Vol.37 | サキソフォン物語 text by Masahiko YUH

 ブランフォード・マルサリスはデビュー直後の80年秋、ジャズ・メッセンジャーズでアルトを吹いていた時期があった。まだバークリー音大に在学中の21歳になったばかりのころである。ところが翌81年7月、弟のウィントンのグループの1員としてフェスティヴァル(ライヴ・アンダー・ザ・スカイ)出演のため初来日したときの彼は、すでにれっきとしたテナー・サックス奏者だった。アルトからテナーにスウィッチしたのは、「君のアルトは高い音域を全然使っていない。それだったらテナーで間に合っちゃう。テナーにしろよ」と勧める弟ウィントンの一言に納得したからだった。
 今では誰でも知っているこんなエピソードで始まるマイケル・シーゲルの著書は、ライターとして名を馳せながらアマチュアのドラマーでサックス奏者としてもレッスンを受けつつ時おり演奏することもあり、それゆえジャズ・ミュージシャンの知り合いも少なくないという彼のある種の道楽本かもしれない、といった警戒心が脳裏をかすめた。ところが、「序章」と「エピソード」の14ページを繰っているうちに退屈してきた私の目が、14ページ目の最後の1行に引き寄せられた。「サキソフォンは厄介ごとや苦しみ、悲しみのもとなんだ。スタン・ゲッツの身に起きたことを忘れるな。発明者の身に起きたことを忘れるな」。
 「サキソフォンのとりこになった演奏家の多くが心を蝕まれてきた。スタン・ゲッツはその典型だ。アルコールに依存し、麻薬を常用し、ひとをだまし、税金をごまかし、妻に暴力をふるって、あげくは二度も自殺をはかった。いっぽうではバラードの名手で、“しあわせな気分で家路につける”と形容された独特の音をもっている」とシーゲルは書く。「なぜ、主要楽器としてはいちばん遅くつくられたものがこれほど速く世界じゅうに受け入れられたのか。ロングトーンのひと吹きから、ひとはサキソフォンの不思議な力に包みこまれ、呑みこまれてしまう。そして、説明がつかない入信のような契約を結ぶことになる。とことんアドルフ教団への忠誠を誓って、サックスの声の代弁者となる」と、序を結ぶ。サックスとは生みの親、すなわち“発明者”アドルフ・サックスのこと。この数行で引き返せなくなった。

 それにしても、この『サキソフォン物語』(諸岡敏行訳/青土社)には、読み進むうち目から鱗が落ちる思いを幾度も味わった。何といっても数奇な人生を送ったというアドルフ・サックスの生涯、それとクラシックの世界におけるサックスの歴史と主導的地位に登り詰めて活躍したサックス演奏家の系譜、それ以上に好奇心を煽った話が排斥され続けたサックスの歴史やこの楽器をめぐるクラシック界とジャズ/ポピュラー界の確執。ジャズはいうまでもなく、ポピュラー音楽では無くてはならぬサキソフォン(サックス)がある時期、熱烈な愛好家や支持者を生む一方で、悪魔の楽器としてかくも蔑(さげす)まれ爪弾(つまはじ)きされる憂き目を見なければならなかったのはなぜか。凄いドラマがあったものだ。ほかの楽器では恐らくは想像もできない波瀾万丈の歴史に、目を洗われる思いを味わう人が少なくないのではあるまいか。
 本書の原題は『悪魔の角笛』。日本での副題は「悪魔の角笛からジャズの花形へ」で、米国での副題「サキソフォンの歴史物語=騒々しいきわもの楽器から、クールな主役へ」と大差ない。アドルフ・サックス(1814〜94)の生い立ちと数奇な半生にアプローチした「死神に愛された子」に始まり、著者自身の日記風な8篇の短い<エピソード>をクッションとして挟みながら、サックスがどのような変遷を経て現代の音楽になくてはならぬ楽器となっていったかをドラマティックに綴っていく。そのために著者がどのくらい辛抱強くかつ丹念に一次資料の発掘と収集に当たり、かつサックス演奏の第一人者やサックス工房の専門家にアプローチしていかに貴重な話を引き出しえたかということには、ほとほと感心させられた。
 アドルフ・サックスが形状も音自体も従来の管楽器とはまったく違う楽器を世に出したのは1842年ごろのことらしい。このころまでに当代屈指の楽器職人として、たとえば演奏が難しいと敬遠されがちだったバスクラを見事に再生させるなど評判を高めていた楽器職人だったが、彼には交響楽団と軍楽隊の双方でサキソフォンを花形楽器に仕立て上げたいという野心があり、シーゲルによればそのためベルリオーズを筆頭に当時パリの音楽界で盛名を馳せていた作曲家や楽界の重鎮に接触し、サキソフォンを売り込んだという。この熱心な説得に進んで呼応したのが、「幻想交響曲」で名高いベルリオーズだった。

