Vol.16 | ドン・バイロン@メールス・ジャズ祭1992
Don Byron @Moers Festival 1992
(c) 横井一江 Kazue YOKOI

 1992年のメールス・ジャズ祭二日目のことである。
 休憩時間にプレステントに行くと、いつものことながら、そこかしこでジャーナリストや関係者がたむろしていた。ビールを飲みつつ、難しい顔をして他愛もないことを話しているのである。その日出演したミュージシャンについても俎上に上っている。その午後は、最終ステージに出演するドン・バイロンのプロジェクトがあちこちで話題になっていた。
 なぜドン・バイロンが話題の人なのか。ドイツ人の友人に尋ねた。彼曰く、黒人であるドン・バイロンがジューイッシュ音楽であるクレズマーをやるということに皆興味津々なんだ、と。確かに、現代社会において黒人とユダヤ人の対立がないわけではないだろう。しかし、単純な二項対立ではないはずだ。20世紀初頭のアメリカでは、東欧系ユダヤ人に対する白人(WASP)側からの差別があったことは知られていないのだろうか。そしてまた、公民権運動へユダヤ人の関わりがあったことは。もっとも、ユダヤ人の公民権運動への相対し方はまちまちであったことも確かだ。ましてや90年代にはその距離感はぐっと広がっていたといえる。とはいえ、あまりにも短絡的な見方である。ドイツ人はナチスドイツ時代の忌まわしい過去の記憶から、ユダヤというといささか神経質になり、反応がブレるのかもしれない。そういえば、ベルリンではユダヤ関係の書物を置いている店の前にも警官がいつもいたことを思い出した。
 ドン・バイロン・プレイズ“ザ・ミュージック・オブ・ミッキー・カッツ”というのが、そのプロジェクト名だった。メンバーにはクレズマテックスのリード・ボーカルのロリン・スクラムバーグ、デイヴ・ダグラス(tp)、マーク・フェルドマン(vln)、ウリ・ケイン(p)など。今見れば錚々たる顔ぶれだが、それぞれの活動で頭角を現すのはまだ少し先である。ステージではクレズマーの曲だけでなく、ポップ・ミュージックのイーディッシュ語替え歌がつぎつぎと出てきたのが面白かったが、そのプロジェクトの意味するところはよくわからないままだった。なぜなら、私はミッキー・カッツという人物が何者か知らなかったからである。それでも、戦前のニューヨーク・ユダヤ人コミュニティの音楽が現代的に甦ってきたようで、演奏は楽しかった。ところが、彼らの演奏が始まる時に降っていた雨はますます強くなり、落雷のために会場のテント内は停電。数分ですぐに復旧したが演奏が一時中断するというハプニングがあった。
 同年9月このプロジェクトでの録音が行われ、翌年CDが出た時に、遅ればせながらミッキー・カッツについて知ることになる。ミッキー・マウスに対抗するようなミッキー・カッツ(しかもCatではなくKatzにしている)という芸名の彼は、スパイク・ジョーンズのシティ・スリッカーズに在団していたこともあるノベルティ・ミュージック(冗談音楽)をやっていたミュージシャンであり、コメディアンだということもわかった。しかし、なぜドン・バイロンはミッキー・カッツを取り上げたのか。クラリネット奏者として優れていたこと、編曲の才、そしてまたミッキー・カッツがユダヤ人コミュニティに留まることなく、活躍した芸人だったということを彼は挙げている。ミッキー・カッツによるポップ・ミュージックのパロディは、例えイーディッシュ語であってもアメリカ人大衆を面白がらせた。開かれた音楽であったことと、その諧謔の精神にドン・バイロンは着目したように思う。現代のポップ・カルチャーにおける笑いの貧しさに対するアンチテーゼとして。毒は必要なのである。

 

 90年代はクレズマー・リバイバルが話題になった時期だ。日本でも梅津和時がベツニ・ナンモ・クレズマーを始めている。だが、ドン・バイロンのプロジェクト「プレイズ“ザ・ミュージック・オブ・ミッキー・カッツ”」をジューイッシュ音楽の文脈で語られるクレズマー・リバイバルのひとつに挙げることは無理があるだろう。彼がミッキー・カッツを取り上げ、そのミッキー・カッツがクレズマーに翻案したポップ・ソングで人々を笑わせ、楽しませた人物であったとしてもだ。ドン・バイロンはあくまでミッキー・カッツをテーマとして取り上げたのであり、それがクレズマーであったということは二義的なことにすぎないのだから。
 ドン・バイロンほど作品毎に異なったコンセプトを打ち出してくるミュージシャンも珍しい。しかも目をつけるところが、レイモンド・スコットやジョン・カービー、あるいはレスター・ヤングだったり、ジュニア・ウォーカーだったりと一筋縄ではいかない。クラリネット奏者としての巧者ぶりは言うまでもないだろう。ジャズ、ラテン、クレズマーから現代的な表現までジャンルの境界線を行き来する柔軟性とそれを可能にする技術がある。そしてまた、作曲のほうでも2009年にアメリカン・アカデミーのローマ賞を受賞している才人である。
 1994年のベルリン・ジャズ祭でもドン・バイロンの異なるプロジェクトを観る機会があった。その年のテーマのひとつが「言葉とジャズ」ということもあって、詩人サディクを含むファースト・アルバム『タスキーギー・エクスペリメンツ』の録音メンバーによるバンドでの出演。サディクは、表題となった詩やロドニー・キング事件にまつわる詩を朗読した。二日目の最終ステージだったこともあって午前一時を回り、聴衆もさすがに眠くなってきてウトウトする人もちらほら出てきた時のことである。ドン・バイロンが、「そんなに眠いのなら、眠れるような曲を演奏しよう」と言い、ピアノのウリ・ケインがジョージ・ウィンストンの曲の一節をさらっとピアノで弾いたら、会場は大爆笑。みんなの眠気が吹き飛んでしまうという一場面もあった。
 そのファースト・アルバム『タスキーギー・エクスペリメンツ』のタイトルとなったタスキーギー実験とは、1932年から1972年にかけて公衆衛生局が貧困層の黒人の梅毒患者に対し、病名を告げず、治療もせずにその経過を調べるために行われた悪名高い実験である。生存者に対する謝罪、クリントン大統領がそれを行ったのはなんと発覚後二十数年経った1996年になってからだった。彼は忘却の彼方に押しやられた事件をも引っ張りだす。社会的なテーマもまた取り上げていることからもわかるように、ドン・バイロンの視線は広く社会に向けられているのである。今では忘れられがちな音楽家(ミッキー・カッツにしてもレイモンド・スコットやジョン・カービーなど)を取り上げていることにしても、歴史を再検証しようという姿勢が垣間見える。それを抜群のスキル、そして諧謔味やエンターテインメント精神をもって聴かせ、教条的な押しつけがましさを感じさせないところがスゴイと私は思う。

横井一江:北海道帯広市生まれ。The Jazz Journalist Association会員。音楽専門誌等に執筆、 写真を提供。海外レポート、ヨーロッパの重鎮達の多くをはじめ、若手までインタビューを数多く手がける。 フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年〜2004年)。趣味は料理。

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