Concert Report #864

田崎悦子『三大作曲家の遺言』最終回

2015年11月14日(土) @東京文化会館小ホール
Reported by 伏谷佳代 Kayo Fushiya

田崎悦子(ピアノ)

ブラームス:4つの小品op.119
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番ハ短調op.111
シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番ニ短調D.960遺作

* アンコール
ブラームス:4つの小品より第1〜3曲

峻厳さとまろやかさが結晶した、充実のシリーズ 最終回

ブラームス、ベートーヴェン、シューベルトという19世紀の巨匠の、しかも晩年の作品をとり上げる『三大作曲家への遺言』シリーズも最終回を迎えた。全ピアノ・ソナタのなかでも最高峰とされるベートーヴェンのop.111、規模の壮大さでは屈指のシューベルトのD.960など、個々の作曲家の魂と向き合うだけでも、要されるエネルギーは想像を絶するプログラムである。

極めてエレガントな佇まいで登場した田崎悦子は、作品の内へ内へと降りてゆくことでその情熱をみごとに昇華させ、ピアノが自ら語り、発光しているような澄明な境地を力強く切り開いていた。華々しいキャリアを重ねても決してお家芸に陥らない、絶えず更新される斬新なアプローチ。自己を開放して作品に寄り添いつくす、思い切りのよい音楽への没入。あまたいる日本人ピアニストのなかで田崎悦子が異彩を放つのは、音楽の本質へと斬りこむことにフォーカスした繊細かつプレない美学と、メカニックを超越した、自己の身体と魂へ限りなくフイットする真の技巧を極めている点である。音楽は刻一刻、最強の精度で紡がれる。

ベートーヴェンop.111の第2楽章を、とりわけ感慨深く聴いた。表面の波打は静かながら、冒頭のアリアがヴァリエーションとして変転してゆく緩徐楽章。ピアニストの技倆を、恐ろしいほどにむき出しにしてしまう楽章である。田崎悦子の演奏は、楽曲の構造をどこまでも誠実にあぶり出しつつ、シンプルな一音には崇高な精神性が封じ込められる。響きの彼方には救済の暖かさが滲む。ピアノの全音域を召喚するこの難曲に高い精度の律動を刻みつづけるテンションの持続、屹立する音色を導きだす、目にも美しい寸分の隙もない身体の運動性など(第1楽章)、聴き手の皮膚感覚に直截に作用するのだ。

さて、シューベルトである。その長大さ、ユニークな調性の推移、雪どけのような緩みを要所で覗かせるこのソナタにかかれば、たいていの優れたピアニストの演奏でも緩慢に陥る瞬間を逃れ得ない。しかし、田崎悦子の演奏は長さを全く感じさせない。すべての音が、過不足なくあるべき姿を全うしている。幻想とリアル---そのふたつの境界を激しく揺さぶる音楽である。和音の連打にタイム感覚はたわみ、澄明なトリルやメロディには知らず慰撫されているのに気がつく。まさに「音に生きたシューベルト」の姿が時空の狭間にふと蘇生したひとときであった。

音楽とともに生きてきた人生の滋味が、峻厳さとまろやかさを伴って結晶したシリーズの集大成。この日も奏者と伴走したピアノ、ベーゼンドルファー社の創業がシューベルトの晩年である1828年であることも感慨深い。時間の流れを、作品の偉大さを、そして過去と未来を結ぶことができる、一握りの演奏家の「今」を想うのだ (*文中敬称略。11月16日記)。

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【関連記事】
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伏谷佳代 Kayo Fushiya
1975年仙台市生まれ。早稲田大学卒。現在、多国語翻通訳/美術品取扱業。欧州滞在時にジャズを中心とした多くの音楽シーンに親しむ。趣味は言語習得にからめての異文化音楽探求。JazzTokyo誌ではこれまでに先鋭ジャズの新譜紹介のほか、鍵盤楽器を中心にジャンルによらず多くのライヴ・レポートを執筆。

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