の心情の哀れを表出する。いわば明治時代初期の演歌か)「萩の露」(幾山検校作曲)、そして石川勾当が源氏物語の34帖「若菜」を題材にした謡曲「遊行柳」から引いて作曲した地歌、いうまでもなく「石川の三つ物」の1つとして名高い「新青柳」、という3つの京風手事物。聴く方は息も抜けない。三味線の弾き歌いから、一転、技の角逐が舞台上に熱い火花を散らした手事に聴き惚れながら、同時に往年の大家による手付けの妙味を堪能することができたこと。これは何よりだった。一見華やかな技の応酬に目を奪われながらも京風地歌独特の余情が、九州系地歌ならではの音色に神経を使った三弦手法から紡ぎ出されていく、絵のような風景が余情溢れる音と絡みあうスリリングな聴きもの。いかにも声帯の筋肉が強靭なバネをつけたかのような藤井泰和の高域のヴォイス・コントロールが最良の出来を示した地歌演奏会ではなかったかと思うが、加えて「園の秋」での里心会の面々による三弦本手と高雅な胡弓(川瀬露秋が秀演)の心地よいアンサンブルと、筝(福田栄香)と三弦(藤井泰和、令妹・藤本昭子)がスクラムを組み、徳丸十盟の尺八との丁々発止が聴く者を別世界にいざなった「萩の露」。そして難曲の「新青柳」。ここでの2つの手事を聴いていると、手事が単なる個人技ではなく、アンサンブル(共演者たち)の呼吸が1つに結集する親和力の生む技と心の紡ぎ合いであり、藤井がこれみよがしに至難な演奏技を披瀝するためではなく、この難曲が3者の芸のアフィニティー(親和性=affinity)なくしては制御できない稀な傑作であること示した秀演であった。米川文子,川瀬順輔に臆せず親和の渦中に踏み込んだ藤井の奮闘を称えたい。

すでに余白は尽きているが、最後の三つ橋勾当作「根曳の松」に触れないわけにはいくまい。舞台上には所狭しと20人ほどの三弦演奏家が替手と本手に別れて並んだ。全員が女性。久保田敏子氏の解説に「九州系好みの三弦同士の演奏」とある通り、九州系地歌の意気込みと伝統的芸風が開放的な祝儀の明るさと新春の喜びをたたえながら三弦の力強い合奏と有無を言わさぬ確かな手事の妙味を通して弾け飛んだ。

露の雫のようにこぼれ落ちる思いのその深さ、そこはかとない静けきたたずまいがしじまを縫って運んでくる思い。「菊の露」で蓋を開け、京風手事物の情緒に酔わされ、地歌の魅力に酔いしれながら、目出度い「根曳の松」で開放された心の喜びを久しぶりに堪能した例外的な一夜であった。

悠 雅彦 Masahiko Yuh
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。
共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。本誌主幹。

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