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Vol.14 |
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♪ おだてられると、私は天までのぼる
今回は、香港に行ったときの話をしよう。
「もうワン・テイクいこうか」
「ケツの八小節だけ」
「それじゃ、アタマ出しお願い。カウントとっといてね。あとで三度でかぶせるから...」
ある著名歌手の音響ハウス(レコーディング・スタジオ)での録音のお手伝いをしたときのひとこまである。私がここに至るまでには、さまざまな紆余曲折があった...。
思いあぐねるよりも、まず行動を先に起こしたような人生であったように思う。
ある事情があって高等学校の教師を辞め上京して来たが、別にこれとて何をするあてもない。どうすればよいのかも分からない。連れ合いと共に一週間ほど寝ていただろうか、束の間の愉悦ではあるが、寝ていたとて何も始まるものではない。さりとて、できることは何がある? 音楽しかないだろう。昔のつてをたどってやり始めるしかない。
思い立ったら吉日、一路、山中湖のサウンド・ヴィレッヂというレコーディング・スタジオへ向かい、思いつきの居候を決め込んだ。
大学時代、同じバンド(ももとんぼ)をやっていた先輩が総支配人を務めていたので案外気楽であった。まあ、居候とて忙しい。宿泊の準備、シーツ替え、トイレ掃除、食事の準備(一時は料理長もやった)、スタジオの掃除、リハーサルの準備、録音の手伝い、演奏...いろいろなミュージシャンが、仕事や遊びでやってきた。さまざまなミュージシャンとのセッションや親交も深まった。
ラウドネス、エコーズ、ファンタスティックス(中森明菜バンド)、日本のトップ・ベーシスト伊藤広規、北島健二、竜童組、デューク・ジョーダン...。
数え上げればきりがない。第一線のスタジオ・ミュージシャンたちである。とくに伊藤広規さんは、「あなたのギターは、世界中どこへ行っても通用する」と言ってくれた。おだてられると、私は、天までのぼる...。
音楽の好きな私は、湖の近くで生命の息吹を感じながら暮らせることが楽しみであり、喜びであった。
夏はマッチを使わずに火をおこし、野山でのバーベキュー。山中湖で泳ぐ。冬は寒いけど、気の置けない仲間がたくさんいて、いつでも録音もできる...。
しかしこのまま年をとれば、世に出ることなく埋もれてしまうのではないか、という淡いものの、やり過ごすことのできない危機感に見舞われたのである。そこで、日本で音楽家として身を立てる(つまり、ギタリストになる)前に、アメリカへ行こうと思い立ったのだ。
そこには私の夢があった...。
♪ 夢とは、「アメリカで演りたい」ということ
アメリカ南部の綿花畑に、ホンキートンクなヴギウギ・ピアノが、素頓狂に鳴り響く。私の額から汗が飛び散り、(ギブソン)335がうなる。ギターのフレットに指が吸い込まれる。チョーキングは、飛魚のようにステージの上を跳ね回る。ギターは生き物。ギターは私自身。ピアノはパイントップ・スミス、ハープはリトル・ウォルター、ドラムスはフレット・ビロウ、ベースは...。
そして、ロバート・ジョンソンが横目で私を見る。白い歯が覗く。屈託のない笑顔。ああ、あの<クロスロード>を詩い始めた。次いで、<ラヴ・イン・ヴェイン>...。ロバートのヴギのダイナミックな波に一生懸命ついていく私。最高のRide On。ブルースを演ると、いつも生きていてよかったと思う。
私は生粋の大阪人。大阪生まれ、大阪育ちのブルースが本場のブルースと衝突する。本物のブルースと溶け合う。ここは、かつてのロバートがたくさんの人を集めた「バレルハウス」である...。
私の輝ける妄想が閃光のようにきらめくところ、アメリカ南部、ミシシッピィ。メンフィスからハイウェイ61号線を下ってヘレナ、クラークテイル、さらにグリーンヴィルを通ってヴィックスバーグ、そしてニューオリンズへ。
私がアメリカというものにほのかな憧れを感じたのは、ロバート・ジョンソンの有名なレコードとの出会いである。そのジャケットは、レコーディング風景には違いないのであるが、何の変哲もないホテルの一室らしきところに、生ギターを持って彼が座っている風景。
ミキサーやモニターと呼ばれるものもない。マイクが一本、彼の前に備えてあるだけである。喧騒なハードロック(Zep、GFR、Purpleなど)が一世を風靡した時代。けばけばしいジャケットが大手を振った時代。あのフラワーパワーを彷彿とさせる時代...そういう時代であっただけに質素なロバートのジャケットは、妙に珍奇でどこか魅力的であった。
