Vol.56 | 食べある記 Ⅻ 2013・6月〜9月 | |
text by Masahiko YUH |
これほど心を震わせるグリッサンドは初めて。久しぶりに泣いた。もう何度となく聴いている「ラプソディー・イン・ブルー」の命の泉がこのグリッサンドがしなるフレーズにあることをこの演奏でまたもや思い知った。クラリネットの主は、フィラデルフィア管弦楽団の首席奏者リカルド・モラレス。彼は、誰もが恐らくは心ときめかせるこのグリッサンドの、地下水が静かに沸き上がって勢いよく噴き出す魅力を、あたかも一筆書きのように演じてみせた。これほど新鮮で魅力的なグリッサンドを聴いただけでも、この「ラプソディー・イン・ブルー」に駆けつけた甲斐があったとあえて言いたいほど(9月6日、長野県松本市キッセイ文化ホール)。
この演奏が呼び物である理由はいうまでもなく、大西順子がサイトー・キネン・オーケストラと共演し、しかも小沢征爾が本格復帰してタクトを振るからだ。すでにジャズ界から身を退くことを公言し、ピアニストとしてのラスト・ツアーを終えた彼女を演奏現場に呼び戻したのが実はジャズ界の人間ではなく小沢征爾だったのである。私もこれは初めて知った。彼女のファンである村上春樹が小沢を誘って最後のライヴに駆けつけ、演奏後の打ち上げ会で引退宣言をした彼女を説得し、ピアノ・トリオのワークショップ(音楽塾)ならやる気持ちがあるとの彼女の意向を実現させる話が進展する中で、「ラプソディー〜〜」のアイディアが飛び出したものらしい。プログラムの中で、村上春樹は今日の若手には彼女以上のテクニックを持つピアニストがいることを認めた上で、しかし彼女のように、優れたテクニックに加えて豊かな音楽性、熱い心、高い志を持つ音楽家は極めて少ないと喝破した。
ステージには第1部でトリオ演奏(ベースは彼女が信頼してやまぬレジナルド・ヴィール。ドラムスがアンドリュー・ヒルの最後の相棒エリック・マクファーソン)した3者が中央に。そのやや後ろ横に小沢征爾。トリオの周りを弦楽器奏者が囲み、後ろのひな壇に管楽器奏者や打楽器奏者が陣を敷く。ちなみに、第1部のトリオ演奏は3者とも表情がやや硬い。演奏がよくなかったというわけではないが、私が昨年(10月27日)、クラブ「ブルーノート」で聴いた引退公演の方が遥かに充実していた。それ以上に驚いたのは、広いステージの両脇にオーケストラ・メンバー50人以上が並んだことだ。このオーケストラを構成するメンバーには外国の主要なオケで重要なポジションを占めるメンバーが多数集う。そのオケの約半数がトリオ演奏を聴くべく席を占めたのだから、それだけ大西順子トリオへの高い関心を示したことになる。演奏合間のトークで大西が「いつもはほとんど緊張しない私が硬くなっている」と言ったことに嘘はないだろう。それにしても、サイトー・キネン・オーケストラの色艶の輝かしい音はどうだ。トリオ演奏と「ラプソディー〜〜」の間でこのオケが演奏した「ロミオとジュリエット」(プロコフィエフ)の輝かしい音の響き。久しぶりに堪能した。初登場した中国出身の指揮者、現在35歳という陳琳(チェン・リン)の、予想を超える卓越したタクトゆえでもある。どこにも無駄がない響きというのは気持がいいものだ。しかも知的な光沢がつややかに明滅するかのような音の展開で、彼女が一騎当千の強者たちを巧みにまとめていく手腕ぶりには感心せずにはいられなかった。こんなに若々しくも垢抜けした「ロミオと〜〜」はこれまた久しぶり。とにかくストリングスがつややかに滑り、金管楽器も負けずに良く歌った。
