MONTHRY EDITORIAL02

Vol.56 | 「ワーグナー&ヴェルディ生誕200年」   text by Mariko OKAYAMA

元旦を飾るウィーン・フィルハーモニーのニュー・イヤー・コンサートをTVで見ていたら、おなじみのシュトラウスやランナーらのワルツやポルカに混じり、ワーグナーとヴェルディの作品が演奏された。今年が彼ら二人の生誕200年にあたるので、初登場となったわけだ。方やドイツ、方やイタリアと、二人とも傑出したオペラ作家だが、とくにワーグナーは、『トリスタンとイゾルデ』に見られる無限旋律や革新的和声法で、従来の調性音楽の枠を越え、近代への道を拓いた音楽家として歴史的な位置を占めている。自作上演のために、バイロイトに専用の祝祭劇場を創ったのも破格な話で、毎夏行われるバイロイト音楽祭には世界中からワグネリアンが集まり、ワーグナーの世界にどっぷりと浸かるのである。
 ワーグナーが、小やみなく降る雨のなか、この祝祭劇場の礎石をハンマーで3度たたき「わが礎石に祝福あれ、久しく、強く持ちこたえよ!」と唱えたのは1872年の5月。59才の誕生日のことであった。そうして4年後の8月、こけら落としの『ニーベルングの指輪』初演の日、この小さな田舎町は大変な賑わいとなり、街角では、ワーグナーの肖像入りネクタイや、ニーベルンゲン帽などが売られ、レストランには「ラインの黄金」と名づけたワインまで出現したという。
 以来、祝祭劇場は「久しく、強くもちこたえ」、今日にいたっているのだが、もちこたえるにあたっての妻コジマ(リストの娘)の執念はすごかった。1883年、ワーグナーの死に際し、まだ45才だった彼女は、嘆きのあまり共に死ぬことを願い、5人の子供たちに遺書まで書いたのだが、その夏の『パルジファル』が夫の演出とかけはなれたものとなったのを知るや否や、ここは私が「正統」を守らねば!と、猛然と立ち上がったのである。そして1906年、総監督の座を息子ジークフリートに譲ったあとも、93才で亡くなるまで、バイロイトの女主人として眼を光らせた。総監督は、ジークフリートのあと、その次男ウォルフガングに受け継がれ、現在はウォルフガングの二人の娘が務め、バイロイトの伝統を守る一方、大胆な革新をも行っている。ワーグナーは良き妻と子孫にめぐまれた、と言えよう。通常、音楽祭のある7、8月しか使われない祝祭劇場も、今年は特別イヴェントが目白押しで、メモリアル・イヤーを盛り上げている。
 
 私のバイロイト体験は、もう20年以上も前のことだが、記事を書く事を前提に、新聞社が手配してくれたチケットで連日5公演、観劇できたのは幸運だった。チケット入手は申し込み抽選制で通常10年がかり、と言われる。かぎりなく狭き門なのである。
 バイロイトは、8月ともなると、ちらほらと紅葉もはじまり、空気もひんやりと清々しい。レンガ色の荘厳な祝祭劇場は、広大な庭園の高台に立っており、午後4時、開演を告げるトランペットがバルコニーから鳴り渡ると、麗々しく着飾った紳士淑女が、緑の木立のあちこちから、手を携えて三々五々集まって来る。そのきらびやかで優雅なこと、宮廷映画のワンシーンでも見るようだ。2回の休憩時間(各1時間)は、庭園に散在するカフェやレストランで、シャンパンやビール、ワイングラスを片手にソーセージやケーキをパクつく。ワーグナーのオペラは、やたら長い。固い木製の座席は、やたら痛い。したがって、体力、気力をここで養っておかねばならないのである。終演は11時頃。夜のとばりに包まれ、薄霧が流れるなかを、ドレスやフロックコートの裾をひるがえして、紳士淑女はそれぞれの宿へと帰ってゆく。
 バイロイトで痛感したのは、やはりワーグナーの音楽の持つ威力だ。私が観た中では『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が圧倒的にすごかった。何がすごいといって、その終幕、ドイツ芸術をたたえる大合唱に、観客が立ち上がらんばかりに熱く沸き立つさまで(客席はドイツ人ばかりではないはずなのだが)、私は思わずナチスの「ハイルヒットラー!」や、日本の「天皇陛下万歳!」を思い起こし、背筋が総毛立ってしまったのである。「あなたがたのドイツのマイスターたちを尊敬してください。そうすれば気高き精神を確保できるのです。あなたがたマイスターたちの働きに敬愛の念を捧げてくだされば、神聖ローマ帝国はもやの如く消え去り、聖なるドイツの芸術が我らの手に残るでしょう。」と歌い上げる大合唱は天を突き、そそりたつばかりに輝かしく、舞台下のピットからわき上がるオーケストラの大音響と相まって、劇場を揺るがす。その場に居る人間の心身を根こそぎ痺れさせ、奪い取るような熱狂に、私は茫然としたものだ。ヒットラーはワーグナーを特別愛し、バイロイトを愛したが、それもうなずける話である。このオペラは、いろいろなところで観ているが、やはりバイロイトは特別であった。民族の愛国心をここまで鼓舞する音楽と場所を、私は知らない。ワーグナーって怖い、と改めて実感させられたステージであった。

