Vol.50 | 差別について | |
text by Masahiko YUH |
去る5月(10日)、シャンソン界の異色的な知性派として私の大好きな歌手、河田黎さんが「ハーレム」を披露するというので、永田文夫氏の演出による恒例の<春のポピュラー音楽祭2012>(三越劇場)へと出かけた。実は、河田さんはフランスのこれまた同様に特異なシャンソン歌手クロード・ヌガロ(Claude Nougaro)の作品を積極的に歌っている日本では数少ない歌手の1人。ヌガロといえば「トゥールーズ」のヒット曲がある通り、ジャズの盛んなトゥールーズ生まれ。当地のラジオから流れるユーグ・パナシェのジャズ番組を聴いてジャズに取り憑かれた彼は、長じてデイヴ・ブルーベックの有名な「トルコ風ブルー・ロンド」やセロニアス・モンクの「ラウンド・ミッドナイト」などのジャズ・オリジナルにユニークな歌詞をつけて歌うなど、ジャズへのアプローチで注目を浴びた。ヌガロは2004年3月に亡くなったが、河田さんがヌガロの「トルコ風ブルー・ロンド」などをみずからの優れた訳詩で歌った。早口言葉みたいな歌詞には驚いたものだ。この「ハーレム」もヌガロの詞をみずからの訳詩で歌ったものである。タイトルからはジャズ・ファンなら故チャールス・ミンガスが音楽を書いた映画を想起する人がいるかもしれない。
この「ハーレム」の原曲は「フォーバス知事の寓話」(Fables of Faubus)だ。いうまでもなくミンガスの名を内外のジャズ界に轟かせた、というよりジャズ・ファンの間に物議をかもした作品である。蛇足ながらミンガスは59年5月にCBSでの吹込でこの曲を演奏した。ところが、本来の意図とはかけ離れた結果に失望した彼は翌60年10月、社会学者でもある批評家ナット・ヘントフが主宰者となって発足したキャンディドへこの曲を吹き込みなおした。キャンディド盤のタイトルが「 Original Fables of Faubus )となっているのはそのためだ。
フォーバス知事とは、アーカンソー州リトル・ロックで1957年9月24日に起こった事件で悪名を歴史に残した、当時の州知事の名だ。事件は同地の中央高校に9人の黒人学生が入学したことが発端だった。このとき人種差別主義を標榜し、白人優位を主張して譲らなかった知事は、何と州兵を出動させ、市民に護られて登校する9人の入校を阻止する愚挙に出たのだ。しかし、世はすでにアンクル・トムの時代ではなかった。黒人たちは目覚めはじめており、差別と闘う機運が彼らの間に生まれつつあった。行き場を失った知事は時の大統領アイゼンハワーに助けを求めた。大統領がこれに応ずるはずはない。9人全員は大統領の派遣した国軍に護られて無事登校を果たした。袋小路に追いやられた知事はついに市庁舎の屋上からヘリコプターで脱出した。これがいわゆるリトル・ロック事件である。これを題材にしたのがミンガスの上記オリジナル曲だ。キャンディド吹込で、彼は知事を思い切り揶揄、嘲笑する。「馬鹿な奴だよ、フォーバスは」、と。「あの演奏が器楽演奏に終始し、もしミンガスが、土壇場で市庁舎の屋上からヘリコプター脱出をせざるをえぬ破目に追い込まれた知事の滑稽な狼狽ぶりを愚弄、揶揄する囃し言葉を用いなかったら、恐らく誰もこの演奏をプロパガンダ(政治宣伝)だと非難することなどなかったろう」(拙著『ジャズ〜進化・解体・再生の歴史』より)
55年も前の事件を蒸し返すことになったきっかけは、先ごろ来日公演をおこなった人気歌手レニー・クラヴィッツが,昨年発表した新作『ブラック・アンド・ホワイト・アメリカ』( Roadrunner /ワーナーミュージック・ジャパン)を聴く機会があり、そのタイトル曲「黒と白のアメリカ」を聴いて考えさせられたからだった。ちなみに、クラヴィッツは1964年5月26日生まれで、89年のデビュー・アルバム発表以来グラミー賞の常連となるなどポピュラー音楽の世界で変わらぬ活躍を続けているスターの1人だ。
さて、タイトル曲の「ブラック・アンド・ホワイト・アメリカ」で、彼は次のように歌い出す(対訳:染谷和美、日本盤解説書より)。
マーティン・ルーサー・キング 彼には先見の明があった
それは事実 彼が死んだ今だからわかる
それが彼の使命だった、ということが
だから後ろを振り向くな 分け隔てなどない
1955年のローザ・パークスによるバス乗車拒否を契機に始まったバス・ボイコット闘争を指導し、公民権運動のリーダーとして一躍その名を全米に轟かせたキング牧師の運動のクライマックスが、63年8月のワシントン大行進である。翌64年7月に人種差別撤廃をうたった公民権法成立の最大の力となったのが、この間に後ろを振り向くことがなかったキング牧師の信念と行動力であり、「私には夢がある」と20万人のデモ参加者を前に語ったこのときの演説だったことはいうまでもない。クラヴィッツはこの歌の冒頭で,キング牧師の「先見の明」にもとづく信念と行動があったからこそ今の自分たちがおり、彼の死(68年4月4日、メンフィスで凶弾に倒れる)後40年以上が経ち、黒人の大統領が誕生するまでに変化した時代のまっただ中にいる今だからこそ分かる、と歌うのだ。ちょうど神がイエスを世に遣わしたように、その使命を果たすべく選ばれた人がキング牧師だった、と。クラヴィッツにいわせれば,おかげで黒人と白人との分け隔てがない時代が到来したのだ。
