MONTHRY EDITORIAL02

Vol.42 | 『君が代』をめぐって   text by Mariko OKAYAMA


 先般、橋下知事の先導のもと、大阪府議会で、入学式、卒業式での『君が代』斉唱と起立を公立校の教職員に義務化する条例が可決された。橋下知事は自身のツィッターで、「ほとんどの公務員は国旗国歌を大切にしている。公の使命を認識している。自衛隊、警察官、消防員、行政職員、教員もほとんどはね。でもね、一部トンチンカン職員がいることで、組織全体の信用が失墜する。一生懸命頑張っている公務員にとって迷惑なんだよ。分かってるのかね、不起立教員!」「日本国の公務員なら、君が代に敬意を払え。敬意とは起立して歌うこと。これが社会の常識であり、国民大多数の普通の感覚。せめて、子どもたちの晴れ舞台は、厳粛なムードで祝福してあげろ。それが嫌なら、日本国の公務員を辞めて、自分の主張を通せる仕事をしろ!身分保障に甘えるな!」といった勇ましい発言を続け、結果、思い通りになったというわけだ。
 この『君が代』問題は、東京都でも、入学式、卒業式シーズンには必ずニュースとなり、不起立や、伴奏拒否をめぐっての処分などが、小さくだが頻繁に登場する。こちらは石原慎太郎知事の主導で、トップの思想が教育現場を締め付けているわけだ。
 私の知り合いの音楽教師はクリスチャンで、したがって『君が代』の内容に馴染めないから、自分は伴奏できない、として裁判を起こした。『君が代』の歌詞(天皇制礼賛)への反発を持つ人々もいるし、あるいは、戦時中、無理矢理歌わされた苦痛を忘れられない人々もいよう。日本の植民地とされた国々だって、いい気持ちはしないのではないか。靖国神社参拝も含め。
 私自身は、『君が代』のメロディー自体は好きである。とくに太鼓がドンドンとならされる部分が大好きで、いつもそこでぐっとくる。これはもう音楽的生理反応であって、理屈ではない。以前、大学の学生たちと各国の国歌を聞いてみる、ということをやってみて驚いたのは、さぞかし個性豊かな、と思われる国々(アフリカ、中近東、アジアなど)が、いわゆる西洋音楽系に染まって(西欧の植民地だったせいもあろう)似たようなものが並ぶなか、たった二つ、異彩を放つ国歌があり、それがイスラエルと日本だった。
 それくらい、『君が代』のメロディーと拍節は個性的なのだ。日本の音階と言葉に基づいたものだから。それにくっついている伴奏は西洋人がつけたので、音楽的には奇妙でまともな代物ではない。でも、伴奏なしなら全然問題なく、荘重で美しい。歌詞は平安時代の和歌からのものだが、「君」が「天皇」であって、その治世が末永く続きますように、というその歌詞の意味には、私にはやはり違和感がある。とりわけ、過去の大戦が「聖戦」であった以上。
 そんな論議が今も続く中、国歌は、たとえばサッカーの試合前に、和田アキ子がなぜか緊張のあまり震えながら歌ったり、オリンピックではファンファーレみたいに鳴らされて、メダルをとった人たちは涙ぐんだりするわけだ。つまり、こちらにはあっけらかんとした「国歌」がある。
 私は、サッカーが大好きで、全日本代表のメンバーによるTV放映はたいてい観戦するのだが、その前に歌われる国歌を、選手たちが歌うか歌わないか、興味深く見ている。『君が代』が、国歌に制定されたのは1999年のこと。そのあたりでは、まだ歌わない選手がけっこう居た。彼らがどういう意識を持って歌わないのか、まではわからないが、とにかく、かなりの数、居たのである。だいたい、体育会系は上下関係や規律が厳しいから、「歌え」という強制的なお達しがあれば、彼らは歌うだろう。さしたる考えもなく、だ。何しろ「国歌」なのだから。それでも、歌わない選手が複数居た、ということは、当時はまだ、どっちでもいい、という曖昧さが残っていたのだと思う。でも、今はほぼ全員が歌っている。
 彼らに、天皇制礼賛の意識は、おそらく無いのではないか。教育の場で、歌詞の意味や、その歌の持つ歴史までを伝えることは、たぶんほとんどない。ちなみに大学で、学生たちに歌詞の意味を訊ねたところ、知っていたのは、ごくわずか、2、3人で、圧倒的多数は知らなかった。そのように、『君が代』は、やはり、あっけらかん、と歌われているのだ。ロック系にでもなれば「きみ〜があ〜よお〜わあ〜〜」と意味不明になるのだから、歌詞なんてどうでもいいんじゃないか・・・その点、忌野清志郎は偉かった。『君が代』についてコメントを、とインタビューを申し込んで事務所に断られたのは残念だったけれど。

