Vol.9 | サインホ・ナムチュラク@トータル・ミュージック・ミーティング2006
Sainkho Namchylak @Total Music Meeting 2006
Photo by 横井一江/(c) Kazue YOKOI

1990年ごろのことだから、20年も前のことである。
友人の友人のドイツ人宅である録音を聴かされた。耳にしたことのないサウンドである。そのドイツ人曰く、モンゴルの伝統的な音楽には倍音唱法があって、その唱法を用いるのは男性歌手なのだが、若い女性でそれをやる人がいる、という。ドイツ人が聴かせてくれたのはその若い女性のヴォイスだったのである。当時はホーメイ、ホーミーも一般的にはまったく知られていなかった。私もご多分にもれず、モンゴルの伝統的な唱法にもいろいろあって、さらに地域によっても異なっている、などということはその少し後になってから知ったのである。
それからほどなくして、アルハンゲリスク・ジャズ祭でサインホ・ナムチュラクのステージを観たジャズ評論家の副島輝人氏から彼女の素晴らしさを聞かされた。ドイツのジャズ雑誌『ジャズ・ポディウム』1989年12月号にサインホの記事が大きく掲載されたということもまた少し後で知った。点と点が結びつく。その女性歌手はサインホ・ナムチュラクだったのである。1992年には副島輝人氏が彼女を日本に招聘するが、ドイツでは一足先の1989年に彼女のツアーが行われていたのだった。ぺーター・コヴァルトの紹介で、ドイツのFMPから2枚のCD、コヴァルト、ブッチ・モリス、ヴェルナー・リュディとの共演盤『ホエン・サン・イズ・アウト, ユー・ドント・シー・スターズ』(90年、91年録音)とソロ『ロスト・リヴァース』(91年録音)が続けてリリースされ、即興音楽シーンでも驚きをもって迎え入れられる。ソビエト連邦が崩壊して間もない頃で、旧ソビエト連邦の芸術文化シーンにもなにかと視線が向かっていた時期でもあった。

 

サインホが即興音楽シーンに登場した時に、ディアマンダ・ギャラスを引き合いに出して語られることがあった。それは彼女にとって予想外なことだっただろう。伝統的な唱法をベースに自ら開発してきた表現方法とある種似通ったヴォイス・パフォーマンスをする女性がいたとは。しかし、西洋的な概念に支えられているギャラスと違い、サインホは東洋的な思考を持つ。たまたま時期的に異なるバックグラウンドを持つ二人の表現が近い場所にいただけのこと。深い亀裂の奥にある漆黒の闇から立ち上がってくるようなヴォイス、時として牙をむき出しにしたような攻撃性、破壊へ向かうようなエネルギーを表出するディモーニッシュな歌姫ギャラスに対して、澄んだ美しい声からまるで呪詛のようなサウンドまで、童女から老婆まで憑依したようにその表情を変えながら展開していくサインホのパフォーマンスは、東洋の女性の論理を強く知覚させるものだった。そしてまた、彼女にはモンゴル〜アジア的なものへこだわりがあった。それにはスターリニズムの下、民族文化を弾圧する政策によって故郷トゥヴァの伝統文化が失われていくのを目の当たりにしたこともあっただろう。
彼女に最初に会ったのは1992年東京である。その二年後、ベルリンのトータル・ミュージック・ミーティングで観た時のほうが、異境の地に居たせいだろうか、アジアの感性がひしと伝わってきたことを覚えている。その後も90年代は東京やドイツで彼女のパフォーマンスに接する機会があったものの、今世紀に入ってからはなかなか彼女を観る機会がないまま、時が過ぎていった。
随分と久しぶりにサインホと再会したのは、2006年のトータル・ミュージック・ミーティングである。たぶん8年ぶりか9年ぶりではなかっただろうか。その時は、ベースのウイリアム・パーカーとドラムスのハミッド・ドレイクとの共演だったが、あくまでも主役はサインホ。最近はエレクトロニクスを用いたりもしているが、その時はアコースティックだった。イマジナティヴな空間を創り出すヴォイス、その存在感は変わっていない。ステージが終わった後、カフェで言葉を交わした時に、「わたし、来年50歳になるのよ」という。トシをとったのは私も同じである。ふとその表情を見ながら、どこか瀬戸内寂聴に似てきたような気がしたのだった。もう随分と来日していないが、ノマドのようにあちこちのステージに立ち、元気に活動していることがわかって嬉しかった。今度はいつ会えるのか。彼女はノマドだから旅をしていれば、またいつかきっと。

横井一江:北海道帯広市生まれ。The Jazz Journalist Association会員。音楽専門誌等に執筆、 写真を提供。海外レポート、ヨーロッパの重鎮達の多くをはじめ、若手までインタビューを数多く手がける。 フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年〜2004年)。趣味は料理。

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FIVE by FIVE 注目の新譜


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追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
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#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
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オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
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