この歌はいわばクラヴィッツの覚悟を披瀝したものだろう。つまり、キング牧師を初めとする多くの同胞たちの犠牲の上に達成された今日の分かち合う社会を、再び血で染めてはならないとの決意。
未来はどうやら,もう巡ってきているようだ
俺たちはようやく見つけたのかもしれない 分かち合える大地を
俺たちはひとりの父親の子供たち
後ろを振り返っているなら 無駄だからやめておきな
ここは黒と白のアメリカ
キング牧師があの日想い描いた夢。「ジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちと奴隷主の子孫たちとが,兄弟愛のテーブルに着くことができる」日を。「肌の色によってではなく,人格の高潔さによって評価される国に住めるようになる」日を。そして,「アラバマ州においても、いつの日か幼い黒人の少年少女たちが幼い白人の少年少女たちと手をつなぎ,兄弟姉妹として歩けるようになる」日を。現在のアメリカ合衆国がキング牧師の夢を叶えることができているかといえば、それを肯定する自信は私にはない。1例を引けば、1991年3月3日、スピード違反でロス市警に逮捕されたロドニー・キングという黒人が、20人以上の白人警官に激しい暴行を受けた事件。このとき1人の住民がヴィデオカメラで無抵抗のキングを激しく殴打する場面を撮影した映像が明るみに出て、ロスの人種暴動として全米注目の的になった。
ところが、翌年の裁判で全員白人の陪審員が警官を無罪とする評決を下したことが黒人たちの怒りをよび、全市を揺るがす暴動へと発展した。これで果たしてアメリカが、クラヴィッツのいう白人と黒人が「分かち合える大地」となったといえるのだろうかと、首を捻らざるを得ないからだ。去る3月にもフロリダ州で無防備の黒人少年(17歳)が自警団長のヒスパニック系白人男性に射殺される事件が起こっている。このときも正当防衛を主張する白人の言い分が通って釈放された。だが、立場が逆だったら間違いなく黒人が逮捕されていたとの指摘に触れれば、クラヴィッツの主張は急ぎ過ぎていると思わざるをえない。
しかし、彼は言う。「後ろを振り返っているならやめておきな、ここは黒と白のアメリカ」なのだ、と。後ろを振り返ることをやめ、ひたすら前進するしかない、と彼は覚悟を決めているのだ。諦観ではなく、キング牧師や、マルコムXや、マックス・ローチや、チャーリー・ミンガスらがみずからの血を流したりして献身してきた黒人の歴史の真実を信じて歩むことに、明日を見出そうとしているのだろう。闘志は内に秘めながらも、いたずらに現実の虚相に振り回されない、新世紀を代表する黒人の思考、あるいは世界観に触れる思いだ。
中ほどの第2節では次のように歌う。
1963年に
おれの父親は結婚した
相手は黒人女性
ふたりで街を歩けば
身の危険を感じた
なんてことをしてくれたんだ、と
しかし彼らはひたすら前へと歩き続けた
手に手を取り合って
63年はワシントン大行進の日であり、確かに黒人差別への抗議が全国的にもりあがって、まもなく人種暴動やブラック・パワー運動などで世の中が騒然となりつつあったころだ。
彼の母親はバハマ系のアメリカ黒人でキリスト教信者。父親はウクライナ系ユダヤ人の白人でユダヤ教信者。「なんてことをしてくれたんだ」とは両親の身内や親戚の非難でも嘆息でもあろう。しかしレニーは前を向いて肯定する。「手にてをとって前へと歩き続けた」両親を讃える。
「僕の母はふだん人種の話をあまり持ち出さなかった。何しろ僕の家族自体がカラフルだったからね。でも5歳の或る日、母がお前はアフリカン・アメリカンの黒人であると同時にウクライナ系ユダヤの白人でもある。だけど、たぶん世間は黒人の血が入った見てくれから、お前に必ずや黒人というレッテルを貼りたがるはずだからねって。それはその後の僕の人生に常に付き纏ってきた問題だった(増淵英紀氏のライナーノーツより)」。
さらにこうも付け加えている。「もし僕自身に人種に関して」質問事項が手渡されたとしたら、マークシートのボックスには白人と黒人の両方にチェックを入れることになると思う」(同ノーツ)。ジョシュア・レッドマンにしても恐らく同様の考え方を披瀝するのではないかと想像するが、黒人差別が当たり前だった一昔前、たとえばダイナ・ショアのように黒人の血が一滴でも入っていれば黒人と判別されて天と地がひっくり返るような差別を受ける悲劇が表面的にはなくなり、白人と黒人が「分かち合える」時代を迎え、5、60年代に逆戻りすることがもはや想定外となったことを、クラヴィッツ同様に喜ぶべきなのだろうし、「使命」を賭して闘ってきたキング牧師の先見の明を讃えてさらに前進するのが現代を生きるアメリカ人の使命であり、黒人を差別していたことを含めてあの時代を”古き佳き時代”と錯覚している白人たちに対しては「手に手をとって前へ進もうと、クラヴィッツのこの「ブラック・アンド・ホワイト・アメリカ」は呼びかけているのだろう。
