MONTHRY EDITORIAL02

Vol.43 | 「アレグロ!」   text by Mariko OKAYAMA


 日本人にアレグロは書けない、と昔、誰かが言っていた。私は確かにその通りだと思った。何しろ昨今の、とくに若手が出して来る音楽ときたら、霧の中みたいな、もやもやしたものだったり、うねうねくだくだ這い回るものだったり、いろんな音をあちこちで小さく炸裂させる、線香花火みたいなものだったり、借り物のパッチワークやパロディだったり、聴いていてもいっこうに気分が乗らないのがほとんど。せめてでっかい花火を一発でいいからあげて欲しいと思うほど、頼りなく脆弱で理屈ばかりこねる。解説なんていいから、言いたい事は音楽で言ってくれ!と私はいつも苛つく。そんな彼らにアレグロなんて、無理な話なのだ。
 ところが先般聴いた小倉朗『管弦楽のための舞踊組曲』(1953)(7/6東京フィルハーモニー交響楽団@オペラシティ)は全4楽章のうち、第3楽章のアンダンテ以外が全てアレグロ。聴き終えて思わず、快哉を叫んでしまった。第1楽章アレグロ、第2楽章アレグロ・リトミーコ、第4楽章アレグロ・レジェロと、アレグロだらけ。舞踊組曲といっても、こういう構成は珍しいのではないか。
 第1楽章はリズムの不規則な刻みとアンダンテのテーマとの交錯がエネルギッシュで、打ち込まれる打楽器群がすでにワクワク感を誘う。一方で半音階的な動きも絶えず意識され、リズムとメロディの両者の間をぬいとってゆく。この動きは、第2楽章にも現れ、終楽章で、全体をとりまとめる形になる。第2楽章のアレグロ・リトミーコでは、阿波踊りを彷彿させられた。私は高円寺の阿波踊りしか見た事が無く、本場のは知らないけれども、手をひらひら舞わせながら、「エラヤッチャ、エラヤッチャ、ヨイヨイヨイ!」と踊りまくるその姿が眼前に見えるほどだった。つまり、ここには、明らかに日本のアレグロがあるのである。したがって、聴きながら私は自分も踊りの列に加わって手をひらひらさせながら、下駄をつんのめらせて裾をさばきつつ踊り狂う気分になったのである。唯一のアンダンテはもっぱら管楽器が奏でる素朴なメロディが主体で、ここで一息つく。そうして、最後のアレグロ・レジェロで第1、第2楽章に現れていた半音階的フレーズが前面に押し出され、力強いリズムとともに快活に踊りまくり、最後の熱狂へとひた走るのであった。
 いや、気持ち良かったのなんの。大向こうから「ブラーボ!」が何回もかかったのも納得。オケも実にはちきれんばかり、満足そうであった。指揮者である大植英次は、何回もステージに呼び出され、最後、コンマスの譜面を譜面台からとりあげ、胸にあて、こぶしで叩いて、作品への敬意と敬愛をガッツに表現してくれたのであった。

 小倉朗(1916~90)は、年代からいうと伊福部昭らと同世代で、他に12音技法を日本に導入した入野義朗、柴田南雄らがいる。小倉は終戦後、日本の歌を創る「ランディの会」(1951年結成)に石井歓、柴田南雄、清水脩、中田喜直らとともに名を連ねたが、この会は「現代詩による歌曲の夕べ」を1953年に1回開いたという記録があるだけである。詩人には草野心平、北川冬彦らの名が見える。
 当時の日本の若い世代がヨーロッパ前衛に呼応した動きを活発に見せた時期、あるいは民族主義に傾いた時期、小倉はいささか冷淡にこれらを眺めていた。もともと、西欧の古典主義に傾倒しており、そういう系統の音楽を書いていた。けれども、彼が自らの「日本の耳」を意識しだしてから、それまでの作品をほとんど破棄してしまったとのことだ。この『舞踊組曲』はその「日本の耳」への転回点に位置する。
 私は大学で、小倉朗から「楽式論」を学んだ。話は逸れるが、当時は学長が井口基成というピアノの大家で、もう一方に斎藤秀雄という、小沢征爾の師匠である指揮、弦部門の皇帝がいた。私は作曲理論科の音楽学専攻だったから、この二人の大家とは縁遠かったし、その恐ろしさも全くと言ってよいほど知らなかった。井口に関しては「演奏論」か何かで、ピアノを弾く学生が口をもごもごさせながら一緒に歌っている様子を見て、「君、誰も君の歌なんか聴きたくないんだよ。ピアノでちゃんと歌いなさい!」と叱責するのを聴いて、もっともだ、と、こっそり笑った記憶がある。斎藤はトーサイと学園では呼ばれていたが、どれほど厳格な先生かを知らない私はオーケストラの何かの授業に、5分ほど遅れてしまい、中に入ったら、トーサイが怒って出て行ってしまった。

