MONTHRY EDITORIAL02

Vol.47 | 「朗読の難しさ」   text by Mariko OKAYAMA


 私の敬愛する師が、重篤な病で、入院している。面会謝絶とのことだが、わずかの人だけが許されていると聞いた。そのわずかの中に入れてもらい、お見舞いに行った。さて、お見舞いに何を持って行ったらよかろう。食べ物も花も受け付けないとのこと。
 考えた末、寺山修司の分厚い全詩歌句集を抱えて行った。彼の詩集はどちらかというと過激で暗鬱なものが多い。「田園に死す」が有名だが、全集の最初の頁には、彼の写真と、自筆の詩が添えてある。

 ぼくは不完全な死体として生まれ
 何十年かかけて
 完全な死体となるのである
 そのときには
 できるだけ新しい靴下をはいていることにしよう
 零を発見した
 古代インドのことでも思いうかべて

 「完全なもの」など存在しないのさ

 この種の詩は寺山には多いけれど、病に伏せる人にふさわしくない。
 私は彼の少女詩集-抒情詩集から何編か選び、それを枕元で朗読することにした。この詩集は寺山にしては優しく、ナイーブな作品が並んでいる。私が選んだのは「海」と「目」と「ダイヤモンド」である。「海」は全部ひらがなで書かれているので、読みやすい。私は大きな声ではっきり、ゆっくり読んだ。「海」はそれで相手に充分わかりやすく伝わったが、「目」はなかなか難しかった。たとえば、

 目は灯台である
 心は孤独な航海者である

 というフレーズは、まず「灯台」という言葉や「航海者」という言葉に聴き手は立ち止まってしまう確率が高い。「とうだい」はその言葉だけ読むと、例えば「東大」や「当代」にもなりかねない。もちろん、文脈を追って理解してゆくのだから、まず、間違いはないだろうけれども。また「航海者」にしてもパッとその言葉を捕まえにくい。読み手は漢字を読んでいるのだから、わかるはず、という思い込みがあるが、聴き手にとって、とっさにそれを理解するのは困難ではないか。
 私は読みながら、これはなかなか難しい作業だな、と思った。次に読んだのは「ダイヤモンド」である。
 これは詩としては易しいものだが、やはり躓く部分があった。全文を引用してみる。

 木という字を一つ書きました。
 一本じゃかわいそうだから
 と思ってもう一本ならべると
 林という字になりました
 淋しいという字をじっと見ていると
 二本の木が
 なぜ涙ぐんでいるのか
 よくわかる
 ほんとに愛しはじめたときにだけ
 淋しさが訪れるのです

 ここで、ベッドに横たわる人は、「さびしい」というのは「寂しい」じゃあないんだね、と私に問うた。はい、「さんずい」の「淋しい」です、と私は答えた。そう、この「木」繋がりは、読み手にとっては文字によって当然判るものだが、聴き手にとってはすっと理解できるものではないのだ。たとえ明敏な聴き手であっても。

 


 私は朗読の難しさをつくづく思い知った。例えば吉永小百合などは、原爆の詩をずっと読み続けているが、聴衆にそれをそっくりそのまま受け取ってもらうには、そうとうの技術がいるだろう。
 私は、次は宮沢賢治を連れてきます。と言いおいて、病室を辞した。帰宅して賢治の詩や童話を読んでみたが、これが実に難しい。聴いただけで理解できる文章が少ないのだ。
まず難しい漢字が多い。これでは聴き手に伝わらない。私は苦吟して、溜め息をついた。 やれやれ、宮沢賢治とは、こんなに読みにくい(聴きにくい)文章の書き手だったのか、と。  聴いてわかる文章、とっさに意味を判断できる言葉は、漢字が多ければ多いほど難しい。文字面を追いかけるのと、まっさらなところから文脈を理解し、その言葉の意味を即座につかまえて了解するのとは、雲泥の差があるのだ。
 朗読とは、いわば口伝である。文字を持たなかった古代の人々は、口伝でのみ、固有の文化を継承してきた。それは高度な技術であり、代々、口伝の継承者は、いわば宗教的な祭儀を司る特別な存在として周囲にあがめられたりもし、世襲という形態をとることが多かった。
 そのような特別な存在でなくとも、例えばケルトの人々は口伝で文化を伝え、文字をもつ人々(ローマ)を軽蔑した。彼らにとって、文字の使用は安直なものだったのだろう。言霊と言われるように、文字を持たない人々には私たちの想像を越える、ゆたかな言語感覚があったに違いない。
 一方、文字文化を持つ我々にとって、日常の言葉で意味を即座に、無意識に把握することは、社会性と密接に関わる。幼児が言葉を身につけてゆくのは、同時に自分の周囲を理解してゆくこと、社会性を獲得してゆくことである。日本のように漢字、ひらがな、カタカナ、さらに横文字外国語を多用する言語を学ぶのは、他国に比べ、はるかに複雑ではあるまいか。
 小学生の子供が、テレビでバレーボールを観戦していて、「日本」は「にっぽん」と読むの、それとも「にほん」なの、と聞かれ、「にっほん」と声援するのは、なんとなくおかしいでしょう、その時、その時で使い方が変わるのよ、と答えたが、この例を取っただけでも、日本語の複雑さがわかろうというものだ。
 私たちは、何気ない普通の会話のときでも、音声を脳の中で瞬時に文字に変換しているのだろうか。それが文字を持つ私たちの文化なのだろうか・・・。
 ちなみに、チェ・ゲバラはゲリラの兵士たちに寸暇を惜しんで、文字や算数を教えた。 行軍で疲れ切った兵士が、「なぜこんなことをしなけりゃならないんだ」、と文句を言ったら、彼はこう答えた。「文字を知らないと騙される」
 ともあれ、複雑きわまりない日本語の、しかも詩歌を、一度の朗読で理解してもらうことが、どんなに難しいことか。聴くだけで、わかってもらえる言葉。さらに、その文脈、詩的世界を伝えること。その詩歌の深さ、豊かさを味わってもらうこと。それは歌曲の世界にも通じる。
 私の詩の選択がどういう意図のものであったか。それを知ってもらうことができたかどうか。私には心もとない。
 そういえば、子供の頃、枕辺で毎晩、母が本の読み語りをしてくれた。そのころの私がどれほど内容を理解していたかは、定かでないが、それでも、その楽しさはいまでも鮮明に記憶している。「ちいさなおうち」や「みずのことむ(水の子トム)」など。あの物語の世界は、夢のようでもあり、魔法の世界のようなものでもあった。おそらく、幼い私は母の説明とともにそれを聞き、ぼんやりと理解したのだろう。
 約束した宮沢賢治の詩は、まだ選べないでいる。


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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NEW1.31 '16

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#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
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COLUMN
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#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


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#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

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