 もう50年以上も前にベルリオーズの聞こえの高い「指揮法」の邦訳されたばかりの本を買って読んだことを思い出したが、「管弦楽法」の書もある当時オーケストレーションの名うての達人だった彼は、自身が担当していた高級誌のコラムの中でこの新しい楽器を「ル・サキソフォン」と呼び、「若き天才を全面的に持ち上げ」(著者)た。そればかりか、「高域の音には苦しみや悲しみの響きがある。低い音は逆に荘厳なもので、ミサを思わせる。サキソフォンは今日知られているどんな低音楽器よりも美しく聞こえる」(同)とまで激賞した。そんな彼がこの楽器を用いた例が『ファウストの劫罰』の譜面にあるという。ラヴェルの『ボレロ』やムソルグスキーのピアノ曲をオーケストラ化した『展覧会の絵』、ビゼーの『アルルの女』、ラフマニノフの『交響的舞曲』など私たちがよく知るサックスを用いた楽曲は19世紀半ばを過ぎると数を増す。ドビュッシー、イベール、グラズノフらはサックスの協奏曲まで書いた。にもかかわらず、サックスがオーケストラの中に常時組み込まれることはついになかった。
 生みの親の熱心な運動にもかかわらず、サックスがヨーロッパのオーケストラ(交響楽団)に組み入れられなかったのは、ひとつには西洋音楽の歴史的変遷の中で整えられていった楽器編成が望ましい洗練と完成美を獲得したことで、新参楽器が割って入る余地がもはやなかったからかもしれない。ロマン派時代の二管編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットが各2人。この木管が各3人になった三管編成が今日のスタンダードだが、ワーグナーの全盛期には四管編成にまで発展し、ホルンを倍の8人にまで拡大するなど一種の編成破壊にまで進み、マーラー、リヒヤルト・シュトラウス、ストラヴィンスキーらは多くをこの編成で作曲した。しかし、それ以上に、サックスが木管群の仲間に入るには、余りにもそのサウンドが従来の木管とは違い過ぎたことが大きかったに違いない。サックスの隠し持つ「人間の姿をぎりぎりの状況で表現する力」(著者)がアンサンブルの中では突出する恐れがある。ヨーロッパのオーケストラでは、これは遺棄すべき要素となる。サックスは粗野で下品な音から優雅で繊細な音を表出する能力を持つが、サックスを特徴づけるこのスケール豊かな表現の振幅性がかえって逆にヨーロッパ音楽の美の規範を逸脱しかねない。「売春婦のようにも処女のようにも聞こえる」(著者)ようでは困るのである。よく金管は男性的で木管は女性的といわれるが、サックスはどちらか一方に組さない。強いていえばまさに両性具有の楽器であり、そこに道徳的堕落を嗅ぎ取ったヒトラーのナチスにいたってはサックス演奏を禁止したという。モダン・ジャズ黄金時代の50年代末ですら、ヨーロッパのある芸術大国では地位も名誉もある人が隠れてサックスを吹いていることが公になったら大きなスキャンダルになることがあったと、本書の中にこんな嘘みたいなエピソードすらでてくる。

