MONTHRY EDITORIAL02

Vol.37 | 音楽の美しさ、についてText and illustration by Mariko OKAYAMA


 「その時、バッハが来た。」 2000年5月25日に書かれた吉田秀和の『音楽展望』のこの一句を、私は忘れない。このエッセイの言葉の連なりの背後には、何か空漠とした想念が漂っていた。『不条理と秩序』と題された文章のなかほどにあるこの一句は、その空漠を突き破って、鳴り響く魂の言葉と思えたのだ。氏が、愛する伴侶バルバラ夫人を病で失うのはその3年後、2003年のことである。
 このエッセイから、いくつかを摘んで紹介したい。サルトルらの実存主義関連の本で読んだ「人間は不条理の世界に投げ込まれた存在である」という言葉が、最近しきりと思い出される、という一文からはじまり、少年が起こしたバスでの殺傷事件や、電車の脱線による死傷者、不治の病の突然の宣告といった事柄に触れつつ、氏は「不条理は<普通の世界>のどこかにぽっかりあいた穴みたいなものなのか。」と問いかける。そうして「死や不幸といった<マイナス>だけが不条理なのではなく、その逆の<プラス>--私たちが願い、それを楽しんでいる状態--だって、どうして他人が殺されたのに自分は幸せでいられるのか、自分はそれに値する何をしたかと考える時、そこに条理が見出されるだろうか?」とも、問いかける。そうして「何と空しいことだろう!」と嘆息する氏は、「この考えに取り憑かれ、心は閉ざされ、何十年もなりわいとしてきた音楽をきくための窓を開ける気力もないまま時を過ごしていた。」と続ける。さらに、「神学者バルトは<私にとって死とはモーツァルトがきけなくなることだ>と言ったが、そのモーツァルトも明るすぎ悲しすぎてとてもきかれない。ヴェーベルンもスティーヴ・ライヒも煩わしい。
 その時、バッハが来た。」
 氏の閉ざされた窓を開けたのは、バッハだったのだ。さらに引用しよう。
「それも『マタイ受難曲』やカンタータの類いではなく、まず『平均律クラヴィーア曲集』全二巻。これをききだして、私はこの不条理の世界にも何かの秩序がありうるのではないかという気がしてきた。その秩序がどういうものかはわからない。きいたあとは、不条理、無意味の苦い思いは消えずに戻ってくる。---」「『平均律』の幾つか--第一巻のハ長調、嬰ハ短調、変ホ短調の前奏曲とフーガなどは静かに燃える蝋燭の炎のようだし、ほかにも軽くゆれながら熱よりも澄んだ明かりを運んでくるような曲とか、変ロ短調の曲みたいに慰めか祈りの声が聞こえてくるものもある。」
 長い引用をお許しいただきたい。私は自分の想いを、氏の言葉に託すほかないからだ。
これほど見事に、人間にとっての音楽の美しさ、人間にとっての音楽の必然を語ることは不可能だからだ。
 2000年当時、私はこの一句に氏の批評家としての魂の響きを聴いたが、今は何よりそこに「バッハが来た」ことに、激しく撃たれる。音楽は、美しくなければいけない。その美しさは、明澄に、混沌から響き立つものでなければならない。この世の幸不幸のすべてを見通したうえで、整然たる因果の編み目(秩序)を眼前に拓くものでなければならない。一方で、幸不幸にかき乱される人間の情動に、静かに寄り添うものでなければならない。その最たる美は、バッハにある、というのが、現在の私の実感なのだ。入院中、私が食堂でそっと弾いたのが、バッハの『平均律』だったのは、偶然ではなかろう。

 解剖学者養老孟司と作曲家久石譲の対談集『耳で考える--脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21)で、養老氏は耳の持つ論理性を「百聞は一見に如かず」から説いている。目が「見たらわかる」であるのに対し、耳は筋道を立て諄々と説いてはじめてものごとを了解する。耳はすなわち論理そのものだと。証明が順繰り(因果の鎖)になるのが論理だが、耳は時間の中を単線的にきちんと動く。したがって音楽は論理であると。久石氏は、一般に情動的と思われる音楽に、むしろ論理性の高さを強調するのだが、養老氏はそれを聴覚系の持つ論理性と直結するものとして説明している。

 