当夜のトリが、「ラプソディー・イン・ブルー」。いい悪いは別にしてかくも破天荒な「ラプソディー〜〜」は初体験だった。ジャズのトリオがオケと共演する同曲は私には初めてだったが、それ以上に最初のグリッサンドの後かなり長い大西のソロ、それに続くトリオのフォー・ビート演奏、こうした展開がせわしなく数回繰り返されながらクライマックスを用意するという展開全体はやや冗長の観を免れなかったが、それは言葉を替えて言えば大西がジャズのトリオ演奏と原曲のオーケストラ・パートのやり取りや混ざり合いがやや未消化のまま本番に臨まざるを得なかったことによるのではないかということと、とりわけ原曲に対するトリオの意思疎通が明らかに演奏の徹底不足を招いたことに起因したろうことは想像に難くない。その点では大西順子には不本意だったかもしれないが、それらを認めた上でいっても試み自体が意欲的だったことは間違いなく、演奏そのものでも楽しめる部分が少なくなかった。彼女の一演奏家としての能力を高く評価する小沢征爾の情熱が実った一夜としても記憶されることになろう。実際、その食い足りないところをスマートかつ気転よくカバーしたのが小沢征爾のタクトだったと言っても過言ではあるまい。彼はむろん暗譜で、何度も繰り返される大西のソロによるヴァリエーションやトリオ演奏の展開をきちんと聴き分けた上で、てきぱきと、かつスマートにオケをリードした。私はかつて彼女がオーケストラ(東京交響楽団だったか)とガーシュウィンのヘ調のピアノ協奏曲を演奏したのを聴いたことがある。それと比較する愚は避けるが、小沢や村上春樹の彼女の才を愛でる真摯な気持がこのあたたかな「ラプソディー〜〜」を生んだことを喜びたい。個人的には約33分をさして長いとも思わず楽しんだ。
異常な熱さに見舞われた夏の盛りはこれといったコンサートは数えるほどしかなかった。その中で邦楽の舞台を二つ三つ。
1. | ● 奥庭狐火の段/豊竹呂勢大夫〜7月4日、紀尾井ホール ● 櫻姫/高橋翠秋 |
2. | 地歌 Live /藤井昭子〜6月24日、求道会館 |
最初の二つは、日本伝統文化振興財団が主催する恒例の財団賞贈呈式で披露された受賞演奏。
豊竹呂勢大夫は人形浄瑠璃文楽界の次の世代を担う期待の人。豊竹嶋太夫の門下となって13年目にして、4月の国立劇場文楽優秀賞に続く栄えある受賞となった。義太夫の傑作「狐火」は五段物浄瑠璃「本朝廿四孝」の四段目の見せ場。上杉謙信の息女・八重垣姫が許嫁(いいなづけ)の武田勝頼の急場(父の謙信が勝頼を討つ策略)を救うため願をかける。すると姫に諏訪明神の化身、狐の霊がのりうつる。そして姫は諏訪湖を渡っていく。太夫の若々しい芸風が映える場面だが、いたずらにドラマティックに走ることなく、持ち前の豊かなヴォイスと芸の美質が溶け合った伸びやかな語りを強く印象づけた。共演は鶴澤藤蔵(三味線)と鶴澤貫太郎(琴)。気持のいい微風を浴びるがごときさわやかな芸だ。
一方、後者は数少ない胡弓の名手で他の邦楽器演奏にも作曲にも秀でた高橋翠秋の自作の再演。20年ほど前に発表したという、アンデルセン童話「人魚姫」を桜の精に移した作品だというが、翠秋さんの気合いのこもった胡弓と箏、わけても胡弓の美を極めた氏の洗練された奏法が発揮された演奏が印象的だった。作詞はかずはじめと田中勘四郎。共演は唄が山口太郎(東音)と味見純(同)、佐藤紀久子(箏)、松坂典子(十七弦)、藤舎呂英(鳴物)、堅田昌宏(同)。昨年から始まった中島勝祐創作賞の名にふさわしい受賞曲であった。
何度か紹介している藤井昭子だが、彼女の地道な活動の根源ともいえる<地歌 Live>の新シリーズが始まった。題して「芝居歌物〜古典に聴く地歌の心」(8月4日、紀尾井小ホール)。彼女の地歌にかけた意気込みが伝わるステージだったが、それ以上に私には「検校・勾当」シリーズの最終回、「流麗に花開いた京風手事物」とうたった菊岡検校の3曲が忘れがたい。京風手事物の名品を数々生んだ菊岡検校の作品で、八重崎検校の琴の手付けによる「茶音頭」、「園の秋」、「舟の夢」の3曲に、彼女はあたかも三弦に命を託した地歌のプライドを賭けて果敢に挑んだ。菊岡検校の京風手事者は技巧的にも難曲だが、表現力でも京風芸の神髄が求められることもあり、ひとつ間違うと味も素っ気もない演奏になりがちな、その土壇場で必死の踏ん張りを示したともいえる藤井の撥捌きに心を奪われた。共演は善養寺恵介(尺八)、岡村慎太郎(三弦)、毛塚珠子(箏)で、誰一人劣らずの熱演。とりわけ地の三弦を担った岡村の「園の秋」における伸びのいい声が胸を打った。再登場を期待したい。
3. | 日本フィルハーモニー交響楽団(6月14日、サントリーホール) アレクサンドル・ラザレフ(指揮)&河村尚子(ピアノ) |