 

ちなみに、ヴェルディにも、イタリア人の心をかきたてる合唱がある。『ナブッコ』第3幕の合唱「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」がそれで、イタリアでは国歌なみに有名とされる。もっともこちらは旧約聖書の物語をテーマに、囚われの身のヘブライの民が祖国を想う歌で、「祖国へ行け我が想い 黄金の翼に乗って 香し風吹くところ 緑の谷と丘よ ヨルダンの岸辺に立ち シオンに建つ塔見たい」といった内容。イタリア万歳、では全くない。それでもイタリア人に深く愛されているのは、ヴェルディ特有のメロディの美しさ、合唱の壮麗さのゆえだろう。イタリア人でなくとも、舞台でこの合唱がはじまると胸がジーンと熱くなってくる。「我が祖国」というより、誰もがもつ「ふるさと」に寄せる人間の普遍的な感情を呼び起こす力がそこにはあるのではなかろうか。
 ヴェルディには、ワーグナーのような「神殿」はないが、たとえばヴェローナの夏の野外劇場は、大掛かりなスペクタクル・オペラ『アイーダ』などにぴったりで、こちらはTシャツ姿のフリの観光客でも、手頃な値段で楽しめる。劇場は、3万人近くを収容できるという古代ローマ時代の円形闘技場だから(通常公演では16,000人ほど)、誰がどんな格好で、どんなふうに観劇しても気にならないのである。もちろん、ステージ正面のいわゆる平土間は盛装の人々が並んでいるけれども。演出も度肝を抜くスケールで、たとえば『アイーダ』など、馬や象なども出て来たりして、それだけでも観ていて面白い。私も数年前のイタリア旅行のおり、立ち寄ったが、当日売りの安いアルプス席を買い、サンドイッチとワインでムシャムシャやりながら、はるかかなたのゴージャスなステージをながめて悦に入ったものだ。音響もそれなりの迫力であった。開演は夜9時過ぎだが、イタリアの空はまだ明るい。日が落ちると、観客がそれぞれに持参したキャンドルに灯をともし、それが満場にゆらめくさまは幻想的で、見上げれば星空。野外ならではの醍醐味を満喫できる。
 このアレーナ・ディ・ヴェローナがオペラ劇場として使われるようになったのは、1913年、ヴェルディの生誕100年を記念しての『アイーダ』上演から。以来、毎夏、オペラ・ファンから、ちょっとした好奇心での観光客まで、幅広い観客を集めている。今年は野外音楽祭100周年記念でもあり、ヴェルディ作品がずらりと並ぶ気合いの入ったプログラムとなっている。
 ともあれ、ワーグナーとヴェルディ。オペラ・ファンにとって、まことに嬉しい年となる。普通のコンサートにくらべると、オペラはチケットの値段のほうもかなり張るし、上演時間も長いから、気安く観劇とはいかないけれども、オーケストラで、その一端を聴くだけでも二人の世界は味わえる。日本でもさまざまなオペラ団体やオーケストラが「ワーグナー&ヴェルディ生誕200年」と銘打って、両者の作品をとりあげ、マラソンコンサートなども企画されている。ぜひ、プログラムをチェックしたいものだ。とりあえずディスクで、という方には、合唱がメインの「Great Opera Choruses By Wagner & Verdi 」
などいかがだろう。アリアもよいが、合唱の力もこの両雄では捨てがたい。

バイロイト祝祭劇場
バイロイト祝祭劇場

アレーナ・ディ・ヴェローナ
アレーナ・ディ・ヴェローナ


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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・トランスワールド・コネクション 剛田武
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