MONTHRY EDITORIAL02

Vol.54 | 「笑って歌う仏教伝統の智慧」   text by Mariko OKAYAMA


 先日、朝日新聞の「ひと」欄で、「仏教落語」に取り組む上方落語家、露の団姫(つゆのまるこ)さんのことが紹介されていた(10月18日付)。ちょうど、『笑う親鸞/楽しい念仏、歌う説教』(伊東乾著/河出書房新社)という本を読んだばかりだったので、ああ、これは「節談説教(ふしだんせっきょう)」のことだな、と思った。
 「節談説教」とは、仏の教えや種々のエピソードに節をつけて物語りつつ、その中にさまざまなギャグを入れてお客を笑わせ、泣かせる説教のことである。浄土真宗の伝統的な説教スタイルの一つで、落語、講談、浪花節といった寄席芸は、もともとこの「節談説教」からはじまったそうだ。聴き手である門徒衆は、このギャグや説法に共感、感銘を受けると「なまんだぶ なまんだぶ」と小声で唱える。これを「受け念仏」というが、話が「ウケる」とは、そもそもここから始まったという。
http://www.youtube.com/watch?v=7p_ZDe9EfOc
http://www.jiin.or.jp/douga/fusi.htm
上記のサイトでも、説法の間に「なまんだぶ」の小さな声が重なって聴こえるのが確認できる。
 まるこさんは、江戸時代に上方落語をはじめた元僧侶、初代露の五郎兵衛の存在を通して仏教と落語のつながりを知ったとのこと。笑いで庶民に教えをひろめたという人物である。高校生の頃、あるトラブルで自殺まで考えた時、法華経にあって心を救われ、生きる勇気をもらい、昨秋、出家し、この道を選んだそうだ。僧衣をまとっての高座は初々しく、まだ26歳と若いから、現代の説教師としても大いに注目される。
 ところで、『笑う親鸞/楽しい念仏、歌う説教』だが。著者、伊東氏は、1965年生まれの作曲家・指揮者であり、ベルリン・ラオム・ムジーク・コレギウム芸術監督を務める一方、作家として『さよなら、サイレント・ネイビー』で第4回開高健ノンフィクション賞を受賞したマルチ・アーティストである。
 彼は、ひょんなきっかけから「節談説教」にのめり込み、名人といわれる説教師たちのライブに接し、フィールドワークをするうち、そこで知り合ったお寺の住職から、西暦2011年親鸞上人750 回御遠忌(ごおんき)の「お待ち受け大会」のための合唱曲の作曲をもちかけられた。このとき、彼の頭に浮かんだのは、念仏、和讃(お釈迦様やさまざまな仏、菩薩への讃歌を七五調のやさしい日本語で歌うもの)、お経、声明(しょうみょう/お経のコーラス)、雅楽、能楽をフルに生かし、実際の真宗の法会(ほうえ)としてオーソドックスかつユニークなもの、「雅楽法会」を創ってみたい、というアイデアだった。
 その実現にあたり、彼が重視したのは、法会を実施する場、真宗大谷派名古屋別院本堂のなかでの読経や念仏、雅楽の響きを細密に調べることだった。すでにホームグラウンドのクラシックの領域で、教会やオペラハウスの音楽の立体的な響きを調べる方法を手にしていたことから、それを応用して詳細なデータをとった。事前にさまざまな真宗寺院の本願寺様式のお堂の音響を精査し、その建築様式が声と楽の器として見事に機能していることを彼は実感していたのである。
 この法会のクライマックスは、雅楽伴奏による全員参加の「正信偈(しょうしんげ)」(浄土真宗門徒なら誰もが毎日唱える親鸞が作った和製のお経)と「念仏和讃」を本堂全体に響かせる、というところにあった。
 だが、法要前日のそのクライマックスのリハーサルで、一つ問題が起きる。内陣の阿弥陀仏の真ん前、ご本尊に向かって「正信偈」と「念仏和讃」を唱えるリーダーの声が、広間中央に座して伴奏の主役をする笙の奏者に届かないのだ。笙は自分の顔前で楽器を響かせるから、自分の出す音が耳に入り、遠くの音声を聴き取るのが難しい。聴こえない声の伴奏はできないのである。

