MONTHRY EDITORIAL02

Vol.38 | 現代音楽の行方 Text and illustration by Mariko OKAYAMA


 レコード・プロデューサー井阪紘と作曲家西村朗の対談『音楽の生まれるときーーー作曲と演奏の現場』(春秋社)の中程にジャズについての話があり、穐吉敏子とのレコーディングのいきさつが語られている。西村は日本人としてのアイデンティティを保ちながら、どうやってジャズで彼女が評価を得たのかを聞く。井阪は穐吉の演奏との最初の出会いが、西銀座のジャズ・クラブで彼女のコージー・カルテットに渡辺貞夫が一緒に出ているのを聴きに行った時であること、レコードを出すにあたっての当時のビクターでの孤軍奮闘ぶりを披露しつつ、バド・パウェルのコピーから穐吉独自のジャズの方法論へと転換してゆく地点を『孤軍』の中に見たと語っている。また、日本的なイディオムをジャズに持ち込み、それまでのジャズにない言葉を使ったのが、彼女の成功の要因であるとも。それは今では誰もが了解している事だが、共に歩んだ井阪の当時におけるその視点は、やはり鋭いと言えよう。氏が彼女の作品として最も好きなのが、満州からの引き上げ体験をもととした『ロング・イエロー・ロード』だ、というのも頷ける。音楽領域に限らず、満州体験世代(西欧との接点と植民地感覚を幼少期に「肌」で知った人々)が今日の日本の文化の一つの土台になっている、というのは私の持論でもあるから。

 作曲家である西村が、日本人としての穐吉のアイデンティティを聞きたがったのは、むろん、彼もまた同じ問題を抱えているからだ。この本の後半における現代音楽についての両者の対話は、その意味で興味深い。
 西村が作曲家を志したのは中学生時代。1967~68年で、そのころから現代音楽がどんどんレコード化されて甚大な影響を受けたという。井阪が『三善晃の音楽』という三善作品を集大成するプロジェクトを始動させたのが69~70年のこと。分厚いブックレットには師である池内友次郎、評論家中島健蔵、遠山一行ら錚々たるメンバーが名を連ねている。この時期は現代音楽がスポンサーの理解もとりつけての(いわゆるメセナ)大掛かりなイヴェント、作品集のレコード化など、華やかなシーンを展開していた、おそらく現代音楽の最もバブリーな季節だったと言える。西村はそのバブルの恩恵を蒙りつつ、そうした先人たちの仕事を、西欧のコピーの時代と位置づけ、安易なアジアの伝統への回帰を否定する。武満の『ノヴェンバー・ステップス』(1967/琵琶、尺八とオーケストラのための)は、成功を約束された即効性のあるチョイスであって、恥ずかしいことだ、とも西村は言っている。西欧のコピーでもなく、お手軽なエキゾティシズムでもないオリジナルな方法論をどのように持つか、と彼らの世代が模索するのは自然な成り行きである。が、その結果は、と言うと、西村以降の世代をも含め、いささか心もとないというのが私の率直な感想だ。
 禅に影響を受けたケージ的路線が日本の当時の前衛の一派となる一方で、伊福部昭や間宮芳生といった人々が一連の民族主義的傾向を展開していった時代。それを眼前にしつつ、自らの方法論を模索した西村は、自身のオリジナリティを日本文化の古層に求め、シルクロードから流れ込んできたアジア全域の文化の混在たる万華鏡的世界の反映であると語っている。万華鏡とは、曼荼羅世界に他ならず、神秘主義的色彩を帯びた密教系世界観の音響化と言ってもよい。「混沌から一つの形を成すようなダイナミズム」たる西村の「ヘテロフォニー」がここに登場するわけだ。が、武満徹、黛敏郎、湯浅譲二らの前世代からは距離をおくにしても、自身のオリジナリティをアジアに見出す点では同類と言えよう。それが単なるエキゾティシズムに終わるかどうかは、今後の彼の仕事にかかっていると私は思う。
 「西村さん? ああ、例のヘテロフォニーね。」となってしまうのは作曲家にとってはキツイことだろう。例えばの話、「バッハ? ああ、フーガの技法ね。」と同時代の聴衆が言ったかどうかわからないが、教会オルガニストとしての即興演奏の破天荒ぶりは、ミサに集まる信者たちの度肝を抜きすぎて、評判は芳しくなかったようだ。が、日常的に音楽していたその引き出しの多さは、無類であったに違いない。これは、作曲と演奏とが完全に分離する以前の時代の音楽のありようで、今日とはむろん異なるが。
 ちなみに私は西村の音楽の魅力は、混沌からのヘテロフォニーうんぬんではなく、関西のボケとツッコミの呼吸による職人芸と見ているのは、このコラムのvol.14「北京と草津のフォームの話」に書いた通り。

