Vol.40 | インターネット時代の真ただ中で text by Masahiko YUH

 映画「ソーシャル・ネットワーク」を観た。昨年末、米「タイム」誌が<今年の人>に選んだことでも世界的な話題を呼んだ、「フェイスブック」の創始者マーク・ザッカーバーグの成功物語だ。監督はデイヴィッド・フィンチャーで、ザッカーバーグを演じたのはジェシー・アイゼンバーグ。成功物語とはいっても、古典的な立身出世物語ではないし、うだつのあがらない男が一攫千金を狙って行動を起こすといったノリでもない。ただ、私みたいにソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に人並み以上の関心を持たない人間からすると、いくら主人公のザッカーバーグが天才的なハッカーとはいえ、彼の起こした大学(名門ハーバード)内サイトが突然に大当たりし、あれよあれよという間に学内を席巻したあげく、ついには世界中のSNS利用者を引きつけて企業価値4兆円ともいわれる交流サイトにまで伸張した結果、その彼がネット史上最年少(26歳)の億万長者にまでのし上がったストーリーは、往年の「努力しないで出世する方法」の焼き直し、今風にいうならゼロ世代ヴァージョンのように見えたのも事実。テンポのいい話の進め方やスピーディーな場面転換といった監督、脚本、撮影スタッフの展開術に乗せられて一気に見終えさせるだけの充実感は確かにある。
 ところが、映画のつくりそのものは緻密なのに、重厚味がないのだ。どうしてだろうか。しばらくして、はたと気がついた。映画の中身の重厚味ではなく、ネット時代と呼ばれるこの時代そのものにかつての時代の重厚感がないせいだ、と。ひところの軽佻浮薄がこれに重なった。最近、日本でも大きくクローズアップされた「白熱教室」のマイケル・サンデル教授が教鞭を執る名門ハーバード大学の学生群像が、学業そっちのけでコンピューター操作に熱中し、ネット上に人と人との出会いの仲介サービスの開発に明け暮れる連中にのみ結びつけられるのは当人や監督はもとより誰の本意でもないだろうが、この重心に乏しい時代ゆえの人間模様としてみれば、ストーリーにまつわるやりきれないほどの薄っぺらな印象をもたらしたものの正体がいったい何なのかが分かる気がした。
 しかし今や、フェイスブックはザッカーバーグの手から飛び出し、すでに1人歩きをしている。オバマ大統領をはじめ世界のリーダーがこぞって使用し、米ホワイトハウスがサイト内に公式ページを開設したほか情報交換サービスは70ヶ国の言語に対応するまでに急拡大しているという。その結果、影響力は国や政府の存立を脅かすまでに及んでいることが明らかになった。明けてまもない1月から2月にかけてアフリカや中近東で起こった政変にしても、恐らくツィッターやフェイスブックなしにはこれほど劇的な形では起こりえなかったと多くの人が指摘する通り。
 それにしても、一国の独立国を倒すほどの爆発的影響力をもつフェイスブックやツィッターの威力を前にして、戦々恐々としているのは決してアフリカやアラブの権力者ばかりではないはずだ。少なくとも今度の場合、チュニジアに端を発した中東の抑圧的な強権体制への抗議デモの引き金となった直接的要因が、経済危機によってもたらされた食糧価格の異常な高騰や貧富の格差にあることはたとえ事実だとしても、秘密警察によって守られる強権的警察国家のもとで自由を制限され、一方的に物価高を押しつけられて貧困に喘いできたチュニジア国民の怒りがネット・サービスを通して全土に燃え広がったことで、民衆の怒りが連鎖的に爆発したことは間違いない。何という劇的な政変劇だろう。北アフリカのチュニジアは世界遺産のカルタゴの遺跡で知られ,ジャズ・ファンには故ディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」で馴染み深い。だが、ネットで検索すると、この国は報道の自由度ランキングが世界178ヶ国中164位で、自由にものが言えない警察国家だったことが分かる。その専制的な指導体制で国家を牛耳ってきたベンアリ大統領とその一家一族の腐敗を突いたのは暴露サイトの「ウィキ・リークス」だったし、その意味ではネットが直前まで誰も予想すらしえなかった革命をもたらしたといってよい。ネットが促進した世界のグローバル化が人間の予想や想像を遥かに超えた勢いで広まり、世界の情勢にまで風穴を開けつつあるということだ。かくして市民の手で成就したジャスミン革命は歴史に大きな1ページを印すことになった。