 


そこで彼はあらかじめ採ってあった音響データに基づき、リーダーを含むお坊さん群を広間中心に近い位置まで下げた。こうして広間の真ん中近くで歌うリーダーの声は、内陣に響きが逃げず、堂内全体に共鳴するようになり、笙を吹きながらでも十分大きく響くようになったのである。
 伊東氏はこの光景を目にして「これって<平座(ひらざ)の法要>ですよね。---堂内みんなが聞法(もんぽう/真理を聞く)できる、という意味では、本義にかなっているんじゃないかと・・・」とお坊さんたちに問いかける。つまり親鸞の説く、人みな平等の精神にのっとったスタイルになったということなのだ。すると一人の住職が「いやいや、<平等覚(びょうどうがく/一切を平等に見る心)に帰命(きみょう/心から信じる)せよ>だよ、ハッハッハ」と応じた。
 仏典を読み、法要や建築の歴史にあたり、測定装置まで持ち込んで堂内の音響を調べ、出来る限りを尽くしてみて、最後に出てきたのが実にシンプルな原則、しかも浄土真宗の教えの本質とも言うべき「平等覚」だったとは。と、伊東氏は感激するのである。
 このクライマックス、本番当日の「清浄楽法会」では、満堂800人の人であふれかえり、お坊さんや門徒さんたちの唱える「正信偈」の声と言葉が、お堂全体、塊のようになって、あらゆるところから押し寄せて来たという。それは彼の想像を超え、はるか親鸞の時代の念仏の威力をまざまざと思い知らされるものであった。
 親鸞は、師である法然の、ただ念仏を唱えれば誰もが浄土にゆける、という教えからさらに一歩踏み込んで、善人でさえ往生できるのだから、まして悪人はいうまでもない、と明言して物議を呼び、流罪ともなった人だが、それでも彼を慕う民衆の数は行く先々でふくれあがり、とどまることを知らなかった。親鸞は美声であった。彼を囲んでの群衆の念仏の声と言葉は、どれほどの迫力であったろう。その宗教的恍惚は、巷の民衆の心を鷲掴みにするものだったと思われる。それだけに危険もあり、弾圧も激しかったのである。
 さて、大成功に終わった「清浄楽法会」のしばらくのち、伊東氏はこの平座の法会が、真宗にとって大切な50年、100年区切りの御遠忌などで行われる大規模な法要での「出内陣」の設営とほとんど変わらないことを知らされる。多数のお坊さんが参加するため、内陣に人が入りきらないことから、本堂のど真ん中、大間の中央まで内陣を張り出すスタイルを「出内陣」と呼ぶそうだ。つまり、現代科学技術を駆使して探り当てた「もっともよい響き」は、実は長年行われてきた大法要とおなじ形態だったのである。人間の智慧というものの奥深さを改めて感じさせられる話だ。
 節談説教にしても、出内陣にしても、そこにあるのは人間の智慧の結集である。文字を知らない民衆に、笑いと歌を通してわかりやすくお釈迦様の教えを説くこと。あるいは、集った人々全員で等しく、念仏、和讃をとなえる一体感。そこには過去も現代もなく、一つの真理が筋を通して一本貫かれている。すなわち、いかに多くの人々を極楽浄土に導くか。それが法然や親鸞の説く浄土真宗の要ということではないか。私は仏教徒でもなんでもないが、そう思う。
 中高生のいじめによる自殺が相次ぐなか、まるこさんは「落語を通すことで、仏教をわかりやすく伝えてゆきたい。一人ひとりの命が生かされている宝物だと知ってもらいたい」と語る。
 お釈迦様は、あらゆる生きとし生けるものに幸いあれ、と説いた。生きとし生けるものすべてを尊ぶ仏教が、9・11テロに象徴される殺戮と報復の図式に新たな変革をもたらすことができれば、と私は心ひそかに期待するものである。


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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COLUMN
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by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
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