 バッハの音楽は、この論理性の結晶と言って良い。前奏曲にせよ、フーガにせよ、そこに立ち現れる技法の明晰は、建築に例えられる。吉田氏は、モーツァルトにもウェーベルンにも心の窓を開けなかった。優し過ぎ、悲し過ぎ、怜悧すぎ・・・などなど、つまり、なんらかの余剰は、場合によっては鬱陶しい。人が心身の深い闇の淵の間際に立たされたとき、それを覗きこみ、吸い込まれそうになったとき、この世の不条理に痛切に心身をえぐられた時、それらの音楽は押し付けがましく聞こえさえするのだ。
 例えば、入院時、涙に溺れた私に聞こえたのはショパンの『ノクターン』だったが、それは自分のなかの情動に連鎖したものであったと今は思う。神がアダム(人/男)を創ったとき、まだその孤独が足りないとイヴ(女)を創った話のように、『ノクターン』ではまだ不足であることは、流した涙が知っている。バッハに至るのは、それらの情動、よけいなエモーションを削ぎ落とした明晰、明澄さを欲して初めてである、と言ったら、あまりに乱暴だろうか。それを「<秩序の存在>を感じさす。」と吉田氏は言う。であれば、メンデルスゾーンがバッハを発見したのは、「傷む心」の果てであったのではなかろうか。(前回のカデンツァ)をお読みいただければ、と思う)

 久石氏の「いい音楽とは何か」という問いに答える養老氏の言葉も興味深い。それは自分にもわからない、と言いつつ、一つだけ、いいといわれるものには「持続的である」という要素が入っていると語る。「その場限りのものはやっぱりよくない。どのくらい尾を引くか、というところが大事なんじゃないかな。」と。さらに、脳みその中で、ピンボールのように長時間、跳ねるのをキープできる、そんなイメージだとも。
 さて、バッハはどうだろう? 少なくとも『平均律』にあるのは、ピンボールのように跳ね続ける音の運動性と持続にある。一方、たとえば『2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043』第2楽章での絡み合う歌謡性は、いつまでも心のなかで歌が尾を引く。では、ショパンは? ショパンの『ノクターン』にあるのは、持続する歌、尾を引くメロディ・ラインで、それは心身の情動にそっと寄り添う。一方、彼の音楽にバッハのように容易に見て取れる(聴き取れる)論理性がないとしても、彼なりの論理があるのは、やはり『前奏曲集』や『エチュード』を聴けばわかることだ。
 おそらく、優れた音楽には論理と情動の両面がバランスよく備わり、聴き手の琴線を震えさせる。「その時、バッハが来た。」しかも、『平均律』に、と告げる吉田氏の言葉は、漆黒の闇からこの世を振り返るに必要な明晰な美(秩序の存在)への信頼が、もしくは人間(音楽)への信頼がそこにあることを伝える。混沌の闇に身を投げ、狂気の淵に沈んだシューマンが、ショパンの天才を発見したのは、「傷む心」(情動)への共震であったのでもあろうが、おそらく両者とも自己の論理をうべなうほどに、秩序というもの、あるいは人間というものを本当には信じることができなかった、あるいは全うすることができなかったのではないか。シューマンにせよ、ショパンにせよ、その早すぎる死は、そのことを語っている気がする。ショパン演奏の難しさは、情緒のみに解消されない硬質な論理にあり、しかもそれは、どんなに凝視しても容易には見えないものなのだ。シューマンはそのことをも見抜いていたろう。

 音楽は美しくなければいけない。美しいとは、誰かを幸福にすることだ。あるいは誰かに寄り添うことだ。バッハが、吉田氏の窓を開けたように。そう考えてみると、現代はなんと自己本位な音楽に満ちていることだろう。混沌のままを投げ出して、自己耽溺にれんれんとする。
 そんなことを考えていたら、昨年末の朝日新聞で、坂本龍一が細野晴臣と、コンサートの帰り道、くちずさんでもらえるような曲が一つでも書けたら本望だね、と言いあっている、との坂本の言葉が載っていた。
 音楽はそのように、平易で美しくなければ、音楽ではないのだ。現代のビッグスターが、未だにそれを手にしていない、との自己認識を持つのなら、音楽の今後はまんざらでもないのかも知れない。(1月10日記)

丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

WEB shoppingJT jungle tomato

FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


Copyright (C) 2004-2015 JAZZTOKYO.
ALL RIGHTS RESERVED.