MONTHRY EDITORIAL02

Vol.51 | 「人間の絆」   text by Mariko OKAYAMA


 まだ寒さの残る3月初旬、ふと思い立って、久しぶりに奈良、京都への短い旅をした。目的は、奈良興福寺の仏像で、阿修羅はもちろんとして、主眼は国宝館に並ぶ仏弟子の数々の鑑賞であった。
 阿修羅は先般、上野で公開され、若い女性たちの間でも「可愛い!」「素敵!」と人気を呼び、長蛇の列であったという。私は、あるべき地から切り離されて展示されるのをあまり好まないので、いずれ奈良を訪れた際に見ようと思って先送りした。
 興福寺は、近鉄奈良線の奈良駅から、土産物の店がずらりと並んだ通りを抜けるとすぐである。私の関心は阿修羅の他、仏の十大弟子たちの立像であったので、これらの展示物のほかは、まるで覚えていない。
 奈良時代のものと言われる阿修羅は、やはり美しかった。その前で足をとめる観光客も4、5人であったから、ゆっくりと眺め回すことができた。なるほど、その面差しといい、すらりとした体躯といい、両手を胸にあわせ、あるいはその肘に何かを掛けるように、あるいは天を支えるように伸びた6本の腕といい、その絶妙のバランスは、なんとなくバッハの音楽を思わせるものがあった。腰から下の着衣の文様も繊細で、そのお顔にふさわしいものと思えた。残念なのは、正面を向いた角度からしか見られず、両面に彫られたお顔がどんなものであるのか、いくら横からのぞいても表情を読み取ることができなかったことだ。このときばかりは、その立像をぐるりと回してもらいたいものだ、と思った。
 さて、もう一つの仏弟子のほうは、6体あった。いずれも高名な仏弟子たちであったが、私が一番見たかったのは、羅睺羅(らごら/ラーフラ)という立像である。
 というのも、この羅睺羅は、ブッダの実子(そうでないという説もある)といわれる人物であったからだ。羅睺羅はその名の意味を「障害」あるいは「邪魔者」という。名の由来は、彼の父であるブッダが、王子の地位を捨て、両親、母子を捨てて城から脱け出した当夜に生まれでた赤子であり、解脱を求める自分の出奔を妨げる、ということから付けられたという。仏典によれば、生まれた赤子に情が移り、出家したいという自分の願望の邪魔になる、ということから、その名となったそうだ。
 つまり、羅睺羅は、ブッダにとって邪魔者であったのである。羅睺羅は父に捨てられた。 ちなみに、ブッダとは、もともと固有名詞ではない。当時、解脱した修行僧はすべてブッダと呼ばれ、複数いたのだが、彼は中でも抜きん出た存在となったので、ゴータマ・ブッダ(ゴータマ家のブッダ)、のちに、現在使われるような「ブッダ」という呼び名になった。なぜ抜きん出たかといえば、何より彼がカースト(階級)の階層にかかわらず、どんな人にも教えを説いたからで、その意味では当時の革新者であったのである。
 ともかく、慈悲を旨とするブッダが(彼が実際に語ったであろうとされる経典では、実は慈悲について、ほとんど触れられていない)、なぜ生まれたばかりの赤子と生んだばかりの妻を打ち捨て、城を出たのか、私にはひっかかるものがあった。さらに、羅睺羅などという、あんまりな名をつけて、さっさと自分は解脱を求めて家出(出家ではないというのが私の見解である)するなど、どう考えても身勝手ではないか。そんなことで、解脱もなにもあるまいに、と。

 


 もっとも、29歳で城を出たブッダは35 歳で悟りを得たのち、故郷にもどったおりに、羅睺羅をひきとり、修行の道へと導き入れた。つまり、一度捨てた子供を、再び自分の身元に引き寄せたのである。このとき、羅睺羅は10歳ほどの年齢で、祖父や祖母(ブッダの父母)、また母(妻)は、まだ年端もゆかぬ子供を修行の道に連れ出すことを大変嘆き、ブッダに抗議したという。
 いずれにしても私は、捨てられた羅睺羅がどんな姿形、顔立ちをしているのか知りたかった。彼は修行ののち、十大弟子に加えられたから、地位としては悪くない扱いを受けたのだろう。
 他の5人の弟子たちに比べ、羅睺羅は幼い表情をしていた。目も伏し目がちで(閉じているとも言われるが、私にはほんの少し開いているように見えた)、ひっそりと立っていた。袈裟は流れるようにすっぽりと身を包み、腕も手もその中に隠されている。わずかに眉根を寄せる表情が(そんな表情は、他の弟子たちには見られない)どこか悲しげに見えたのは、私の先入観のせいだろうか。
 羅睺羅は、自分がブッダの実子であることをよく自覚し、懸命に修行に励んだが、周囲の修行者たちに、ずいぶんと意地悪をされたという。清掃した地に、わざとゴミを撒かれたり、ポカリと頭を殴られたりなどなど。これもまた、修行者とも思われぬ所業で、人間とは業の深いものだ、とつくづく思う。
 私は羅睺羅を、ためつすがめつ見ながら、彼の生涯に思いを馳せた。
 ブッダは50歳のおりに侍者として選んだ阿南(あなん/アーナンダ)を溺愛し、常に行動を共にさせた。6体の中には、阿南と書かれた立像もあったが、その真偽のほどは定かではないとのことだ。ブッダに良く似た美形であったと聞く。
 昨今、親による子供の虐待や、我が子を殺めるニュースが後を絶たない。それは極端な例で、私はなにも、それと一緒くたにするつもりはないが、それでも、よりによって「邪魔者」などという名をつけられ、捨てられた子の悲しみや憤りは、いくらその後のフォローがあっても、拭えないものではないかと思う。羅睺羅のものとして遺された言葉に、そんなニュアンスは微塵もないけれども。
 一方で、東日本大震災以降、「絆」がしきりに強調されるようになった。誰もが、家族の絆を強く意識するようになったという。
 ブッダと羅睺羅の間にどのような父子の絆があったのか。人間の絆とは何なのか。羅睺羅を前に、そんなことを考えた旅であった。(5月5日/こどもの日に)

#阿修羅の立像 http://www.kohfukuji.com/property/cultural/001.html
#羅睺羅の立像 http://www.kohfukuji.com/property/cultural/118.html


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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