 チュニジアに端を発した革命はついにアラブの盟主エジプトを襲い、30年も続いた強権支配のムバラク政権を辞任に追いやった。伝えられるところでは、エジプトの場合はワエル・ゴネイムという1男性がフェイスブック上に立ちあげた「ハレド・サイード連隊」で呼びかけたデモが発端となり、これがユーチューブに転載されて一気に広まり、ゴネイムに呼応する新しいグループまで生まれるという盛り上がりのなか、覚醒した市民の力が連帯の推進力となった。これは、イランがこれら一連の動きを称えて言ったイスラム革命などではなく、インターネット革命、すなわちネットを通して目覚めた民衆の、自由にものが言える世の中を希求する意識が突如燃え広がった結果にほかならない。改革を求める民衆の叫びはチュニジア、エジプトからヨルダン、リビア、イェーメン、バーレーン等の中東諸国に広がり、この文を書いている時点で予断を許さぬ状況になっている。状勢は秒速の変化で推移する。参考までに、腐敗や汚職の透明度を調査・監視する国際NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」の順位(2010年10月発表)をネットでのぞくと、中近東やアフリカ諸国の多くは下位に集まっており、たとえばリビアやイェーメンは146位で、バーレーンは48位だ。ちなみに、最下位はソマリアだった。
 カセット・テープが王政を打倒するのに大きな役割を果たした79年のイラン革命、衛星テレビが人々に刻々と情報をもたらした89年の東欧革命から今回のインターネット革命へ。目もくらむような情報環境の進展と変化だ。むろんその間には、沖縄・尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視艇に中国漁船が衝突した映像流出(動画サイト)事件、あるいは大相撲の現役力士らが携帯電話のメール交換で八百長を演じるやりとりをしていたことが発覚した事件、近くは中国の盲人人権活動家、陳光誠の声と近況がユーチューブを通して伝えられ、自宅を大勢の人間から監視されている氏が電話はおろか携帯電話も当局から遮断されて誰とも話ができない状態に置かれている事実などが明らかになった。中国はエジプト情勢に強い関心を示す一方で、肝腎の革命成就に沸く市民の姿をまったく伝えていないという。何億という中国民衆が真に覚醒して立ち上がったときの恐怖が中国の政府当局者の頭にあるからだろう、といったら言い過ぎだろうか。だが、ネットの進展はとまらない。グローバル化の風波も好むと否とに関わらず凪(な)ぐことはない。

 日本ではツィッターやブログの花盛り状況に較べて、フェイスブックの広がりは欧米などの国々ほどには広がっていないと言われる。インターネットとは匿名で参加・利用する通信ツールで、FACEBOOK は実名交流サイトだから何となく薄気味悪いという妙な観念に縛られているせいかもしれない。
 余白がなくなってきた。最後に今年のグラミー賞の話題に移りたい。
 今年のように早く結果を知りたいというときは、インターネットはなるほどありがたい。グラモフォンに由来する「グラミー賞」はまさにレコード界のアカデミー賞で、全世界の音楽界の関心が集まる。それだけに規模も年々大きくなる。部門数ひとつとっても今回は109部門にまでふくらんだ。
 さて第53回の今年は、ソロで活動する日本のミュージシャンが4人も受賞した快挙に花が咲いた。松本孝弘(最優秀ポップ・インストルメンタル・アルバム賞)、ピアニストの内田光子(最優秀噐楽ソリスト演奏賞)、ポール・ウィンター・コンソート(最優秀ニューエイジ・アルバム賞)に参加した琴奏者の松山夕貴子、スタンリー・クラーク・バンド(最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞)での上原ひろみの4人もが受賞したというニュースは、衆愚政治と罵倒したいわが国の政府や与野党の体たらくにうんざりしていた人々の心をなごませ、予期せぬ喝采の的となった。しかし、実は4人の話題だけにとどまらない。兵庫在住の渡辺敏雄というミュージシャンがノミネートされたことをご存知だろうか。彼はブルーグラスという音楽を日本に普及させたいという一心で専門誌を出し、20枚以上のアルバムをつくってきた人。