Vol.43 | さようなら、とうようさん text by Masahiko YUH

 青天の霹靂とはこのことか。
 ポピュラー・ミュージック界の先達的批評家、中村とうようさんがみずからの人生に終止符を打った。21日午前10時過ぎのことらしい。新聞(7月22日付け朝日)によれば、21日に「それではみなさん、さようなら」と書いた手紙が親しかった数人の知人に届いたという。身辺整理を済ませ、最後に知人たちに別れの言葉をしるした手紙を投函して、恐らくは生前にみずから決めた最後の儀式に臨んだのだろう。長い間の一人暮らしが彼に何をもたらしたのかは知るよしもないが、彼が生涯かけて蒐集したSPレコードなどの貴重な音源をはじめとする厖大なコレクションを武蔵野美術大学に寄贈した一連の行為も、もしかすると身辺整理の一環だったのだろうかと考えると、彼を知る1人として気が滅入るような気持だ。そこまで思い詰めていたのか、もしかしたら死を選ばなくてはならないとうようさんなりの考えがあったのかもしれないが、その結果として人生の扉を閉じる決断をしなければならない最大の理由とは何だったのか。果たすべき役割は終わったというとうようさんならではの自覚が糸を引かせたのかもしれない。あるいは、単に第3者の手を煩わせてまで生き延びることを潔しとしなかっただけかもしれない。いずれにせよ、この世への執着や未練を断つというかたちで、ポピュラー音楽にこれ以上ない影響力を行使した批評家が私たちの前から姿を消した。
 私がとうようさんの署名入りの文章に注目するようになったのは60年代半ばごろだったと記憶する。私が執筆活動に入る数年前のことで、何気なく読みはじめたスイング・ジャーナル誌のレコード評などに彼の名があった。今でも記憶に鮮明なのは、同誌の<音楽百科>というジャズ以外の音楽や話題を集めたページの中の「ブルース・ピープル」。とりわけ当時熱心に聴きはじめたライトニン・ホプキンスについての数回に及ぶとうようさんのうんちくに触れるのが楽しみだった。
 だが、ジャズを王道とするスイング・ジャーナルにとうようさんが嬉々として寄稿していたとは思えない。とうようさんが書くブルース、サンバをはじめとするラテン・アメリカ音楽などは所詮、ジャズを中心におく雑誌の中での扱いはジャズにとっての周縁音楽に過ぎず、それは氏が最も嫌った音楽のランク付けに加担することにほかならなかったろう。まもなくスイング・ジャーナル誌上に彼の名前を見出すことはなくなった。それから数年後の69年に彼が「ニュー・ミュージック・マガジン」を創刊したとき、これはクラシック音楽を芸術として別格視し、ポピュラー音楽を芸術とは一線を画する低級な音楽と差別して何のうしろめたさも感じないでいた世の風潮、あるいはこれに異を唱えないジャーナリズムやメディアに、本気で対決しようとするとうようさんの意思表示だと私は受け取った。彼はまさにその機会を待っていたのだろう。とはいうものの、それはひとつの、しかしまぎれもない闘いであり、もしかすると覚悟の上での宣戦布告というべきものだったかもしれない。

ジャズがポピュラー音楽の中で、それまでのクラシック音楽と同様の立場に立たされるようになり、他のポピュラー音楽をあたかも差別視するような風潮に何らの違和感も表しえないでいることに、新参者の私でさえクレームをつけたくなったくらいだから、とうようさんがこうしたダルな風潮に挑戦状を突きつけたくなった気持を私なりに納得したものだった。とうようさんに言わせれば、ポピュラー音楽とは支配体制からはみだした人々の音楽だ。この音楽は平準化したり均質化したりすれば死ぬ。大衆音楽の美質や面白さは、それが野にあるうちは活きいきとした光を放つが、支配体制に取り込まれたとたんに生命力を失って堕落する。日本のロックの最大の支援者だった彼が、あるときロックは体制に取り込まれつつあると警告を発したことさえあった。とうようさんでなくては言えないことだった。80年代以降のジャズをも批判したことがあったが、そのときもジャズ本来の美質ではなくジャズを形からだけ、いわばジャズを流行に即して捉えようとするジャズ・ジャーナリズムの安易な態度を槍玉に挙げて、一歩も退かなかった。その意味でニュー・ミュージック・マガジンにおけるとうようさんのさまざまな評文や言説は、少なくとも当時は鋭い時評たりえていた。時評が成立しない音楽は真の音楽足りえない。