針を落としてみると、これがまたとてつもない音であった。物理的に出てくる音は、彼の声と彼の生ギターだけであるが、その説得力というのか、スケールの大きさというのか、音の魂というのか...とにかく筆舌に尽くしがたいものがあった。
ハードロックなど比ではない。私はすっ飛ばされた。彼の声も、彼の生ギターも、何もしていない。何の手練手管も使っていない。にもかかわらず、ハードロックなどの電気楽器を使った新しい音楽を、完全に凌駕している。何という、途方もないことだ、一体なんなんだ、この感動は...。
それ以来、私と黒人ブルースとの付き合いが始まった。知れば知るほど、その世界にのめり込んでいった。黒人って、なんて凄い人たちなんだろう。彼らの偉大さに、私は嫉妬を感じる。黒人ブルースとアメリカ南部の虜になってしまった私...。
思い思いの恰好で、さまざまな国からたくさんの人々が、自由を求めてやってきたアメリカ。アイルランド人、ドイツ人、イタリア人、ユダヤ人、中国人、日本人等々。その中に黒人もいた。
歴史的には、単純に語ることは出来ないけれども「ある一つの自由」のために、あらゆる自由を搾取され、住む所も与えられず、手枷足枷をはめられて、男は強制労働、女は性的虐待、想像を絶する苦しい生活の中で、死ぬ以上の苦しみの中で、彼らは歌わずにはいられなかったのだ。歌わずにはいられないから詩が生まれたんだ。彼らの魂の叫び、心の底から湧き出る叫び。彼らは歌手という職業を選んだのではない。彼らにとって本当に歌わなければならない詩を歌い続けた結果、世間から歌手という評価を得たにすぎない。
現在、流布している大半の歌(日本の歌もアメリカの歌も)のように、どういうものか、どのように流行るかを計算して作られたものではない。彼らの内面の必然から創られた詩だ。
私にも、彼らの創った形式は借りているけれども、どうしても歌わなければならない詩がある。命を賭けたい詩がある。大阪育ちの詩を、ブルースを、彼らの前で演りたい。
どうしても演りたい。ハイウェイ61号線のライブハウスで、私の335をうならせたい。黒人たちのバックで、黒人たちを前にして大阪の詩を演りたい。大阪の土根性を見せたい。
道端で、広場で、学校で、牧場で、洗面所で、自由の女神の前で、セントラルパークで、庭先で、ベランダで、トラックの上で、空プールの中で、養鶏場で、どこでもよい、アメリカの中のありとあらゆるところで。
私の叫びを、彼らに伝わらせてみたい。アメリカの多くの人々に、私の内なる叫びを聞いてもらいたい。大阪生まれの私の詩を思いきり、詩いたい。
♪ サクラメント行きバスの中で考えた。
「よし終点までいこう。なんとかなるさ」
まあ、突拍子もない男である。なんのあてもない。とにかく行ってみようであった。期待に胸はふくらみ、考えているだけでワクワクしてくる。
そうなると居ても立ってもいられない。早速、妹に借金をしてサンフランシスコ行きの飛行機の切符を買い、一路サンフランシスコへ。
空港についたが、大きすぎてどこへ行ったものかわからず、バス・ターミナルへ向かう。来たバスにすぐに飛び乗った(私は、知らない土地へ行くと、来たバスにすぐ乗るという習性があった)。
そのバスはサクラメント行きであった。バスの中で考えた。
「よし、終点まで行こう。昔は、ゴールドラッシュのサクラメントじゃないか、なんとかなるよ。それにサクラメントはまだブルースが盛んなところ、きっと勝負できる,,,」
バスから降りると、小雨が降っていた。どこにも行くあてがない。その日は一日中、町中を歩き回り、結局寒くなって、見知らぬアパートの共同トイレにうずくまって寝た。
次の日は、駅のトイレに警官がやってきて強制連行されそうになったので逃げた。昼間は公園にいたが、アル中が一杯いる。針を持ったアル中、からむアル中、ヤク中もいる。三日目は、新聞紙を肌着の下に一杯まきつけて(これが結構あったかい)公園で寝ることにした。ところが、風がよけられていい場所を見つけると、たいがいのところはすでに先客が寝ている...。
やっと見つけた場所で寝ていると「そこは俺の場所だ!」と、酔っ払いがやってきた。それぞれの縄張りが決まっているのである。くわばら!くわばら!酔っ払いの喧騒と銃声を聞きながら、町中で十日ぐらい野宿していた。体がなまってきて、意外と寝るのも楽しいと思い始めた。
いつまでもこんなことはしていられないので、仕事を探し始めた...。一向に見つからない。道を歩いていると、たいがいの場合は相手がよけて通った(だから、よく言われる危険はなかった)。髭はぼうぼう、服はよれよれ。
♪ ここがお前の仕事場だ。
な、な、なんと、私は「人間ジュークボックス」だ!