 サックスといえば現代では何といってもジャズ、それに R&B やソウルなどのアメリカのブラック・ミュージック。米国でサックスが表舞台に登場するのはシーゲルによれば1853年のことらしいが、それはヨーロッパから持ち込まれた今日でいうブラスバンドとか吹奏楽団がサックス奏者を1人、2人と抱え出すようになったからである(合衆国海兵隊の音楽隊が最初に組織されたのは18 世紀の終わりごろ)。米国ほど吹奏楽団人気が短期間に広がり浸透した国や地域はない。大学と軍隊が中心で、時に大学のブラスバンドと軍楽隊は連携しあいながら二人三脚で吹奏楽団を発展させた。ヨーロッパのいわゆるマーチング・バンドが金管楽器によるブラス主体でサックスを度外視したのに対して、米国ではサックスの魅力に触れる機会が少なくなかった背景もある。フランスから訪米したバンドに当時きってのサックス演奏アンリ・ウィルがいたというのはその一例。ウィルはサックスの驚くべき魅力を米国人に初めて伝えた人として名が通っている。また、南北戦争が始まって、金管楽器への偏愛に終止符が打たれたことも決定的な要因だったように見える。ブラスバンドにサックスが顔を見せ始めるのはこのころからのようだ。サックスの能力と魅力を活かしたバンドの主宰者(指揮者)としてはパトリック・ギルモアがあげられるが、北軍を鼓舞したギルモア楽団は一方の南軍の楽団と時おり「戦闘後の小競りあいを楽しんだ」などという一節に触れると、南北戦争とはもしや勝敗を度外視した戦いだったのではないかと思っても不思議はあるまい。リー将軍の南軍楽団が「ディキシー」や「マイ・メリーランド」を演奏すれば、北軍側のギルモア楽団が「アメリカ」や「ザ・スター・スパングルド・バナー」で張り合ったとは、ね。戦争勃発の年には「3万近い演奏家が北軍に応募していて、そのうちの半数はバンドマンだった」というから、米国がジャズやポップ音楽の大国となるのは恐らく約束されたことだったのだろう。
 この本によると、「1910年代の終わりには何百ものバンドがサキソフォンだけの吹奏楽団に特化し、4本から100本の大小の規模で活動していた」とある。いやはや驚いた。実際、シドニー・ベシェは幼いころからクラリネットを習い、17 年にはシカゴへ出、クラやソプラノを吹いて生活費を稼いでいた。またフレッチャー・ヘンダーソンやエリントンも 20年代に入るとバンド活動を本格化させるという、そんなころに、サックスだけの吹奏楽団、それも厖大な規模のバンドが活動していたというのだから目を丸くしない方が不思議というものだろう。その数行あとには、「ときにはサキソフォンを吹けるかどうかが新規採用の条件にもなった」ともある。「炭坑夫、裁断師または理髪師のサキソフォン奏者求む」という求人広告もあったそうだ。