 私も一度、とうようさんからお叱りを受けたことがある。40年近い昔のことで詳しくは覚えていないが、私がドン・チェリーのレコード(LP)に書いた解説文を取りあげて、この書き手はインド音楽の基本的な仕組みをほとんど理解していないとの、批判というより叱責だった。当時、インド音楽は世界の先進的音楽や音楽家にとって最大の関心事となっていた。たとえばラ・モンテ.ヤング、テリー・ライリー、フィリップ・グラスらから始まったミニマル・ミュージックの出発点はインド音楽であり、ジャズ界もコルトレーンをはじめ多くのミュージシャンがインド音楽へのアプローチを展開しつつあった。ドン・チェリーもその1人だった。私には当時、インド音楽の楽理や歴史についての知識はほとんどなく、うわべはともかく内心ではとうようさんの指摘が正鵠を得ていると恥じ入って、専門書やレコードを通してではあったが、奮起してインド音楽についての理解を深めようとしたことがあったことだけは忘れられない。おかげでインド音楽に該博な知識を持つ方とも知り合ったり、80年だったかインドでのジャズ祭(ジャズ・ヤトラ)を見学する機会を得たりした。だが、中村さんと直接会って論をたたかわせたことはない。それどころか実は、初めてお会いしたのがいつだったか肝腎なことさえ思い出せない。また、振り返ってみて、プロジェクトを組んだことはむろん、仕事をご一緒させてもらったことも、親しく話し合ったこともないとは、考えてみたら不思議なことだ。というのも、私にとってとうようさんは心情的には決して疎遠な人ではなかったし、むしろジャズ執筆者の誰よりも親近感を持ち合わせていたからである。

 とうようさんと言えば、脳裏をよぎるのは芸能山城組とのおつきあいだ。この芸能集団は、ハトの会の有志が集まって、当時東京教育大学の山城祥二(生命科学者・大橋力)氏を組頭に、74年に発足した。73年にハトの会のコンサートで成功したバリ島のケチャ初公演を主導したのは芸大教授だった故小泉文夫氏だが、氏はこれを引き継いだ山城組によるケチャ公演の応援団長として以後も力強い支援を試みてケチャを支えた。応援団に名を列ねていた1人がとうようさんだった。ケチャが始まる夕刻の広場に灯籠の灯がともされると、ペマンクという僧侶が口上を述べる開始の儀式がおこなわれる。初めて見たこのケチャ公演でペマンク役のとうようさんが解説をかねた挨拶を述べた光景は今も脳裏にある。数年後、縁があって、私もペマンクを演じることになったが、このころから彼は応援団に名を載せてはいるものの公演には姿を見せなくなったことに気付いた。あるとき訳を訊ねると、彼はそれには答えず、呟くように言った。山城組は学者が後援する学際的組織風になっちゃったな、と。実際、この集団を支援する大学の先生の多いこと。その傾向は年々、顕著になった。そういえば、そういう席でのとうようさんは仏頂面だった。そう言うときの彼の顔には、学者の集まりは好きじゃないと書いてあった。アカデミズムが性に合わない人なのだ。たとえば、小泉文夫氏はとうようさんとは同志的仲間のはずだったが、世界中の民俗音楽を生涯にわたって精力的に蒐集した氏の情熱や行動力、それらを可能な限りレコード化して一般に紹介したフィールド・ワーカーとしての成果などにあまり触れたことがなかったのも、小泉さんが民俗音楽の研究家であると同時に芸大教授という学者であるからだろうかと思ったことがある。それについてとやかく言うつもりはない。私もとうようさんの考えに与する1人だし、たとえば特定のイヴェントなどを世間にアピールさせたいとき、お墨付きを与える常套手段として学者の顔を並べて一種の権威付けをする向きには大抵の場合、背を向けて無関心を装ったからだ。
 とにかくポピュラー音楽というのは雑多で幅広い。ほかの音楽が束になっても太刀打ちできないほどの種類の多さ。カテゴリーが存在するからこそ、ある音楽と別の音楽を区別できるとも言えるだろうが、とうようさんときたらブルースやジャズなどの米国の黒人音楽から、中南米のラテン・アメリカ音楽、シャンソンやブルガリア女性コーラスなどのヨーロッパの大衆音楽、果てはジャマイカのレゲェやインドネシアのクロンチョンなど、ロックを含む世界のありとあらゆる大衆音楽を分け隔てなく愛好した。こんな批評家はかつていなかった。のみならず、彼はそれら大衆音楽の本質や真髄に光を当て、ありのままに評価する態度を常に失わなかった。その意味で、彼は「ポピュラー音楽評論の世界では唯一無二の存在だった」(北中正和)が、それを通して世界の大衆音楽としてのポピュラー音楽の地位がクラシック音楽と並ぶことを願い、それに向けて画策したわけでは決してない。音楽の世界に血なまぐさいヒエラルキー闘争を持ち込んで、たとえばポピュラー音楽がクラシック音楽と同等の地位に並んだと仮定して、それがどんな価値を持ちうるのか。仮にそうなったとしても、新たな差別意識が生まれるだけのこと。問題は、ジャーナリズムや人々の意識がクラシックを芸術として特別視することから逃れられないでいることだ。時として芸術という言葉に便乗してお高くとまろうとするからよろしくない。わが国ではいつのころからか大衆音楽に芸能という言葉を充てる習慣が芽生えたが、クラシックが芸術で、ジャズを含む大衆音楽を芸能とする棲み分けに異論がないなら、それもそれで良し。ただし、芸術が上で芸能がそれより下などということは断じてあり得ない。この点については特に、私はとうようさんの評論や、音楽について書いたものから多くの教訓と刺激を得た。

