音の見える風景  


Chapter19.渋谷 毅
撮影:2005年9月6日
乃木坂ソニースタジオにて
photo&text by 望月由美





 渋谷毅はいつも音楽とじかに向き合っている。そして音のひと粒ひと粒が輝いている。だから渋谷毅のピアノはどのような場所でもその場の空気によく馴染む。たとえ10人で満席の小さなクラブでも大きなコンサート・ホールでも、少々ガタのきたアップライト・ピアノでも渋谷毅の独特の音色が響き、その場の空気にすっと馴染んでしまう。そこに作為などは全く感じられず、しごく日常的なところが渋谷毅の凄いところである。

 2007年の春、『フェイマス・メロディーズ』(VACM-1335)と『フェイマス・コンポーザーズ』(VACM-1336 )レコーディングの構想を練っているときに渋谷さんと何度か打ち合わせをさせていただいた。私の頭に描くイメージを言葉で伝えるのは難しいので、渋谷さんが弾いたら原曲のもつメロディーや綾をこえて渋谷さんの世界が広がると想われる曲を60曲ほど選び出し、曲目リストと代表的、と云うよりも私が好む演奏をMDに落として聴いて頂いた。
 レコーディング当日の2007年6月4日、渋谷さんは沢山の譜面をかかえて半蔵門の「TFMホール」に現れた。譜面のなかには私の曲目リストからの曲もあったが渋谷さんが選んだ曲も沢山あった。
 <ダニー・ボーイ>、<ポルカドット・アンド・ムーンビームス>、第30回日本アカデミー賞、最優秀音楽賞を受賞した映画「嫌われ松子の一生」から<キャンデイ・ツリー>など二人で選んだ曲が次々と演奏されJTのオーディオ・マイスター、及川公生さんが渋谷さんの音とホールの気配を媒体に刻んでゆく。小休止のあとだったか、渋谷さんは<金髪のジェニー>と<デイ・ドリーム>そして<スノー・フォール>をメドレーで弾き始めた。フォスターとエリントン/ストレイホーンそしてクロード・ソーンフィルという一見なんの関連もなさそうな3曲をごく自然に結びつけ、あたかも自作曲のように5分51秒にまとめた。そこには、きっかけはそれぞれの曲であっても、つきつめて聴いてゆくとひらめきに満ち、品格のあるロマンティックな詩の世界が浮かび上がってくる。どんなに耳馴染んだ名曲でも渋谷毅というフィルターを通過すると今までとは違った清新な響きがよみがえるのである。

 渋谷毅は1939年の生まれ。この秋で72歳になるがピアノから生み出す音はいつもフレッシュで若々しい。東京芸大付属高校〜東京芸大作曲科というエリート・コースを歩みながら学生時代からジャズの現場に好んで現れた。あまり知られてはいないがジョージ川口&ビッグフォー、シャープス・アンド・フラッツ、ウエスト・ライナーズなど歴代の名グループでも演奏してきている。高校時代、菊地雅章(p)と同期だったこともこの道に入るきっかけのひとつだったのかも知れない。今、二人は方向こそ違え、それぞれがなにものにも変えがたい独特の美の世界を築き上げ、絶えず聴くものを魅了し続けている。

たとえば、人は誰でもストレスで息詰まるような感覚に向かうことが一度や二度は経験するだろう。そんな時渋谷さんの<ソリチュード>を聴く。ワンコーラスも聴かないうちに胸が一杯になって涙がこぼれ落ちる。そして涙のあとに安らぎをとりもどす。甘さはないけれど背筋を正した渋谷毅のピアノが落ち着きと寛ぎを与えてくれるのである。

 


渋谷さんは一見、クールな面持ちを見せるが本当は一途な面とちょっと短気な面と粘り強さをもっていて、なによりも驚かされるのは、こと音楽と向き合っているときのタフさである。
『エッセンシャル・エリントン』や『フェイマス・メロディーズ』のレコーディング時のことでもあるが、渋谷さんはテイクをたくさん録る人である。何度かテイクを重ねて自ら<ま、いいか>とOKを出すが、<もう一回、念のためにね>と更にテイクを重ねる。曲によっては8テイク〜10テイクに及ぶこともある。そして収録後の選曲の段階でラスト・テイクではなく最初にOKサインを出したテイクに戻ることもままあるのである。<僕はあきらめが悪いから(笑)>と渋谷さんはおっしゃるが、ベストなものを創ろうと目標を定めて収録に臨んだときには、もっといい演奏ができるんじゃないかという想いで、際限なく集中して自分に対して貪欲になるタイプなのである。

渋谷毅はデューク・エリントンやセロニアス・モンクと肩をならべるジャズの王道を歩んでいる。ソロからトリオ、エッセンシャル・エリントン、渋谷毅オーケストラ、さらに渋谷毅オーケストラのメンバーとのデュオ活動などで鍵盤に向かっている姿は姿勢を正した哲学者かのように映る。しかし鍵盤から出る音は艶やかで余韻があり、一音で渋谷毅とわかる輝きと深みがある。そしてその音に惹きつけられるように共演するミュージシャンの誰もが自然と渋谷毅の思い描く色彩を音で描きはじめてしまう。まさに渋谷マジックである。しかし、その一方で平田王子や金子マリ、松倉如子、清水秀子、さがゆき等々の女性ヴォーカリストとのデュオもしばしば行い、「渋谷さんといっしょ」というグループでは自らが歌も歌っている。また、映画音楽や佐良直美の曲を作曲するなどその活動は多岐に亘っているが、そのどれもが渋谷毅の真実であり渋谷毅そのものの実像が浮かび上がってくるところが凄い。そして、その永いキャリアのどこをとっても、いつ聴いても瑞々しい風情で存在感を漂わせている。

こうした多くの分野で精力的に活躍している渋谷毅をすべて聴くのはたいへんである。渋谷毅の世界にひたるのにはピアノ・ソロを聴くのが手っ取り早い。渋谷毅のピアノ・ソロにはこうした渋谷毅のあらゆる要素の芯の部分が随所に聴くことができる最もシンプルなスタイルだからである。よい空間で渋谷毅のピアノ・ソロを聴きたい、という声なき声も多いが渋谷さんは今回それに応えてくれた。来年2012年の1月13日(金)に東京・杉並区のホール、『座・高円寺』でピアノ・ソロと俊英ギタリスト市野元彦とのデュオというプログラム「渋谷毅@座高円寺」が実現したのである。あらためて渋谷毅のエッセンスをストレートに体現する格好の企画と今から心待ちにしている。


望月由美

望月由美:FM番組の企画・構成・DJと並行し1988年までスイングジャーナル誌、ジャズ・ワールド誌などにレギュラー執筆。 フォトグラファー、音楽プロデューサー。自己のレーベル「Yumi's Alley」主宰。『渋谷 毅/エッセンシャル・エリントン』でSJ誌のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>受賞。

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#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
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#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


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