Concert Report #865

エリソ・ヴィルサラーゼ ピアノ・リサイタル

2015年11月21日(土) すみだトリフォニーホール
Reported by 伏谷佳代 Kayo Fushiya
Photo: (C)西巻 平/すみだトリフォニーホール

エリソ・ヴィルサラーゼ Eliso Virsaladze (ピアノ)

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調 K.333
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57「熱情」
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付き」
シューマン:謝肉祭 op.9

* アンコール
ショパン:マズルカop.34-1
シューマン/リスト:春の夜
ショパン:ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」

エリソ・ヴィルサラーゼの名を知ったのはいつのことだったろう。筆者の子ども時代は折しも神童ブーム、ブーニンやキーシンなどを輩出したモスクワ音楽院の“スターシステム”に由来する情報のどこかにその名が含まれていたのかもしれない。さて、日本に住んで長く、スポイルされた感も否めないブーニンだが、その祖父はゲインリッヒ・ネイガウス。エリソ・ヴィルサラーゼの師のひとりにあたる。このネイガウスのメソッドは相当厳格であり、「演奏中にむやみに身体を動かしてはならない」という項目が重要事項として含まれていた。師の教えが、今やすっかり大家となった現在のヴィルサラーゼの特性にどの程度の影響力を保っているのかはわからぬが、この日繰り広げられた快演を貫いていた鉄壁ともいえる安定性の鍵は、若年期に叩きこまれた身体使いに拠るところが大きいかもしれない、と思ったりした。

とにかくどっしりと構えられた体幹は、演奏中動かない。抜群の安定感のもとに、二手からはニュアンスに富んだ様々な音色がこぼれ出る。柔軟な手首の動きが、すべてのエネルギーを巧妙に配分してゆく。休憩を挟んで配されたふたつのモーツァルトのソナタは、まさに羽が鍵盤を撫でるがごとき軽妙なタッチながら、ホールの空気と融和してしっとりと聴覚を満たしてゆく。変幻自在な音色の変化、玉(ぎょく)のように磨きぬかれたパッセージの数々、その動性の極みはしかしながら、盤石の揺るぎなさと共生するのだ。一粒一粒の音色の曳きが、軌跡をのこしては消えてゆく。あたかも淡雪のような味わいである。どことなくメランコリックな響きを備えたその音色は、有限であるからこその生の輝きと確信にみちている。

ベートーヴェンの「熱情」でもアグレッシヴさを前面に出すことはなく、ひとえに音色のクオリティでもって音楽を締めあげ、強度を高めてゆく。女性らしい緻密な弾き込みのなかに、全楽章を大局的に捉える、計算し尽くされた重力配分があくまでも自然にたゆたう貫禄の構成力。当初は、第1楽章のアレグロ・アッサイが比較的大人しめに感じられるのだが、すべては終章のプレストで頂点を迎えるための伏線である。その起爆力、全楽章をひとつの連続性として通底させるスケールの大きさにうなる。

シューマンはヴィルサラーゼの美質を表するにはうってつけの作曲家であることは今更言うまでもない。とりわけ『謝肉祭』のような、万華鏡のようにモチーフが変化する作品にこそ、その包容力豊かな表現力、スパイスに富んだニュアンスづけ、メリハリの効いたスピード感覚などが一気に花開く。エリソ・ヴィルサラーゼの音楽性はあまりに壮大であり、いかな大曲においても、彼女の世界の一断片を切り取られて見せられたにすぎないような錯覚に陥る。楽曲に対してあくまで黒子に徹しながらも、そこから独立した音楽空間を同時に想像させる演奏家も珍しい。海原のような深く広大な音楽、ゆえにじわじわと寄せてくるその怖しさも含め、芸術家としての女性らしさ、の極北を見る思いがする(*文中敬称略)。

伏谷佳代 Kayo Fushiya
1975年仙台市生まれ。早稲田大学卒。現在、多国語翻通訳/美術品取扱業。欧州滞在時にジャズを中心とした多くの音楽シーンに親しむ。趣味は言語習得にからめての異文化音楽探求。JazzTokyo誌ではこれまでに先鋭ジャズの新譜紹介のほか、鍵盤楽器を中心にジャンルによらず多くのライヴ・レポートを執筆。

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