 ただひとつ、とうようさんと意見を異にしたのは、そのクラシック音楽に対する評価だ。クラシック音楽と向き合ったときの態度といってもよい。たとえば、彼は「大衆音楽の真実」(ミュージック・マガジン社)の中で、悪名高いナチスの強制収容所の幹部たちが、平然とユダヤ人たちをガス室で殺す一方で、バッハやモーツァルトの音楽を当のユダヤ人に演奏させて涙を流して感動していた(音楽之友社刊・アウシュヴィッツの奇蹟より)というエピソードを引用し、「クラシック音楽も奴隷貿易も同じところからでてきたのだ」と結論づける。この一事だけだとクラシック音楽はまるで悪の巣窟から生まれでたかのような印象を受けるが、仮に百歩譲ってそうだとしても、バッハやモーツァルトが悪の巣窟から出てきたわけではない。それどころか仮にバッハやモーツァルトがそうした歴史的背景を背負って生まれた作曲家だとしても、彼らの偉大な作品群がそれを理由に非難されたり抹殺されたりするわけではないし、非難されるいわれもない。
 むしろバッハやモーツァルトの音楽が常軌を逸した無慈悲極まりないナチスの幹部たちをも深く感動させたことに、むしろごくごく小さな希望を見たい気さえする。クラシック音楽がキリスト教との密接な関係の中で発展してきた歴史的出自に焦点を当てれば、クラシック音楽の発展も奴隷貿易も根っこが同じところにあるというとうようさんの指摘は分からないでもない。しかし、だからといって、それから長い歳月を経て西洋文化の最も偉大な精華となったクラシック音楽、すなわちバッハ、ベートーヴェン、シューベルトからヴェルディー、ドビュッシー、シェーンベルグらにいたる偉大な音楽を全否定することなどできるわけがない。とうようさんにはこのことをぜひ訊ねておきたかったが、その機会は永遠に失われてしまった。
 しかし、とうようさんは本当にクラシック音楽が嫌いだったのか。そう言えば岩浪洋三氏が皮肉をこめていったことがある。「彼はペンをとればブラック・ミュージックだの何だのと言ってるけど、本当に好きなのはスイング時代以降の白人女性シンガーなんだよ」。本当だろうか。クラシックでもラヴェルやグラナドスやガーシュウィンなどは彼の好みに合うところもあるのでは、と思ったりする。今、改めて思う。ポピュラー音楽を大衆音楽という視点で愛し、時評という形でポピュラー音楽のいいこともよくないことも率直に語ったとうようさんのような批評家は、わが国の音楽界にはもう現れないのではないだろうか。
(2011年8月5日)

悠 雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
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by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
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「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

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