街角のショー・ウィンドウにふと目を止めた。「求む、シンガー 住み込み 高給」と書いてあった。飛びついた。早速、門をたたく。入ってみると、まず、上から下まで蔑むような眼でなめ回された。見終えた後の最初の一言、
「ジャップか」。
そんなことに、いちいち腹を立ててはいられない。なんとかねぐらが欲しかった、仕事が欲しかった...。すると、
「何でもいいから、知っている歌を知っているだけ歌え」
ときた。私はなりふりかまわず歌いまくった。
ひとしきり歌っていると、見定めをしている連中がひそひそと話を始めた。そして「ちょっとこっちへ来い」と言われ、中へ連れて行かれた。
「ここがお前の仕事場だ、入れ」。
木の箱である。内から外が見えるように作ってある。なんだこりゃ...。
な,な,なんと、「人間ジュークボックス」である。コインを入れてボタンが押されたり外から注文があると、それに応えて延々と歌を歌い続けるのだ。外から鍵をかけられるので、外へは出られない。二時間に一回くらい休憩がある。ビールが一缶出る。このビールがうまい。そしてまた再開。一日 (午後3時から、午前1時まで)やっていると、くたくたになる。一週間やっていると声ががらがらにかれてくる。ハウリン・ウルフ・バージョン!(声のかれているのを魅力にしている歌手)などと冗談を言いながら進めた。あまり金にはならないし(時給50セント)体はぼろぼろ、どうしようもない状態である。
だが、そのうち店の女の子(カウンターにいる女)も顔を覚えてくれた。というのも、この「人間ジュークボックス」という仕事は、四日以上続いた者がいないらしい。そして、しきりに
「あんたは、ヤクザ(日本人で坊主はヤクザだとアメリカ人は思ってしまう)か」と、聞いてきた。
「いや違う」と、ひたすら答えていた。
時々、いいこともあった。流儀の違う愛し方がいろいろある...。
このままだと、声もつぶれて、声も出なくなる。店内で夜やっているライブ(生演奏)に、なんとか出たいと思ったが相手にされない。そこで近くにあるライブハウスを、虱つぶしに訪ねて、なんとか出してもらおうと売り込む。交渉するが門前払い。また、蔑むような目である。
「お前なんかにブルースが弾けるはずがない」
「ジャップにギターなんか弾けるはずがない」
あの嘲笑が忘れられない。くそっ!
「一度でいいからオレの音を聞いてくれ、オレのギターを聞いてくれ」
何度も何度も粘るうちに、ビールびんを投げつけられる始末である...。
また、「人間ジュークボックス」の日々に埋没する。
あきらめの日々、ギターを弾くこともなくなる。自分のギターは下手だ、なんのあてもなく、アメリカくんだりまで来た自分が悪い。なんて馬鹿なんだ(自己嫌悪)。自分を責め続けられないから他人のせいにする。悪循環に悶々とする。
あの時、広規さんが私をほめさえしなければ...あの時、妹が渡航費なんか貸してさえくれなければ (不満の合理化)。そして、同じように、芸術家志望、音楽家志望でアメリカへ来て、夢破れて乞食をしたり、アル中になっている日本人たちと相憐れんで涙する。
「時代が我々を認めないだけだ」、「そうだ、そうだ...」。そして、ますますやれなくなって酒におぼれる。最後は無気力になり、虚無感さえ漂う。まさしく、ネガティブ・サイクルの極みである。
このまま、この地サクラメントでうずくまったまま人生を終えるのだ、なんて考えた...。私はほとんどアル中状態で、自暴自棄になりかけていた。廃人寸前だったかもしれない...。
♪ステージに飛び入り
この行動で私の世界が一変!!
