音の見える風景  


Chapter29.サド・ジョーンズ
撮影:1968年7月、新宿紀伊国屋ホールにて
photo&text by 望月由美




 1968年、この頃の新宿は熱かった。新宿を中心にジャズが動いているさなかのことである。例によって夜毎、DIG、木馬、新宿ピットインあたりをハシゴするのが慣わしとなっていた7月のある夜、新宿ピットインの入り口に「サド・メル・オーケストラ急遽出演」の貼り紙が貼られているのを見てびっくり仰天したことが今でも脳裏に焼きついている。インターネット等ない時代であったが、サド・メルが紀伊国屋ホールのステージに立つという情報は口コミだけで新宿界隈のジャズ好きには、あっという間に広がり、紀伊国屋ホールは熱気にあふれていた。
 当夜のネガを見てみるとボブ・ブルックマイヤーにジミー・ネッパーのトロンボーン、ガーネット・ブラウンもいる、ジェリー・ダジオン、ジェローム・リチャードソン、セルダン・パウエル、エディ・ダニエルス、ペッパー・アダムスという豪華なリード陣など眼を見張る達人たちが写っている。トランペット・セクションには新星リチャード・ウィリアムスもいる。ピアノがローランド・ハナ、メル・ルイス(ds)、ベースは稲葉国光さんがしっかりネガに焼き付けられていた。稲葉さんはリチャード・デイヴィス(b)のトラだったという。そしてフリューゲルホーンと指揮のサド・ジョーンズ。ステージ狭しと動き回り指揮をとるサドの手は魔法のように音を自在に動かし色を塗ってゆく。17名全員が音を出す喜びを全身であらわし音に乗せこれがジャズだ、というメッセージを矢継ぎ早に発散する。ブッキング・トラブルに見舞われてやっと実現した臨時のコンサートだったというが、スイングっていうのはこういうふうに表現するんだ、とサドは軽快にダイナミックに身体で音を動かす。

 マリガンの「コンサート・ジャズ・バンド」の粋なアンサンブルとカウント・ベイシーゆずりの、猛烈なスイング、一騎当千のソロイストたちのパフォーマンスが「サド・メル」の魅力、そしてさらに視覚的にもサドの指揮ぶりからジャズが匂い立ってくるようだった。ソロまわしのあいだ絶えまなく湧き上がるメンバーの笑顔もジャズそのもので、「サド・メル」は目で楽しみ身体で感じる音楽だった。そして音の洪水。「サド・メル」初来日時の騒動の顛末は相倉久人さんの「至高の日本ジャズ全史」(集英社新書)に詳しく記されている。
 「サド・メル」はジェリー・マリガンの「コンサート・ジャズ・バンド」が母体だったといまでもそう思っている。双頭リーダーのメル・ルイス(ds)はスタン・ケントンを経てマリガンの「コンサート・ジャズ・バンド」のドラムを担ってきた生粋のビッグ・バンド・ドラマーだし、ボブ・ブルックマイヤー(btb)も「コンサート・ジャズ・バンド」の主軸メンバーだった。マリガンをプロモートしていたノーマン・グランツが一時、興行の仕事から手を引いたこともあって「コンサート・ジャズ・バンド」の経営が難しくなり自然消滅したのが1963年頃で、メル・ルイスも当然フリーとなる。丁度このころサド・ジョーンズもカウント・ベイシー・オーケストラを退団、二人が中心となって結成したのがサド・メルの母体となるリハーサル・バンドで1965年ごろから「ヴィレッジ・ヴァンガード」に月曜日の夜、出演したのがことの始まりだったようだ。

 サド・ジョーンズは1923年3月28日ミシガン州ポンティアックの生まれ、兄ハンク (p)、弟エルヴィン (ds)とポンティアックのジョーンズ3兄弟と呼ばれていた。トランペットは独学でマスターし、16歳のときにはすでにプロとして演奏していたそうである。その後、軍隊に入り軍楽隊に所属、米軍の音楽学校で勉強する。除隊後1954年にカウント・ベイシー・オーケストラのメンバーの一員となり1963年、カウント・ベイシーが初来日をする直前までの10年間ベイシー・オーケストラの一員としてベイシーの第2期黄金時代を過ごす。サドが在籍した10年間はベイシーがモダンに変革した時期でヴァーヴやリプリーズなどに名盤が沢山残されていて、サドも『エイプリル・イン・パリス』(Verve)での<コーナー・ポケット>などの名演でベイシー・オーケストラのスター・プレイヤーの1人となっている。個人的にはベイシー・オーケストラのピックアップ・メンバーによる『カンザス・シティ・セヴン』(Impulse!) でのサドが好きだ。

