MONTHRY EDITORIAL02
南北を結ぶ橋(クリントン大統領が当時真ん中まで行ったとのこと)

Vol.41 | ソウル・フィルを聴いて   text and photo by Mariko OKAYAMA


 昨今はオーケストラの国際化に伴い、欧米のオケでもそれぞれの地の固有の響きやスタイルが消え、均一化されてきているが、韓国から初来日したソウル・フィル(指揮/チョン・ミュンフン5月10日@サントリーホール)を聴いて、やはりお国柄というのはあるのだな、と思った。
 ソウル・フィルも、韓国人のメンバーの他、種々の国のプレイヤーが混じった混成オケで、今回は大震災のチャリティということもあり、N響や東フィルのメンバーも入ってのチャイコフスキーだった。前半は『ヴァイオリン協奏曲』で庄司紗矢香をソリストに迎え、まずは庄司の引き立て役に徹した演奏だったが、後半の『悲愴』となると、俄然、熱気を帯び、とりわけ第3楽章のアレグロ・モルト・ヴィヴァーチェの最後など、思わずそこで拍手が湧くほどの猛烈な白熱ぶり。続く終楽章が、「おまけ」に聴こえるくらいの音の炎上であった。混成オケであっても、やっぱり韓国だ、と思わずにいられない。

 私はソウルに1996年に行ったことがあるのだが、ちょうどサッカーのワールドカップ日韓共催が決定した直後で、空港はもとより、市内のメイン・ストリートにいたるまでW杯の小旗が飾られていて、日本との温度差に驚いたものだ。訪問のきっかけは、その頃、韓国を代表する国際的作曲家ユン・イサン(1917~1995)の追悼コンサートが日本であり、来日した夫人の挨拶を聞いたからである。彼の音楽は「慟哭」の音楽だ、と夫人は言った。私はその夜の音楽と、夫人のその言葉に、彼の故国を自分の目で確かめてみたい、と思ったのだ。
 ユン・イサンという作曲家は、実に波瀾万丈の人生を送った人である。戦前、ソウルで音楽を学んだのち日本に渡り、大阪で勉学を続けたが、朝鮮の人々だけが住む最も貧しい地域に住んだと言う。帰国したあと反日運動で逮捕されたが、戦後しばらくは教壇に立った。56年にパリ音楽院、ベルリン芸術大学に留学、63年には北朝鮮を訪れている。彼の悲願は、南北朝鮮の統一であったが、常にそうした政治的発言や行動をしたために、67年北朝鮮のスパイとして西ベルリンでKCIAに拉致され、本国へ送還、死刑宣告を受け獄中の人となった。このときは、世界中の音楽家が抗議運動を起こし、死刑免除の嘆願書も提出された。彼の作品はドイツ前衛にアジア的要素を混淆させたもので、独自の世界を拓き、高い評価を得ており、死刑など言語道断だったのである。獄中で書かれたオペラ『ナビの夢』がドイツで初演された時、満場の聴衆がいっせいに立ち上がり、はるかソウルの刑務所で処刑を待つ作曲家のために、実に20分間の拍手を続けたという。69年、大統領特赦によって釈放された彼は再びベルリンに戻り、当地で逝去した。ベルリンの彼のもとからは、細川俊夫、三輪眞弘など、今日の日本の作曲界を牽引する人材が育っている。
 彼の作品のなかでは、光州事件をモチーフとした『光州よ、永遠に』などが私には印象的だが、いずれにしても、「慟哭」という言葉がふさわしく、情念の強烈な渦と白刃きらめく音の切っ先とが際立つ。その激しさ、鋭さは、やはり彼の故国を土壌としたものだが、安易なエキゾティズムとは一線を画し、だからこそ、世界中の人々がその作品を愛したのである。

 


 私はソウルで、ユン・イサンの韓国での唯一の弟子と言われるカン・スキに会い、当時の韓国の現代作曲界の動向などを教えてもらう一方で、コンサートにもいくつか行った。もう10数年も前のことだから、オーケストラの演奏水準なども、まだまだで、演奏前に舞台のカーテンの袖から、客の入りを確かめるような素朴さであった。それでも、音楽へののめり込み方は実に真摯で、熱いものを感じさせられた。
 今回のソウル・フィルは、もちろん当時とは格段の違いだったのだが、音の内外に滾り立つ灼熱度は、10数年前のそれと変わりない。つまり、韓国魂というか韓国気質というか、その火の玉のような内面の沸騰と、それを直接に真っ向からぶつけてくる迫力。それは、技術的なレヴェルうんぬんを越える、と改めて思ったのだ。
 当夜の指揮者チョン・ミュンフンは、そのあたりのことをよくよく知り抜いていて、『悲愴』では存分に彼らのパワーを全開させたのであった。彼は、これも世界的ヴァイオリニストのチョン・キョンファ、チェリストのチョン・ミョンファの弟で、チョン・トリオを組んでの演奏活動もしている。今はもう多忙を極め、姉弟トリオなど望むべくもないけれども。キョンファのヴァイオリンも火の玉ヴァイオリンで、今ならサラ・チャンを思えば良いか。
 もう一つ、韓国らしいと思ったのは、ストーリーの展開の仕方である。私は韓流ドラマはほとんど見ないが、家人が結構ファンで、TVをたまに覗いたりすると、いつも「らしいなあ」と笑ってしまう。要するに善玉、悪玉がはっきりしていて(メイクからしてそうだ)、そこに滑稽系がからみ、単純明快。したがって物語のメリハリが明確で、複雑なグレーゾーン、もしくは中間色が皆無に近い。当夜の『悲愴』もそうで、第3楽章の爆裂に向けてひた走り、それが終わったら、すっきりおしまい、みたいな組み立てであった。
 ところでミュンフンだが、彼が最初に日本デビューしたとき、私はその指揮台に根っこがはえたように揺るがない指揮ぶりに、目を見張った。欧米系のダンサブルな指揮とはまるで異なる、いわば農耕民族系。騎馬民族の持つリズムや動作に対し、ミュンフンは大地を耕す農民の力強さ。どっかりと腰の座った重心の低さは欧米系にはないものだ。その後、どんなオケを振ろうが、どんな曲を振ろうが、彼が飛んだり跳ねたりするのを私は見たことが無い。どこまでも大地に吸い付いたまま、大音響へとアッチェルランドしてゆくのである。当夜も無論、彼の足は大地を離れる事がなかった。これもまた、お国柄というものではなかろうか。

 ユン・イサンの祖国統一の悲願は、未だに成就されていない。私は38度線から、河をはさんだ向こうに北朝鮮をはるかに望み、また、板門店では、敵対する南北の兵士たちが向き合って自分たちのエリアを警護している姿に、実に複雑な気持ちになった。会議室の真ん中にも分断コードが這っており、韓国人のガイドさんに、外国人は跨げますよ、と勧められ、コードを跨いだのだったが、窓の外からそんな私たちをじっと兵士が監視しているのであった。
 今回のソウル・フィルの演奏開始前に、ミュンフンはこのコンサートに寄せる思いを語ったのだが、真っ先に「人間として」という言葉を挙げた。むろんそれは東日本大震災の被災者との連帯を伝えるものであったが、私には、分断を抱える祖国への想いもまた、そこに秘められているように感じられた。
 ユン・イサンは、東西ベルリンの壁の崩壊を見ずに亡くなったが、南北を分けるこのラインが消える日はいつ来るのだろうか。

板門店(ブルーが南/シルバーが北の建物) 南北を分けるコード

丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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NEW1.31 '16

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ポール・ブレイ Paul Bley

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#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


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#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

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