4. | 新日本フィルハーモニー交響楽団(7月6日、すみだトリフォニーホール) 大野和士(指揮) |
5. | 日本フィルハーモニー交響楽団〜再演企画シリーズ(7月12日、サントリーホール) 広上淳一(指揮)、釜洞祐子(ソプラノ)&吉田浩之(テノール) |
6. | 新日本フィルハーモニー交響楽団(7月26日、サントリーホール) クリスティアン・アルミンク(指揮)&豊嶋泰嗣(ヴァイオリン) |
7. | 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団(7月19日、東京オペラシティ・コンサートホール) 下野竜也(指揮)&竹澤恭子(ヴァイオリン) |
8. | 山形交響楽団特別演奏会(6月27日、東京オペラシティ・コンサートホール) 飯森範親(指揮)&橋本杏奈(クラリネット) |
9. | 東京フィルハーモニー交響楽団(6月9日、オーチャードホール) 大植英次(指揮) |
10. | 高田泰治によるJ.S. バッハの世界 VOL5(7月18日、東京文化会館小ホール) |
11. | ハムレット〜首都オペラ設立25周年記念公演(8月31日、神奈川県民ホール) |
12. | イリヤ・ラシュコフスキー・ピアノ・リサイタル(7月11日、浜離宮朝日ホール) |
13. | 幣隆太朗〜コントラバス(9月10日、東京オペラシティ・リサイタルホール) |
14. | サマー・フェスティバル2013〜サントリー音楽財団(9月2日〜10日、サントリーホール) |
6月〜7月は低調なジャズを尻目に、クラシックの好演、秀演が目白押しだった。スペースの都合で上掲の全公演に触れることは難しい。せめて秀演を幾つかにしぼっては取り上げてみることする。それにしても、ずいぶん聴いたものだ。
好き嫌いは別にして、ラザレフのロシアものは安心して聴ける。プロコフィエフの交響曲シリーズはその良き例だったが、この夜はラフマニノフ。「交響的舞曲 op45」はこの作曲家の最高の管弦楽曲だと思うが、なかなかプログラムにのぼらない。河村尚子を独奏者に迎えた「パガニーニの主題による狂詩曲」同様、グレゴリオ聖歌「怒りの日」が重要なモティーフとなっている。それが彼の最高度に凝縮された管弦楽法によって高められるのだが、純化されたロシア的な舞となって曲趣を変化させながら、3つの楽章を通してリズムと色調(カラー)のパノラマの展開に成功したラフマニノフの手腕を、ラザレフが活きいきと導きだした。知的な切れ味をもつソフィストケーション豊かな河村尚子のピアノとともに堪能した。
新日本フィルの主席指揮者として爽やかな指揮ぶりで高い評価を築いたクリスティアン・アルミンクが10年の任期を終えた。その最終公演で三善晃の「ヴァイオリン協奏曲」を取り上げたのは驚きでもあり、同時に日本の音楽への関心を強くうかがわせる、選び抜いたプログラムの一端に触れたような気がして嬉しくもあった。三善がフランス留学から帰国して8年後に完成させたこの協奏曲から漂ってくるフランス的なニュアンスは、大成後の作品から聴き始めた私にはむしろ内省的な凝視と沈思の奥底からにじみだしてくる作曲家の声を聞くような気がして新鮮であり、後期の作品とは違う魅力を感じた。プレトークで「とにかく難しい曲で、思いのほか苦労しました」と語ったアルミンクだが、むしろ流暢なタクトさばきで、反対に苦悩したままステージ上で格闘するかのようなソロをとったヴァイオリンの豊嶋泰嗣とは好対照を印象づけた。それが感銘深かったのは、作曲者の沈潜する内的ヴォイスを、アルミンクと豊嶋の一聴不釣り合いに見えるコンビネーションが演奏に反映させた結果の思わぬ一体感ゆえだったろう。
