MONTHRY EDITORIAL02

Vol.45 | 「リアルということ」   text by Mariko OKAYAMA


 先般、爆音ライブ(映画)というのがあると新聞に案内が掲載されていた。あたかも自分がそこにいるようにリアルに、観客を最大限の音響で包み込むという企画である。つまり映像とともに、ものすごい音が、身体にびりびりと突き刺さってきたり、足下が震えたりする、というものだ。前回のそれの評判が非常に良かったらしい。もっとも小さな映画館ではあるけれども。
 この爆音については、ロックなどもそうだし、NYのアポロ・シアターではじめてこの種の猛烈な音響を浴びたときは、ほとんど耳が壊れかけた。ぜんたい、ステージのアーティストたちは自分たちの音や声が聴こえているのだろうか、と思うほどの凄まじさだった。  自分の出す音、あるいはメンバーの出す音を聴いてはじめて、アンサンブルやバンドになるはずで、もちろん、それ用にみな機材を使っているわけだが、それにしても耳が酷使されるのは否めないと思う。浜崎あゆみや、藤あや子とかの歌手たちは、そのせいで、耳を悪くしたのは確かだろう。
 ちなみに、オペラを映像で見る、というのも、昨今の流行だが、観に行った人は、やはり音響の凄まじさに辟易したと言う。私もかなり以前に何度か音楽映画(マリア・カラスとかフルトヴェングラーとか)に行ったことがあるが、その時、そんなに音響については気にならなかったのだから、おそらくどんどん音響の肥大化が進んでいるのだと思う。
 加えて、3Dというのが登場してきた。私は数年前の、やはりNYでのミュージカル・ステージでそれを経験したが、眼鏡を渡され、それで見るとステージが立体的に見え、星々が頭上に燦然と輝いたり、天使がこちらに向かって舞ってきたりするのである。それこそ、思わず天使たちが手にとれそうだったり、飛んで来る光のつぶてに身をかわしたり、というような感じで、なんとも不思議な体験だった。
 いったいリアルとは何だろう。3Dは、いわば仮想空間をそこに出現させ、そのなかに人間をからめとる、ということだが、そういう臨場感に何の意味があるのだろうか。
 爆音映画ライブや、ロックのそれはまだ、ステージやスクリーンという対象との距離感があるが、この3Dとなると、自分がそのなかに「居る」ような錯覚に陥ることになり、通常の距離感はほとんど失われるのではないか。音楽にしても演劇にしても映画にしても、ステージと観客、画像の間には、一定の距離があり、その距離があってこそ、それぞれの「受け止め」があり、それぞれに物語や音楽を個々にリアライズする要素が生まれるわけだ。それを関係性と想像力、と言い換えても良い。つまり、目の前に展開される現象と自分との間、その関係性のなかに、はじめて現象をそれぞれに想像し、リアライズする自分という「実在」がある。それが人間のリアリティというものではないか。
 この関係性という距離感こそが、個々人の想像力を生む。いや、想像力によってこそ、現象が自分にとってリアルになる、と言ってよい。だが、ステージや画面と観客の両者が微妙に溶け合ったとき、つまり仮想空間のなかに取り込まれたとき、個々の人間の持つリアリティはむしろ減少するのではないか。限りなくリアルに、という作業は、限りなく人間の想像力を失わせてゆくのではないか。リアルとは、個々人にとってのリアリティであり、どんな創作でも、それを受け取る側の想像力によって、それがリアルになるのだから。

 


 つまり、現実のように見える、あるいは感覚される事象を人工的に生み出すことは、人間から想像力を奪ってゆくのだ。それは、爆音によって、人間の「聴くこと」、つまり聴力を半ば暴力的に失わせてゆくことと同じではないか。仮想空間は、人間が自分を取り囲む社会、あるいは世界に対しての健全な距離感、すなわち関係性と想像力を脆弱にすることに他ならない。
 イヤホンで常にお気に入りの音楽を聴いている若者たちの姿を多くみかけるが、この人たちは、目の前の現実、自転車が横を通り抜けたり、背後から車がクラクションを鳴らしたりすることにいっさい無感覚である。自分だけの世界にどっぷりつかって、周囲の人々、物事に反応しない。自分のなかへの閉じこもり、引きこもり現象である。
 カップルが互いに寄り添いながら、それぞれに携帯でゲームなどをしているのも、よく見かけるが、いったい彼らはなんのために一緒に居るのか、不思議に思う。ここにもまた、関係性の欠如がある。関係性の欠如は、同時に想像力の欠如でもある。もはや彼らはコミュニケーション不要の不毛な世界のなかで、人工的に作られた仮想空間もしくは閉塞した世界に覆われて呼吸している(生きているのではない)のではないか。
 彼らは、物事、世界との関係性を自ら断ち切っていると言えよう。だが、「実在」とは、周囲との関係性をもってはじめて成立する人間存在のありようである。「個」が人間としての「個」であるためには、必ず何かや誰かとの関係性を持たねば、発現してこない。「孤独」がたったひとりでは決して感覚されるものではないように。

 ところで、私は先だって、盲目の音楽家たちについて、ある編集者と話していた。いったい彼らは「見えない」ことによって、どのように「立体というもの」「物の奥行き」を感覚するのだろうか、と私は彼女にたずねた。途中から失明するのではなく、生まれながらの盲目の音楽家たちについてのことだ。実は私は、彼らの演奏に、どうしても奥行きというものを感じる事が出来ず、それゆえ、その演奏について語ることができずにいた。先入観と言われればそのとおりで、ディスクでのみ聴けば、それが盲目の音楽家のものであるかどうか、わからないかも知れない。
 「彼らはどうやって奥行き、というものを知るんでしょうね。」と私は彼女に訊ねた。漠然と、触覚ではないか、とそのとき思っていたのだが、彼女は即答した。
 「関係性、ではないでしょうか。」
 私は感服した。それは、盲目の音楽家たちに限らない。人間全般の話であると納得したのである。
 母体の胎内ですでに生じている母体との関係性。生まれてすぐに持つ母親(あるいは母親のような人)との関係性。そしてそこから徐々に広がってゆく世界。その距離感、関係性によって、人は人たることになる。すなわち関係性の近さと遠さこそが、物事の奥行きを生み、世界を実感させるのである。本当のリアルとは、そういう実感のはずだ。
 であるならば、今、私たちは、どんどん関係性を遮断し、想像力を失い、あるべき人間世界の滅亡にむかってひた走っているのではないか。中身の虚ろな人型が、すべてのものや他の人型と等距離を守りつつ、空中をふわふわと浮遊している姿。爆音ライブや3Dにそんな懸念を私は持つ。もっとも、宇宙規模で考えるなら、地球そのものがそうした存在であろうけれども。
(9月30日記)


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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