時代は進む。過去へ戻ることはできない。6年前の1月26日、当時のフランス大統領だったシラクが「5月10日を奴隷制廃止の記念日に定める」と宣言し、植民地支配を認めた法律の削除を決定したとの報が伝えられたときも、時代は進んでいると痛感させられた。このとき「栄光も影の部分も含むすべての歴史を受容してはじめて偉大な国家たる格を持つ」と演説したというが、まるで相撲を愛してやまなかったシラクらしい日本に向けたメッセージのように聞いたことを思い出す。フランスはスペイン、ポルトガル、イギリスらについで17世紀初頭から奴隷貿易を開始し、アフリカ人をカリブ海のマルティニクやグアドループなどの自国植民地に移送した。フランス革命後に廃止した奴隷制を復活させたのはナポレオンだが、1848年に正規に廃止した(ただしアルジェリアを植民地化する策に動いた。なお、イギリスは1833年に廃止。ちなみに、米国ではこの年、フォスターの『黒き歌人の歌』が出版され、ミンストレル・ショーの全盛期を迎えつつあった)。
しかし、人種差別に限らず、差別問題は一筋縄にはいかない。不法移民の問題も絡む。たとえば、圧倒的多数の白人が支持する「ティー・パーティー/茶会」は不法移民も黒人もまるで同一根のように扱い、黒人大統領のオバマを追い出そうとする人種差別主義団体と非難されたりする。移民を受け入れる総合的かつ正統的システムがないとしばしば非難される日本のことを考えれば、私がとやかくは言えない。3ヶ月ほど前に、「1923年、米国議会に日本人移民への差別的な法案が出されたことを、「『排日移民法』と闘った外交官」(藤原書店)を紹介した新聞記事(3月4日朝日新聞掲載)の中で知った。対米移民の増大を恐れた提案者の米政治家たちの措置だった。執筆記者が指摘している通り「有色人種への差別意識がかなりあった」のだろう。
人種差別はむろんだが、差別問題の闇は深い。先ごろ、「被差別部落出身の町役場の職員を辞めさせよ」と被差別部落出の自分に宛てて差別はがきを出し続ける部落民をドキュメントした『どん底〜部落差別自作自演事件』(高山文彦著)という新書まで出た。不合理な差別をなくしたいと願ったこの職員はなぜ差別はがきを出し続けたのか。人間の心の闇をのぞいた気分だ。
ところで、クロード・ヌガロが書いた「ハーレム」の詞は、ミンガスが演奏した「フォーバス知事事件」とはまったく無関係な内容だった。「トルコ風ブルー・ロンド」も例外ではなかった。すると、ヌガロがこれらを取りあげた真の理由は何なのだろう。機会があれば、時を改めてアプローチしてみたいと考えている。(2012年6月11日)
悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。
追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley
:
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣
:
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi
#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻
音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美
カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子
及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)
オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美
ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)
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#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義
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#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄
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