 


 ところで、『君が代』起立、斉唱問題を考えるとき、いつでも私の脳裏に浮かぶのは、ドイツのホロコーストへの姿勢だ。ドイツでは、小学生の頃から、ホロコーストの暗い歴史を必ず教える。私がダッハウの強制収容所に行ったときも、「あやまちは繰り返さない」というメッセージの書かれた門を入って、高学年の生徒たちが先生に引率され、見学に来ていた。「あやまちは繰り返さない」ためには、自分たちの国の歴史をきちんと学ぶことが必須だと、ドイツの人々は認識している。
 そういえば、今年の初め、朝日新聞(1/20)に現在のバイロイト音楽祭の総監督であるカタリーナ・ワーグナー(ワーグナーの曾孫)の様々な新しい挑戦についての記事があった。バイロイトのワーグナーと言えばその背後にナチスの影が常につきまとう。ヒットラーがワーグナーのオペラをこよなく愛したからだし、とりわけ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』はドイツの愛国心高揚に大いに利用された。バイロイトでこのオペラを見たとき、その異様なまでの場内の空気の盛り上がりに、これって「天皇陛下万歳!」と同じだな、と戦慄したのを覚えている。むろん、観客がドイツ人ばかりでないのは確かだが、それでも終幕に至っては、客席のほとんどが心の底から「ドイツって素晴らしい!」と血湧き肉踊る興奮に立ち上がらんばかりになるのである。その怖さは、その場に居なければやはり判らないと思う。音楽の魔力とはこういうもので、ワーグナーは実にそれを良く知っていた。ヒットラーもまた。
 カタリーナ氏は、まだ32歳の若きバイロイトの旗手で、次々と打ち出す新演出でブーイングと拍手を浴びる一方、自分の出自であるワーグナー一族とナチスとの関係も洗い出すとして、これまで公開されてこなかった文書なども一般に見せると語っていた。過去をなかったものとすることは自分にはできない、と。いずれにせよ、ワーグナーの第4世代の彼女たちが、聖地バイロイトで今後、どのような変革をしてゆくのか、興味深い。

 バイロイトのナチスと『君が代』の天皇制。カタリーナ氏のように、過去に眼をつぶることはできない、と言って、誰か名案を思いつかないものだろうか。例えば、せっかく素敵なメロディーなのだから、この歌詞の「君」は「みんな」のことです、「天皇」ではありません、と、公にそのような新解釈を宣言するとか。
 「この歌の背後にはいろいろな歴史があって、重い重い過去をひきずってここまできたのですが、それはかくかくしかじかで、それについてはいろいろな思いを持つ人々が居て当然です。でも、せっかくのメロディーですから、ここでは伝統を大切に踏襲し、新しい解釈を盛り込む事にしようではありませんか。」と、国が宣言すればよいのである。
 先だって公開された映画『太平洋の奇跡〜フォックスと呼ばれた男』に主演している男優が、サイパンに遊びにゆくなら、「バンザイ・クリフ」と呼ばれる崖に立ち寄って欲しい、とインタビューで語っていた。今の天皇、皇后がこの地への訪問を切望し、その断崖に立ち花束を捧げる姿をいつかTVで観た。その断崖絶壁から、多くの人々が「天皇陛下バンザイ!」と言って身を投げた地である。

 私たち日本人は、どうも歴史意識というのが薄いのではなかろうか。事は『君が代』問題に限らない。唯一の原爆被災国でありながら、原発に対し、これまでほとんど無関心で来た。経済効果ばかりを追い求めて。核エネルギーの平和利用という言葉は一見格好が良いが、人間の制御を越えた巨大な怪物であることを、福島で起きている惨事は物語っている。広島の地にも「あやまちは繰り返さない」の言葉が刻まれている。にもかかわらず、私たちは繰り返しているとしか言いようが無い。とりあえず、今は水に流して・・・。
(6月29日記)


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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