そこで、一計を案じた。飛び入りを思い立った。つまり、ミュージシャンが演奏している最中に、楽器(ギター)を抱えて飛び込んでいくのである。やるしかない。今、行動するしかない。百人以上の聴衆が見守る中、ギターを抱えててステージに駆け上がった。
まさしく、曲は、 <Rock Me Baby>!
場内整理にとり押さえられかけたが力で振り払った。聴衆からは、揶揄、罵声、冷笑、嘲笑、「ジャップ、ひっこめ!」。火のついたタバコを投げつけられた...。
しかし、ミュージシャン達は、来るものは拒まずという姿勢があった。目配せがあって私にソロが回ってきた。しめた!と思った。ここぞとばかりに、大和魂を込めたブルース・ギターをかき鳴らした。
1コーラス(12小節)終わった。まだ、聴衆は半信半疑。しかし、場内は静まり返ったまま。もう1コーラス、そしてもう1コーラス、5コーラス目に入ろうとした時、ドラムがブレイクした。そして一言。
「アメイジング! エクセレント・ギター・プレイヤー!!」
“アメイジング”とは最高、最大級のほめ言葉。場内は総立ちになった。偏見が強かった (日本人はギターなんか、ましてやブルースなんて演奏できるはずがない)だけに、反作用が大きく、反応が凄い!熱狂的な拍子と、ラブコールである。もう1曲、<ザ・スカイ・イズ・クライング>、もう1曲とアンコールの嵐、メインのバンドがかすんでしまった...。
ステージを終えると、たくさんの人が祝福の乾杯にかけつけてきた。みんな手に手に、緑色のボトルを持っていた。緑色のビール(ハッカ入りのビール)は、相手に好意と尊敬の念を表すものなのだ。
私が何度も出演を乞いに出掛けたとき嘲笑していた店のオーナーも、あまりの客の反応に少々興奮気味である。もう畏敬の念に変っている。単純なものである。「専属でずっと演奏してくれ」「ハウスバンドになれ」とか言っている。
これを契機(飛び入りをするという行動を起こしたこと)に、世界が一変した。美しい女は寄ってくるし、一人のミュージシャンから派生して、さまざまなミュージシャンを紹介してくれる。
パームズハウス(かつてラリー・カールトンがよく出ていたライブハウス)への出演が決まる。
あるご家庭にお世話になることが決まり、大学(UCD)まで行かせてもらうことになる。ことは、とんとん拍子であった。非常にうまく運んだ。
ハーピストとともに、サクラメントからロス(LA)へ行く。ますます希望が湧いてきて、何をやってもいけるような気がしてくる。向かうところ敵なしである。
そうなると、周りにも次元の高いアーティストやミュージシャンがどんどん集まってきて、お互いの感受性を切磋琢磨し合える。そしてますます成果を追求したくなってくる。その成果の積み重ねが自分の自信となり、もっとやってみようという気が湧いてくる。まさしく「ポジティブ・サイクル」の極みである。
「アメリカへ行く」ということと、「飛び入りをする」という行動がなければ、今の自分はない。行動を起こすことが、行動力をつける。思いわずらう前に、まずやってみることだ。
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高谷秀司(たかたに・ひでし)
1956年、大坂生まれ。音楽家、ギタリスト。幅広いジャンルで活躍。人間国宝・山本邦山師らとのユニット「大吟醸」、ギター・デュオ「G2us」でコンサート、CDリリース。最新作は童謡をテーマにしたCD『ふるさと』。2010年6月から約1ヶ月間、オーストラリアから招かれ楽旅した。
www.takatani.com
追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley
:
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣
:
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi
#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻
音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美
カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子
及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)
オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美
ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)
:
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義
:
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄
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