 


オケの学生が真っ青になり、あわててとりなしにゆき、15分ほどたってようやく現れて授業を始めたのであった。その内容には感心した。つまり、音楽というのは伸びたり縮んだりするものだが、伸びたら必ずその分どこかを縮めて全体のバランスをとらねばならない、といったことであった。それを具体的に、事細かに分析してくれるので、なるほど、音楽とはそうやって辻褄を合わせて創ってゆくものか、とおおいに納得したのであった。
 休み時間に廊下を歩くと、当時の作曲界のスターたち、矢代秋雄や三善晃らとすれ違ったし、八村義夫もふらふら歩いていた。苦手なピアノ初見試奏テストを私はめちゃくちゃに弾き、それが矢代のピアノ・ソナタの冒頭であり、試験場に当の作曲者が居たことをあとで知ったのであった。三善の「アナリーゼ」は2年間履修したが、2年目の授業がつまらなく、文句を書いたことを覚えている。1年目は作曲理論科だけの授業だったので、人数も4、5人だったから、緊張しまくりだったのが、2年目は他の科の学生たちと一緒で、どう考えてもレベルダウンしたとしか思えなかったから。八村には「対位法」を習ったが、最後までチンプンカンプンで、1課題につき、ぼそぼそ独り言みたいに呟き続ける授業であった。石桁真礼生には「和声」を習ったが、こちらは怖かった。理屈として正しい音でも、綺麗な響きの音を選ばないと烈火のごとく怒り、友人はぴしゃり、とノートではたかれたりしていた。今なら大問題だ。でも、機嫌のよいときは、近くのラーメン屋で、ラーメンをおごってもくれた。
 そういう場で、小倉の「楽式論」を学び、しきりと彼がバルトークからの影響を口にし、12音技法を「ゆきづまった西欧」と語り、「日本の耳」についてとつとつと述べるのを聴いたのである。彼は年配のポパイみたいな風貌で、ピアノを前に「ドミナント」の持つエクスタシーを力説した。そのオルガスムスを「オグラスムス」と仲間にからかわれる、と氏は笑っていた。小倉のその種の古典主義的音楽感覚は、バルトークや「日本の耳」に目覚めてからも変わらなかったと私は思う。

 『舞踊組曲』を聴いたあと、氏の著作『日本の耳』(1977/岩波新書)を引っ張りだしてきて、改めて読み直した。そうしたら、さまざまな新しい発見があった。
 「日本の音楽がヨーロッパの音楽にきくアレグロやプレストを持たず、おおむねきわめてゆっくりとしているのは、単に日本語の性格によるばかりでなく、日本の運動に大きな理由があるということである。そしてまた、拍節の概念を超越して揺れ動く朗詠、朗誦、あるいはそれに類する音楽(たとえば謡)を除いて、日本音楽が、本質的に2拍子系のリズムに属していたことも、ほかでもなく、前進、後退、そして既に触れたような方向転換などによる日本の足運びや、上下、前後する手の運動が、偶数系のリズムをつくり出すことと無関係ではない。」と語り、いわゆる「ナンバ」の動き(今、スポーツ界でも刮目されている日本独特の動き)を紹介している。
 これに対し、ヨーロッパ系は3拍子系のリズムで、その理由は、前進、横歩き、前進の動きから来るとしている。これはソシアル・ダンスをちょっとでも知っている人には実感としてわかると思う。つまり「スロー、スロー、クィッククィック」のジグザグ3拍子だ。また、彼我とのリズムの相違を生活習慣、環境からも書いているが、要は、農耕民族と騎馬民族・遊牧民族の相違で、いわゆる右脳左脳の話にも触れている。また、子供の頃、家で見つけた尺八で音を出そうと苦心していたところ、父親が現れ「尺八は音の禅だ。」と言った、というエピソードなどを読むと、幼少から「日本の耳」は小倉の中で育っていたのだと改めて思う。
 ともあれ、日本人にアレグロは書けない、といったのは、正確には、西欧のアレグロであって、私はそれを大学時代に小倉から聞いたのだと思い当たった。だが、日本人にもアレグロはある。小倉の『舞踊組曲』は、日本人が本能的に持つ運動性の基底から、彼自身のアレグロを開拓していった作品の一つと言えるだろう。
 さて、昨今の作曲家たち、一つでいいから、胸がスカッとするアレグロを書いて下さい。
(7月13日記)


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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