日本フィルは当初から本邦の作曲家に新作を委嘱する作業を押し進めてきた。それが今や大きな財産となっている。再演企画が聴衆の注目を集めているのも、このシリーズから生まれた数々の秀作が日本音楽界の代表作の一角を占めていることを人々が再認識していることを物語る。当夜再演されたのは「シンフォニア」(柴田南雄)、組曲「波の盆」(武満徹)、レクイエム〜曾野綾子のリプレットによる(三枝成彰)の3曲だが、原曲のよさをむろん認めた上でいえば、それを引き出した原動力が広上淳一のタクトだったということだ。楽曲に対する彼の深い理解と愛情が楽曲の素晴らしさをいっそう輝かしいものにする。柴田南雄作品でのオーケストレーションの美しさを際立たせたのも、各フレーズや楽器の鳴る瞬間をそれに最もふさわしいアクセントづけで造形する彼のタクトゆえ。また、影絵を見るかのようなロマンチシズムを描出した武満作品での、あたかもバレェを踊るかのような彼のときにユーモラスで身振り豊かな指揮(棒は持たない)ぶりを見ていると、客席のこちらも体が踊っているのが分かっておかしくさえなる。が、気分は浮きうきとして楽しい。武満作品をビッグバンド化して芸術祭賞受賞にまで発展させた角田健一ビッグバンドに取り上げてもらいたい曲だ。
お次ぎはピアノ。ソ連はシベリア出身のラシュコフスキーは2002年以来毎年のように来日しているが、昨年の浜松国際ピアノ・コンクールの優勝で日本のファンの間で注目される存在となった。今回はプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」からの1曲と「戦争ソナタ」、休憩を挟んでショパンのエチュード全12曲に、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の第3楽章という盛りだくさんのプログラム。アンコールでのチャイコフスキーの「四季」の1曲、スクリヤビンの「エチュード」、モンポウの「前奏曲」を含めれば懐具合はなかなか豊かだ。プロコフィエフにしてもショパンにしても彼はまるでバレェを楽しむかのように鍵盤を舞う。ピアノの響きは硬質で、それがフル・ヴォリュームで鳴る迫力、いかにも現在の彼の高い自信を反映しているかのようなノリのよさで聴きごたえがあった。
一方の高田泰治。今回はチェンバロで、「イギリス組曲」と「フランス組曲」から各1曲、パルティータ第6番というバッハ・プログラム。淡々と音符に集中しながら、しかし溢れるバッハへの愛情を音符に凝縮させる彼の奏法は、浸っているとバッハの時代にタイムスリップしていくかのような快感を体験させてくれる。生真面目だが、決して堅苦しくない。今回の3曲は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジグーなどで構成される「パルティータ」を含めてすべて舞曲作品。これらの演奏に上品なユーモア感覚が加われば、私のイメージする最良のバッハとなるだろうが、とはいえホ短調の「パルティータ」の、ダンスを超えた芸術性は高田のバッハへの献身を実らせた演奏だったと言ってよい。
『ミニヨン』で知られるトマのオペラ『ハムレット』は初めて聴いた。シェークスピアの『ハムレット』というと私にはオフィーリアを描いた幾つかの絵画を思い出す。もっと上演されてもいいオペラで、トマの音楽もビゼーに通じる親しみやすい旋律が横溢していて魅力的。岩村力指揮神奈川フィルの演奏もよかったが、ここに取り上げたのはひとえにオフィーリアの盛田麻央のパッショネートな好唱。小柄な彼女があれほどオフィーリアの思いのたけをドラマティックに歌い上げたのを目の当たりにしただけでも足を運んでよかったと感激した。
感激したといえば、日本にかくも精度の高い技法を駆使して、ヒンデミットの「コントラバスとピアノのためのソナタ」のような難曲を苦もなく演奏(そう見える)してみせた幣隆太朗の独演。こんな凄腕のコントラバス奏者がわが国にいるとは知らなかった。ドイツでこの楽器のマイスターの称号を得たとあり、現在シュトゥットガルト放送響の1員。オープニングのバッハのソナタ(ヴィオラ・ダ・ガンバ用作品で、ピアノは岡本麻子)の緻密な構成の演奏から圧倒されたが、最後のブラームスの「チェロ・ソナタ第1番ホ短調op38」は最後を飾るにふさわしい、コントラバスでこれほど精確かつ情熱的に組み立てることが可能なのかと驚嘆したくらいの演奏だった。アンコールの「エレジー」(ポッテジーニ)の優しい歌心にも。
