MONTHRY EDITORIAL02

Vol.40 | 光と闇と原発と Text by Mariko OKAYAMA


 上野の国立西洋美術館で開催中のレンブラント「光の探求/闇の誘惑」に行った。
 駅前は平日にもかかわらずけっこうな人出で、そういえば花見シーズンであったことに思い当たる。せっかくなので、美術館に入る前に桜を愛でておこうと、人波にまじって歩くと、ちょうど満開、桜は笑みこぼれんばかりの風情であった。その桜のトンネルを、人々が小さな歓声をあげつつ、三々五々見上げては立ち止まり、そぞろ歩いている。
 通常なら花見客が桜の下、宴会で騒がしいところだが、こんな時、人に言われるまでもなく、みんなどんちゃん騒ぎなどしない。それくらいの良識は持っている。「自粛せよ」など余計なこと。またもや当選したご高齢都知事には、オリンピック招聘こそ自粛して欲しい。にしても、大震災天罰発言も水に流す東京都民は何と寛大なことか。桜の下を、庶民はつつましく、わずかな時間を楽しみ、通り過ぎてゆく。つるされた提灯も、節電で灯はともらないらしく、日中、花に埋もれて紅白の面を連ねるばかり。それでも何がし、心華やぐ気分になった。

 レンブラント(1606〜69/オランダ)はヨーロッパの種々の美術館でけっこう見ているのだが、やはり「光と闇」の扱いがひときわ眼を惹く画家だ。今回の企画の眼目は、版画と絵画における彼の「光と影」の真の意味を再検討しようとするもので、約110点の版画を中心にしており、そのうちのおよそ30点は和紙に刷られたもの。他の紙材との相違も興味深く、和紙に刷られたものはどこか優しい陰影に富んでおり、なぜ彼が和紙を好んだかもわかる気がした。
 私が最も心を惹かれたのは『蝋燭の明かりのもとで机に向かう書生』で、遠目から見るとただ一本の蝋燭が画面に細く輝いているだけだが、眼を凝らすとそのそばに、ぼんやりと人影が描かれている。近寄るとその人影はまさに闇に沈みつつも、細部にわたって精緻な筆で克明に刻まれているのがわかる。闇が濃いほどに一本の蝋燭の輝きは冴えわたり、それに仄かに照らされる書面や書生の表情を含む周囲から、一筋、熱を帯びて立ち上ってくるようだった。
 私たちは、あまりに明るい世界に生き過ぎている、と私は思った。バッハが月明かりを頼りに写譜をしたように、かつての人々は、蝋燭や松明の灯りのもとに暮らしていた。
 インドを旅したとき車のライト以外は真っ暗闇の道をガタガタ揺れながらバスで行くと、遠くに小さくかがり火が見え、そこに集落があることが知れる。電気のない地方では、かがり火が村の存在を、人間の営みを知らせるのだ。
 そういう世界、光と闇、太陽、月や星々の運行の中で、それに従って暮らしている世界と、私たちはどれほど隔たってしまったことだろう。明るくなれば眼を覚まし、暗くなれば眠りにつく。その自然のリズムを私たちは全く失ってしまった。

 


 今回の東日本大震災で、福島第一原発の電力が首都圏に供給されていた事実を、どれだけの人が知っていたろう。私も知らなかった。ただ、かつてチェルノブイリの事故があったとき、傷つき、病に犯された子供たちが音楽やダンスに喜びを見出し、それを日本で紹介するイベントを取材したことがあり、原発事故の恐ろしさ、実は未来永劫にわたって問題を撒き散らし続ける恐怖は知っていた。チェルノブイリの子供たちの描いた自画像には一様に首飾りがある(『生きていたい!』チェルノブイリの子供たちの叫び/小学館)。甲状腺ガンの手術の跡である。そうした悲劇は二度と繰り返されてはならないのに、それが日本で起きる事、起きて不思議がないこと、そこまで深くは日本の原発について考えなかったことを、今は恥じている。また、首都圏の電力供給のために大きな犠牲を払っている福島の方々に申し訳ないと思う。
 事故後、電力不足のための計画停電で、1日2回、6時間の停電を余儀なくされた地域もある。それもまた首都圏のための措置である。私は首都圏に住むが、計画停電の地区からは辛うじて免れた。が、その地域に入ると日中でも薄暗い。だが、一方で、これまでの煌煌とした明るさが改めて過剰であったことを思い知った。

 レンブラントの時代、光は陽光、月光、蝋燭といったものだけだった。そういえばもう一つ、私が足を止めた絵は月影を写した水面の絵。月影が幾重にも重なる水面は冷たく澄んで美しかった。
 レンブラントは光と闇とに並外れて鋭敏だったに違いない。彼はその自分の感覚をいかに画布に刻み付けるか、それをのみ探求したのだろう。彼は光と闇の画家を目指したのではなく、そうならざるを得ない生理と欲求を持った画家だったのだ。どの絵もそのことを雄弁に物語っている。
 光と闇。私たちは改めて自然の光と闇に謙虚に向き合わねばならないのではなかろうか。 電気、ガス、水道といったライフ・ラインを今なお絶たれた被災地の方々を思うにつけ、ささやかな節電、節水、省エネに努める日々である。

 美術館を出ると、人波はまだ続いていた。夜のライトアップも提灯もない今年の花見に、それでも人々はひとときの至福を静かに見出している。
 被災地にも復興の春が訪れるよう、心から祈りたい。(4月28日記)

出典:
■ レンブラント・ファン・レイン「蝋燭の明かりのもとで机に向かう学生」(1642年頃/エッチング)東京 国立西洋美術館蔵
■ 『生きていたい!―チェルノブイリの子どもたちの叫び』(チェルノブイリ子ども基金/小学館)



丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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