 南北戦争終了後 20年ほど経った1886 年、今日でも全米屈指の力を誇示する歴史的吹奏楽団バデュー大学オール・アメリカン・マーチングバンドが発足し、以後米国ブラスバンドの礎を形成していくことになる。やがてサックス演奏を含んだ数々のバンド、中でも<コンサートバンドの父>といわれるパトリック・ギルモア楽団の活躍などで、ミンストレル・ショーやヴォードヴィルなどの娯楽文化の誕生と発展が始まり、直後にダンス楽団の歴史が花開く。ギルモアの死後に楽団を引き継いだジョン・フィリップ・スーザは「星条旗よ永遠なれ」など数多の行進曲を書く一方、バンドを最高水準のレベルにまで引き上げた。かのリヒヤルト・シュトラウスの交響詩の多くを米国初演したのがこのバンドで、作曲者自身が絶賛したほどだったと知れば、いかにスーザのペンとバンドの演奏能力が桁外れだったかということだ。その間にはエタ・モーガンという女性初のサックス奏者や黒人女性で初のサックス・ソロをとったというエルシー・ホフマンが脚光を集めたというエピソードも。世紀の変わり目にはラグタイムの録音も残したというサックスだけのシックス・ブラウン・ブラザーズ、サックス・デュエットで評判のスミスとホームズがバンジョーを加えて結成したスリー・ミュージカル・カウボーイズ、そして一世を風靡したというルディ・ヴィーデフトの活躍。ここまでくれば、次はもうヘンダーソンやエリントンらの時代であり、米国のブラスバンド史とジャズが不可分に連動していることに思いいたる。
 ここまで本書を追いながら、ジャズが誕生する前に、徐々にポピュラーな楽器となって人気を博していった米国におけるサックスの受容の在りようを眺めてきた。ことに、最後のヴィーデフトは大ヒットしたワルツ曲「ヴァルス・エリカ」などSPレコードをかなり残しているそうだし、機会があったらぜひ聴いてみたい。彼はジャズ畑の人ではなかったが、彼が開発したグリッサンド奏法やフラッター・タンギングなどの技法はジャズの演奏家に受け継がれていったという。シーゲルによれば、チャーリー・パーカーも彼の奏法を学んだそうだし、オットー・ハードウィックなどは20年代半ばに当時在籍したエリントン楽団で彼そのもののソロを録音に残しているといい、そうと知ったらなおのこと彼のサックスを聴いてみたくなる。

 とにかく本書のサキソフォンの歴史は私には知らないことばかりで、まさに開眼させられた。サックスの歴史の興味がおありの方はぜひ一読されることをお勧めする。
 なお、本書はサックスという楽器の発展史や受容史だけで終わっているわけではない。中でも現代の代表的サックス奏者であるジョー・ロヴァーノ、イリノイ・ジャケー(2004年に死去)、デイヴ・リーブマン、あるいは現代クラシック・サックス界のトップ演奏家らとの会見記を綴った数章は、数え切れないほどの現代ジャズ界のサックス奏者、収集家や楽器製造者、作曲家や作品のエピソードとか対話を織り込んでいて、こちらも興味が尽きない。過去の偉大なミュージシャンにまつわる逸話や思い出話も多いが、最後に私が心をつかれたチャーリー・パーカーのエピソードを紹介する。このエピソードはニューヨークの交響楽団で主席クラリネットだったジミー・アベイトの話を綴った「未来の楽器」なる項に出てくる。アベイトはまた隠れた名サックス奏者でもあった。彼はニューヨーク州立大学ポツダム校のクレイン音楽学校でサキソフォン教室の教授もかねながら、生徒たちの個人指導に当たっていたが、そのレッスン時のエピソードだ。その練習スタジオの隣の部屋をよく借りた人が実はチャーリー・パーカーだったという書き出しから始まる。
 「ある日,誰かがドアを叩いた。パーカーだ。『アベイトさん、私も入れてもらえませんか』。私はいった。『どうぞ』。レッスンのあとジム&アンディーズというレストラン・バーへ行った。私たちはカウンターに座って話し込んだ。するといきなりパーカーが泣き出して、目から涙がこぼれ落ちた。『私はきっと、若いサキソフォン奏者をおおぜい傷つけたんだ』。『何をいうんです。あなたはサキソフォンの神様だ』。『いいや、私は自分の吹く音が好きだったことなんて、一度もない。若い子は私のレコードを聴いて、サキソフォンはこの音じゃなきゃと思ったはずだ』。パーカーは自分がしていることは好きだったが、自分の音は好きではなくて、あらゆる世代のサキソフォン奏者に悪影響を与えたと思っていた」(本書より)。(2010年10月31日)

悠 雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
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