サントリー財団主催の恒例のサマー・フェスティバルから。プロデューサー・シリーズには今年古希を迎えた池辺晋一郎が指名された。初日はジャズ好きの彼らしい選曲で、ロルフ・リーバーマンの「ジャズバンドと管弦楽のための協奏曲」。東京都交響楽団と角田健一ビッグバンド(杉山洋一指揮)の共演による演奏は、大震災前の2010年(3月3日)にミューザ川崎での神奈川フィル(金聖響指揮)と洗足音大の学生ビッグバンドによる熱演と比較して、軍配をどちらに上げてもおかしくない熱演で楽しめた。池辺は東京オペラシティからもバースデー・コンサートを用意され、詩人・長田弘の詩をテキストに、ソプラノとバリトンを起用した「交響曲第9番」の初演をおこなった。今回は紙幅がないので改めて取り上げたい。 同祭の今年のテーマ作曲家は細川俊夫。私が最も熱い関心を注いでいる作曲家。彼の音楽を聴いていると能の舞が見える。ときには開花する瞬間の生の輝きと散花する孤独のわびしさとが交差しあう。魂の救済を求める僧の祈りが見える。「室内楽」(9月3日、ブルーローズ)での、花(細川はここでの花が短い生を運命づけられた生け花であると記している)が希望の光を静かに漂わせながら悟りの世界を思考する聖的な「開花」からは、ディオティマ弦楽四重奏の真摯な好演によって芳香を放つようなたたずまいが生まれた。 この夜最もエキサイトさせられたのは、彼のトランペット協奏曲(委嘱作品世界初演)を演奏したジェロン・ベルヴェルツの演奏と、彼が敬愛するリゲティの「ミステリーズ・オヴ・ザ・マカーブル」で、まさに全身で歌いながらバネ仕掛けの人形のようにオーケストラ(東京フィルハーモニー交響楽団)を指揮したバーバラ・ハンニガン(ソプラノ)の舞台演技。細川とは縁の深いベルギーのベルヴェルツは、ときにはジャズの演奏もするそうだが、ここではマウスピースから発するサウンドと声とを同時に発する技法を用いながら、「霧の中で」と題した細川の描いた幽玄美を密やかに描いてみせた。対して、ハンニガンの表現技法は演技としか言いようのない突拍子もない声と激しい身体運動が一体化した情念の噴火で、奥村京子は解説の中で「ソロ奏者が支離滅裂な台詞を喚き散らすゲポポ(ナチスのゲシュタポの暗示)を演じる」作品、と書いている通り、魂の浄化を表現した細川の「松風のアリア」(オペラ「松風」より)とは対照的な狂気が炸裂する世界が現出した。彼女とヴォイスでも張り合う東京フィルの選抜メンバーの健闘にも拍手を送ろう。
地方でのジャズ・イベント活気に圧倒されたからか、東京は8月までは低調との印象が濃厚だった。私の場合はテレンス・ブランチャード・グループの快演で生き返った。グラミー賞の器楽ジャズ部門ベスト・ソロ賞に輝いたブランチャードのトランペット技法が力強くアピール(8月16日、ブルーノート東京)。好評の新作『マグネティック』(ブルーノート)でも評判になったラヴィ・コルトレーンを伴っての演奏は「タイム・トゥ・スペイス」を皮切りに、新作の収録曲を中心に現代屈指のトランペッターにふさわしい会心のステージ演奏となった。ラヴィは何年か前に所も同じブルーノートで聴いたときより落ち着いた演奏で、ようやく資質を開花させつつある姿を印象づけた。父親も草葉の陰で微笑んでいたかもしれない。アンコールはバラードの隠れた名曲「You'll Never Know Just How Much I Love You」。他の面々も粒揃いの実力派(ブライス・ウィンストンsax、ファビアン・アルマザンp、ジョシュア・クランブリーb、ケンドリック・スコットds)。中でもケンドリック・スコットが現在米国で注目を集めているだけの実力を存分に発揮し、グループに活きのいい勢いとグルーヴ感をもたらした。
そのケンドリックが、今度は自らのグループを率いて登場した(9月12日、丸の内・コットンクラブ)。自身の第2作『コンヴィクション』(コンコード)の発売記念ともいうべきこのライヴで、ジョン・エリスts、bcl、テイラー・エイグスティp、マイク・モレーノg、ジョー・サンダースbらを巧みにリードする彼は、ロイ・ヘインズやマックス・ローチの伝統に立った切れ味のいい機転の働くプレイぶりを披露。いかにも現代ニューヨーク・ジャズ・シーンを牽引しているという活きの良さを発揮した。この直後に来日予定だったシダー・ウォルトンの冥福を祈ったバラードで締めくくったが、単なるドラマーの枠を超えた逸材と見た。