 

 サドはベイシー・オーケストラに在籍中もブルー・ノートやピリオドなどにリーダー・アルバムを録音するなどいろいろな創作活動を行っているが、なかでも素晴らしいのはジョーンズ3兄弟が一堂に会してのセッションの数々である。その代表的な作品はレナード・フェザーが監修した『Keepin' Up With The Joneses』(metrojazz)で、仲のよい3兄弟の打ち解けたやりとり、楽器を通しての対話が楽しい。因みにジャケットにはサドのお嬢さんを兄ハンクが抱き、弟エルヴィンがサドの坊やを膝の上において3兄弟がテーブルをかこんでいるという写真が使われている。ほのぼのとした温かみのあるジョーンズ家を描写していてジャケットをながめているだけでも楽しい。
 また、3兄弟が揃っての演奏ではエルヴィンの諸作でもしばしば聴かれるが、なかでも『ELVIN!』(Riverside)はサドの曲が中心となっていてサドの作編曲がモダン・ベイシーといった趣きでエルヴィン、ハンクの素晴らしいプレイを引き出している。勿論サドのソロも素晴らしいし、永年の愛聴盤である。LPに針をのせA面1曲目<Lady Luck>、エルヴィンのブラッシュが滑りだすとほっとする。3兄弟がもっとも身近に感じられる瞬間である。

 1977年の10月、突如サドはコペンハーゲンに移住してしまい、デンマークの女性と結婚したという話である。デンマークでは「Danish Radio Big Band」の育成に貢献している。一方、サドがいなくなったあとの「サド・メル」は「メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ」と名義を変更して継続する。因みに1990年にメル・ルイスが亡くなった後は「ヴァンガード・ジャズ・オーケストラ」として引き継がれている。
 1984年4月26日、カウント・ベイシーが亡くなった後、ベイシー・オーケストラのニュー・リーダーに指名されたサドはアメリカに戻りベイシー・オーケストラを指揮することになる。そして1985年の秋にサドは「ザ・カウント・ベイシー・オーケストラ」を率いて来日する。カウント・ベイシー本人から“スウィフティー”のニックネームを与えられていた「ジャズ喫茶ベイシー」の菅原昭二さんとタモリさんはこの新生「ザ・カウント・ベイシー・オーケストラ」の日本での第一声を赤坂プリンスホテルで聴いたのだそうだ。菅原さんの著書「ベイシーの選択」(講談社)、「聴く鏡」(ステレオサウンド)にはこの辺のいきさつから菅原さんとジョーンズ3兄弟との親密な交流が随所で語られていて読めば読むほどにサドの音が面白くなってくる。

 サドはその翌年の1986年8月21日、63歳で他界、「ザ・カウント・ベイシー・オーケストラ」はベイシー時代からの盟友フランク・フォスターに引き継がれ、以降グローヴァー・ミッチェル、ビル・ヒューズ、デニス・マクレルと続いていて今年で通算78年になるという。
 サドは3兄弟のなかで一番早く、来日から1年もたたないうちに逝ってしまったことになる。弟エルヴィンは2004年の1月、「新宿ピットイン」恒例の新春「エルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーン」に出演途中病に倒れ、半年もたたない5月18日に帰らぬ人となる。長兄ハンクが最も長生きしたが、そのハンクも2010年2月24日、東京のソニー・スタジオで「ラスト・レコーディング」(Eighty Eight’s)を録音したあとニューヨークに戻り5月16日、91歳の生涯を閉じている。いま思うと、まるで3兄弟夫々が日本に最後のお別れに来ていたように思えて感無量である。
 サド・ジョーンズはベイシー・オーケストラ、サド・メルそしてジョーンズ3兄弟の音楽を通して、ジャズっていうのは耳だけで聴くんじゃないよ、勿論、音がなけりゃ始まらないけど、眼からも皮膚からも感じとるのがジャズなんだよということを教えてくれたような気がする。


望月由美

望月由美:FM番組の企画・構成・DJと並行し1988年までスイングジャーナル誌、ジャズ・ワールド誌などにレギュラー執筆。 フォトグラファー、音楽プロデューサー。自己のレーベル「Yumi's Alley」主宰。『渋谷 毅/エッセンシャル・エリントン』でSJ誌のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>受賞。

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#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


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by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


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