だが、日本においてすらブルーグラスの一部のファンにしか知られていない。昭和21年生まれのその彼が、愛してやまないバンジョー奏者で2001年に亡くなったジョン・ハートフォードの愛奏曲を集めてプロデュースしたアルバムがノミネートされたのだ。私も聴いたことがない彼のブルーグラスに、グラミー賞のスタッフが着目したことには驚かざるをえないではないか。ネット時代なればこそといってしまえば身も蓋もないが、一昔前なら起こりえない一般にはほとんど無名の演奏家がグラミー賞にノミネートされるという、こんな信じがたいことが現実となったのだ。世界中のアーティストが対象となる賞の候補にリストアップされるというだけでも大変なこと。受賞の4者にはもちろんだが、渡辺敏雄の健闘にも祝福の拍手を送ろうではないか。
 受賞グループのうち、スタンリー・クラーク・バンドは昨年11月末に来日したおりのブルーノート公演を聴いた。スタンはむろん、このときの上原ひろみもレニー・ホワイトも素晴らしく、折りにふれて書くことにしている<食べある記>で取りあげることに決めていた。もしかするとこのトリオがグラミー賞を射止めるかもしれないと思ってはいたが、3者個々の優れた能力に加えてコンビネーションのよさや気心の通じ合いが生む風通しのいい演奏は、なるほど<コンテンポラリー・ジャズ>部門の受賞にふさわしい。
 今回私が最も注目した1人でありながら、まさか受賞するとは予想もしていなかったミュージシャンが1人いる。今年、特にグラミー賞の結果が個人的に待ち遠しかった理由でもある。それは、賞の中で主要4部門と言われる「ベスト・アルバム」、「ベスト・レコード」、「最優秀楽曲」、「最優秀新人」の中の「最優秀新人」部門。この部門の結果が気になって仕方がなかったのだ。実をいうと、ジャズ分野からエスペランサ・スポールディングがノミネートされていたからである。彼女については一昨年、テリ・リン・キャリントンのグループがブルーノート公演を果たしたとき、最も刮目すべき新鋭女性ベーシストとして新聞などに取りあげて書いた。寡黙な大男が相場といった観のあるベースを彼女が弾きはじめると、この大きな楽器がまるで天女のハープのように美しく映える。技術的にも文句のつけようがない。繊細にしてシャープ。彼女が新人賞にノミネートされたことを知ったときは胸が躍るのを覚えたが、ポップス界の強敵がひしめくこの部門で彼女が賞を射止めることは先ずあり得ないだろうと思っていた。とはいえ、グラミー賞の結果を早く知りたかった裏には、万が一の好機が彼女に味方をするかもしれないという淡い期待があったからかもしれない。発表時間も待ち遠しくグラミー賞をネット検索し、そこにエスペランサの名前を見つけたときの驚きと喜び。私がこの女性の才能は特別だと見立てたのと同じ評価をしている人が向こうにも沢山いるのだと改めて分かって深い感慨を覚えた。それは彼女がバークリー音楽院の最年少講師に迎えられたという一事にも明らかだったが、それにしても束のようにいる手強い新人賞候補者を押さえて栄えある<最優秀新人賞>に選ばれるとは。強い運の持主でもあるのだろう。
 そのエスペランサ・スポールディングがブルーノート東京に来演中で、私が観た2月17日のステージでも言葉に尽くしがたい魔術的ともいえる音楽を披露した。前回はボスだったテリ・リン・キャリントンを従え、リーダーとして最新作『チェンバー・ミュージック・ソサエティ』を鮮やかにステージ化してみせた彼女の底知れぬ楽才ぶり。堪能した、というより測りがたい魅力に酔いしれた1時間余の思わぬ出来事だった。ともすれば、黄金時代のモダン・ジャズとの比較の中で現代のジャズに悲観的な見方に傾きがちになることがあるが、彼女のような底知れぬスケールと魅力をもつミュージシャンと出会うとホッとする。ネット時代のジャズも捨てたものじゃない、と希望が湧く。上原ひろみの場合もそうだし、寺久保エレナへの期待も同じだ。多様化し、中心を失いがちな今日のジャズが、激しくグローバル化する変動に耐える中で、新しい才能を得て力強く羽ばたく時代が再来する夢をできることなら失いたくはない。(2011年2月20日)

悠 雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


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