バークリー留学中のアルト奏者・寺久保エレナが格段に成長しつつあることを実感させたブルーノートでの演奏(8月26日)に一言。新作の「ブルキナ」を演奏する彼女はあたかもアルト駆使してテナーを吹いているかのよう。故キャノンボール・アダレイはコルトレーンを彷彿させるプレイぶりは、このまま成長すると過去のわが国のアルト奏者を超えた存在になるかもしれないという底知れぬ能力を感じさせて余りあるものだった。大林武司p、中村恭士b、クシュ・アバディdsという新進気鋭のクヮルテット演奏。
最後に第12回を迎えた東京ジャズ・フェスティヴァル。同祭については本誌のライブ・リポートで取り上げることになっており、また私自身も新聞(朝日)のステージ評に書いたので、簡潔に触れる程度にとどめたい。が、トニー・ベネットの元気さには驚いた。マイルスやコルトレーンと同じ1926年生まれ。ということは87歳。この歳で若いころのキーで歌い、のみならず予定の時間を超えて30曲以上を歌いまくったこの熱唱(いや激唱というべきか)は人間業を超えている。「霧のサンフランシスコ」や「スマイル」など大方の自身のヒット曲を網羅したプログラムは、さながらベネット史を回顧する趣。若いころのヒット曲、たとえば「夢破れし並木道」には涙した。まさに世紀の大エンターテイナーのステージ。この熱唱の前には、これ以上の言葉は不要。まして全盛期の唄と比べて云々する、こんな野暮はするべきではない。
このジャズ祭は偶然か、ベネットを頭に80歳を超えたヴェテランの健在ぶりが強く印象に残った。リー・コニッツ(86歳)のプレイも歳を感じさせないクールなプレイぶり。ベネットと並んで胸を打った80歳のシンガーが、オマーラ・ポルトゥオンドとシーラ・ジョーダン。オマーラはブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブでフィーチュアされ、一方シーラは大江千里のサタデイ・ナイト・オーケストラのゲストとして登場した。大江のオリジナル曲を歌ったのだが、アンコールでの「ブルース」が素晴らしかった。彼女はこのジャズ祭での正真正銘の“ジャズ・シンガー”であった。(2013年9月記)
悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。
追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley
:
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣
:
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi
#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻
音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美
カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子
及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)
オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美
ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)
:
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義
:
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄
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