 


 現代音楽のバブリーな時代は、二度と戻っては来ないだろう。ディスクも新たな媒体に とって変わられつつある。いったい作曲家は、何のために、誰のために書くのか? 多くの場合「難しい、訳わからない」か「発想はキャッチーで面白いけど、また聴きたいとは思わない」のどちらかで、「何度も聴きたい作品だ」という評価を得るのはごくわずか、というのが現状だ。独善か、ポピュリズムか。それが今日の日本の現代音楽と言ってよかろう。
 よって、この際、バッハの時代(あるいはそれ以前)のように、作曲家たるもの、思い切って、自作自演でゆく(指揮などもふくめ)、というありかたに戻ってみたらどうだろう。教会も宮廷もなく、市民の嗜好、贅沢、消耗品、もしくは単なる情報のパッチワークと成り果てた音楽を、人間にとっての本来の必需品とするには、自ら吟遊詩人となることが有効ではあるまいか。そういうライブを積み重ねるクラシックの現代作曲家や演奏家集団が、もっと日本に居てもよかろうに(わずかだが、すでに存在することは確かだが)。そうして、そういうライブをディスクに残すプロのプロデューサーが居てもよかろうに、とも。いわば、クラシックのインディーズで、むしろそういう方向に、現代音楽も活路を見出せるのではないか?
 自分の手の届く範囲内で、自分の生の声を発信してゆくこと。そこでの淘汰こそが、必需品としての音楽を生み出してゆくのではないか。現代音楽のクラシック・シーンは、お友達同士で、つつましく、いささか哀しく、わずかな聴衆を前に自作を披露しているのが現実で、西村のように、世界一流の演奏家によって演奏され、CD化されるような恵まれた作曲家は数えるほど・・・たぶん、彼の世代とそれ以降を見るなら、五指に満たないだろう。しかも大掛かりな作品初演、再演の背後には種々の思惑の蠢きがあるのは、まあ、「〜〜賞」などのお約束事と似たようなものだ。結果、「また聴きたい」作品がなかなか出てこない。この種の権威主義、あるいは派閥構造に今なおしがみつく作曲家たち。若者たちよ、敢然と立て!自分の歌いたい歌を怖じけず堂々と歌え!と私などは思うのだが、どうもそういう生きのよい素材はあまり見当たらない。だから・・・演歌がかつてギター抱えた渡り鳥だったように(昨今の凋落ぶりは年末のNHK紅白メンバーを見ても明らかだ)、自ら「流し」をし、全国を回ったらよいのではないか? アカデミズム、権威主義から飛び出し、街から街へと自作を流し歩く、吟遊詩人になるべし。
 と、まあ、そんなことを西村、井阪の対談から考えたことであった。
 それともう一つ気になったこと。井阪は「レコードは編集の芸術」と発言している。確 かに、テイクを何度も繰り返し、演奏のベスト・シーンをつないで、最高のものを創るのは創造的な作業と思うが、どのみち、形になったものを再生する装置が必須だ。再生装置の善し悪しによって、演奏はどうにでもなってしまう、という素朴な疑念が私には常にある。さて、そこから生身の人間の息吹が届くだろうか? 廉価の再生装置しか持たない聴衆(私もその部類)に、何が、どこまで伝わるのか? オペラハウスの天井桟敷席でオペラ評が書けるか、と言うのも、似たような問題ではあろうけれど。この件については菅野沖彦『新レコード演奏家論』(ステレオサウンド)が一つの答えを示してくれるが、それはまた改めて、とする。
 かつての古い音盤をシャーシャー雑音入りで聴くところにこそ醍醐味がある、という人々もいれば、常に耳元で好きな音楽を流し聴きする若者たちもいる。そのような雑多な聴衆を想定せねばならない今日の作曲家、音楽家、プロデューサーたちは、音楽の今後をどう考えているのだろう。むろんそれは他人事ではなく、私自身への問いでもあるのだが・・・。

丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
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