MONTHRY EDITORIAL02

Vol.46 | 「壁はこえられるか」   text by Mariko OKAYAMA


 先日、朝日新聞(11月3日付け)に、「音楽は政治を変えるか」というタイトルで、指揮者チョン・ミュンフンのロング・インタビューが掲載された。
 ミュンフン率いるソウル・フィルの初来日公演についてはすでにこのコラムで触れたが、彼はこのインタビューで、個人的な夢として、北朝鮮の音楽家と韓国の音楽家が一緒に演奏する姿を見たい、と語っている。「音楽は、人々が壁を越え、自然な関係性を築くための最高の手段」で、「9月に北朝鮮を訪問し、きっとできると確信しました。」とも。
「音楽家は聴衆を説得できるけれど、政治家を説得することはできない。政治家はただ、私たちに演奏させてくれればよいのです。金大中元大統領の時代に、北朝鮮の楽団を招聘し、お返しに韓国の楽団が北朝鮮に行く、というプロジェクトがありました。でもそれは『政治』そのものです。互いの地で1回演奏しただけではコミュニケーションも何も生まれない。」  それでも、こうしたことが可能となったことは、ユン・イサンの時代を思えば画期的なことだ。ユン・イサンも北に行き、政治的発言を繰り返した事によりKCIAによってベルリンで拉致され、韓国の刑務所で死刑を待つ日々を送った。
 ミュンフンによれば、北朝鮮の楽団を彼が指揮することが自分の最優先事項ではなく、50人の北の楽員と50人の彼(南)の楽員たちが共に演奏することによって、100人の楽員が互いに少しの幸せを感じることができる。それが大きな変化を期待できるものではないにしても、この「少しの幸せ」の積み重ねが、やがて「大きな幸せ」をもたらす、と考えているようだ。楽員に限らず、聴衆もまた「少しの幸せ」を感じる事ができよう。
 だが、それがどんな聴衆であるかは、難しい問題ではないか。少なくとも北朝鮮の聴衆は、韓国の聴衆と異なり、一般民衆とはかけ離れた階層の一握りの人々に違いない。そのことを考えると、ミュンフンの期待はそうそう容易いものではなかろう。
 先般、このコラムでバレンボイムとサイードによるイスラエルとパレスチナ(だけではないが)の若者のためのワークショップ、オーケストラ・ディヴァンのことを紹介したが、このワークショップはその発足から今日まで継続されているもので、一回のイヴェントとは異なる。また、若い世代が音楽によるコミュニケーションを通して、互いを「知る」ことに重点を置くものである。
 だが、北の場合はこれとは異なる。互いを「知る」のは、楽員や幹部に限られよう。もちろん、特殊な階層の人々でも「互いを知る」ことは、しないよりましであるけれども。そうして、上層部の小さな変化が、やがて大きな変化を生み出すことができるかもしれない。  ミュンフンも、このあたりのことは考えているようで、若い世代にほかの社会に対してオープンな心を持つ若者を育てることが大事だと語っている。だが、どうやったらそれが北にとって可能だろう。彼は北への訪問によって、このことに対しても確かな手応えを感じ取ったようだが、現実はそう甘くないのではないか。
 ここに現れて来るのは、やはり教育の問題である。日本が戦時、そうであったように、「お国のためなら」とか「天皇陛下万歳」が、幼いころから刷り込まれていたことを考えると、どこかの時点で、民衆レヴェルの劇的な変化が起きなければ、幼少からの教育をくつがえすことは難しいのではなかろうか。たとえば東欧圏の崩壊は、いわば内圧と外圧がちょうど沸点に達してはじめて達成されたと言えるのではないか。

 


 ベルリンの壁崩壊後2年経った時、筆者はベルリンを訪れた。まだ東ベルリンと西ベルリンの相違がまざまざと残っていた頃だ。ブランデンブルグ門をはさんで、光に満ちたブランド・ショップの立ち並ぶ西の町並みは、門を過ぎるとたちまち暗い古ぼけたアパート群に変わる。だが、そのアパート群には、ちょうど手の平を空に向かって拡げるように、真っ白なパラボラ・アンテナが並んでいて、思わず胸を突かれた。東ベルリンの人々、とりわけ若者たちがこのアンテナを通して「知らない」世界に向い、精一杯手を拡げているようだった。筆者たちは最初、旧東ベルリンのホテルに、そして次に西ベルリンに宿をとったが、東は質素ではあるものの、中に入るとキッチンもついており、部屋自体もゆっくりした間取りで、おそらく外国人向けか、それなりの階級の人々が利用したものと思われた。一方の西は、いわゆる近代的なチェーンホテルで、趣味から言えば東のほうがしっくりきた。
 壁の崩壊の最初の一撃が、どんなものであったのか知らないが、少なくとも、若者たちの西の世界への興味と切望が、大きくその背を押したのではないか。壁に取りついて、打ち砕く若者たちの姿は全世界に流され、大きな衝撃と感動を与えた。それは自由への渇望の一つの姿だった。
 ところで、北朝鮮にそんな若者たちの存在があるのかどうか。偶像化された「金大統領」を「尊父」とあがめ、そうしたニュースしか流れない報道管制のもと、飢餓の中で耐える人々を思うと、やりきれない気持ちになる。
 ミュンフンはいま、自分たちが北朝鮮に対して現実的にしなければならないことを二つ挙げている。一つは人道的支援。飢餓の子供たちに軍に搾取されることなく食物を送ること。もう一つは文化やスポーツによる交流だと。
 食物が飢餓の子供たちに届くことは、現状では限りなく困難なのではないか。スポーツの面では北も南も共にオリンピックなどのパレードで行進して観客を喜ばせているが、果たしてそれが民衆レヴェルに共有されているかどうか。
 かつてG.クレーメルが主催するロッケンハウス音楽祭を取材に行った時、彼が東ドイツの若い演奏家たちを呼び、西側世界との通路としているのを見た。それが少人数であっても、そこから伝播してゆく情報は貴重で、あっという間に広がったろう。そうして東欧圏は次々に崩壊していった。それこそ蟻しか通れぬほどの道であっても、そこを吹く風はやがて大きなものとなる。それが民衆の力というもので、現在の中東情勢も同様である。
 音楽に何ができるか、という問いに、ミュンフンは「ほとんど何も」と答えるほかない、と言っている。だが、ほんの少しの音楽の幸せを信じるミュンフンの問題意識と今後の活動は、その意味で大きな可能性を持つのではなかろうか。


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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