MONTHRY EDITORIAL02

Vol.50 | 「伝統の力」   text by Mariko OKAYAMA


 歌舞伎座の改築にともない、新橋演舞場で開かれている二月大歌舞伎に久しぶりに足を運んだ。というのも、五代目中村勘三郎の息子勘太郎が、今回、六代目勘九郎としてその名を引き継ぐ襲名披露があったからである。
 夜の部には、新勘九郎の誕生を祝う口上もあり、幹部俳優とともに父、中村勘三郎、弟七之助も加わっての、豪華な舞台となった。片岡仁左衛門をはじめとする幹部の面々が平伏してずらりと舞台に並んだ姿は壮観で、それぞれに新勘九郎の幼い時のエピソードなども披露し、客席の笑いを誘った。
 夜の部の見所は何と言っても新勘九郎による新歌舞伎十八番の内の春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)で、所は江戸城の大奥。初春吉例のお鏡曳(ひ)きがとり行われ、将軍の御前で踊りを所望された小姓弥生(新勘九郎)が、なんども辞退したものの周囲の要望に気圧(けお)されて、恥じらいながらも、赤い袱紗や金と朱に彩られた扇子を使って可憐に舞うのだが、その清楚な美しさにはただただ賛嘆するばかり。とりわけ2対の扇子を用いてくるくると回したり、ひらひらと波打たせたり、素早く宙を飛ばせて持ち替えたりの巧みな芸、かつ華麗な舞には陶然とさせられる。和風イナバウアーとでも言おうか、きらびやかな衣装(それだけで充分重いのであるが)で、何度も弓なりにのけぞって見せるあたり、歌舞伎座さよなら公演のときの玉三郎の花魁を彷彿する。その身体のしなやかさ、柔らかさは日頃の精進の賜物であろう。この女形の舞はかなりの長丁場なのだが、途中黒子に顔の汗を拭いてもらうものの、息も上げず、あでやかに踊り切る。周囲に蝶々が飛ぶのを追いかけたり、獅子舞の小さな獅子頭を持ってカタカタと鳴らしてみせたり、小道具を使っての舞も舞台を引き立たせる。惜しかったのは扇子の一つを取り落としたことだが、わざとのこと、と思わせるくらい。無論、歌舞伎の通から見れば、大穴を開けたと見受けられようが、素人目には何でもない。
 さらに凄いのは、この弥生を踊って舞台から去った後、今度は獅子の精になって出て来ることだ。私は左手花道のすぐ側の桟敷席に居たのだが、床を引きずる長く白いたてがみ(?)を頭上に乗せて、花道に現れ、一度そのままものすごいスピードでタカタカと後ずさりしながら再び幕に引っ込んだときには、呆気にとられた。人間はこれほどの早さで長い距離を後ずさって駈け下ることができるのか、と目の前での瞬時の出来事に唖然としたのであった。
 中央に置かれた台座からダンと飛び降りる跳躍の型もすばらしいし、もちろん、巨大なたてがみを振り回してのダイナミックな獅子舞は、首がどうかなるのではないかと思う豪快さで盛んな拍手と掛け声が飛び交った。
 この大曲は前半の弥生と後半の獅子を一人の俳優が演じ分けるところに醍醐味があるが、それにしても大変なスタミナである。通からみれば、まだまだ未熟な芸なのだろうが、私はその初々しさを大いに楽しんだ。
 歌舞伎俳優の家に生まれ、幼い頃から踊りそのほかの芸事を仕込まれてはじめて現在の新勘九郎がある。弟七之助の言によれば、二人の初舞台は3歳と5歳の時という。音楽でいえば、幼少から才能教室に通うようなものだが、3歳、5歳でちゃんとしたステージに上がるのは、まあ、モーツァルトのようなものか。彼は3歳でチェンバロを弾き始め、5歳で作曲をし、6歳でマリア・テレージアの前で御前演奏をしたという早熟ぶりであったが、歌舞伎の場合、そういった早熟とはやや形が違うと思える。そこに「家」の伝統というものが大きく立ち現れてくるのだ。
 血は争えない、とよく言うが、血筋というものは、代々の芸の型を継承するための精進を怠らないではじめて可能となることだろう。そこには長く厳しい修練があり、それぞれの親の背を見てひたすら学んでゆく。芸を盗む、とも言われるが、諸先輩からの教えを受けつつ、自分の位置を自覚し、こうした節目を経て、一段と磨きがかかる。

 


 六代目菊五郎、祖父十七代目勘三郎、そして父勘三郎へと受け継がれたこの歌舞伎舞踊の大曲を見事に演じた新勘九郎に、伝統の底力を見る思いだった。この演目は六代目尾上菊五郎の踊りで見る事が出来る(http://www.youtube.com/watch?v=GSe7_QtQr0A

 ちなみに歌舞伎はその成立当初から支配階級に蔑視され、差別を受けながらも、市民階級の娯楽として芸能のトップの位置を占め、江戸の文化の粋として庶民から愛されてきた。だが、当時の幕府は、その芝居が卑猥であると(実際そうであったらしい)断じ、歌舞伎を弾圧し、天保12年(1814年)に火事で焼失した中村座と市村座の俳優たちは、再建にあたって浅草猿若町におしこめられ、ある種のゲットーでの居住を強制されたのであった。一般市民との交流も禁じられ、外出のときには編み笠をかぶるよう言い渡された。歌舞伎は、五代目市川団十郎が自嘲したように「錦きて畳のうえの乞食かな」という身分差別のなかで育ってきたのである。
 一方、これと対照的だったのが能楽で、武家の手厚い庇護のもと、盤石の地位を築いていた。能楽が高尚で歌舞伎は低級な娯楽、というイメージが覆され、伝統芸術として認められたのは明治後期で、以来、様々な変遷を経て今日に至っている。
 新勘九郎の襲名披露の舞台の客席には、彼と同年代の年若い男女たちが連れ立ってきている姿が目立ち、通常、中高年で占められる客層とは異なる華やぎがあった。これも、新勘九郎ら若手がジャンルを越えて現代演劇やテレビなどにも積極的に出演しているからだろう。
 隣の桟敷席では小学校3、4年生と見られる女の子が母親に連れられ、観劇していたが、ワーグナーのオペラばりの長時間(4時半開演9時すぎ終演)、途中、居眠りをしたにせよ、騒ぎもせず、舞台に見入っている姿には感心した。場内には、子供連れも結構見かけたから、踊りでも習っているのだろうか。
 伝統の継承は、俳優ばかりでなく、こうした観客の力が大きい。親に連れられて見た歌舞伎の魅力が記憶に残って未来の観客を作り出すわけで、昨今、クラシックやジャズでもキッズ向けのイヴェントが見受けられるようになったが、未来の聴衆の育成こそ大切で、それを掘り起こさねばどんな芸能、芸術も衰退の一途をたどることになろう。
 そんなことを考えながらの帰路、目の前を隣席の親子が歩いていた。少女が母の横をときにスキップしながら歩いてゆくのはいかにも微笑ましかった。(2月28日記)


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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